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(回答先: 都教委『日の丸・君が代』手順まで規定 『拒否の現場』に積年の不信 [東京新聞] 投稿者 のらくろ 日時 2004 年 2 月 02 日 16:52:38)
新都立大学:
学長に西澤潤一氏 名称は「首都大学東京」
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040207k0000m040125000c.html
東京都は6日、都立4大学を廃止して来年4月に開設する新大学の初代学長に、東北大名誉教授で岩手県立大学長の西澤潤一氏(77)を招く方針を固めた。西澤氏は当面は現職を最優先する意向だが、都の新大学開学時の学長就任は内諾しているという。一方、石原慎太郎知事は同日の定例会見で、新大学の名称を「首都大学東京」と発表した。
西澤氏は東北大工学部卒。専門は電子通信工学で、静電誘導トランジスタや光ファイバーなどの発明・開発で「ミスター半導体」として世界的に知られる。89年に文化勲章を受章し、毎年のように「ノーベル賞候補」に名前が挙がっている。同大教授、学長を経て98年から岩手県立大学長。現在は都の新大学設立本部で教学準備委員会の座長も務めている。
新大学は、経営を担当する理事長と、教学部門トップである学長を分離する方針で、初代理事長には高橋宏・郵船航空サービス相談役(70)が内定している。【奥村隆】
[毎日新聞2月7日] ( 2004-02-07-03:00 )
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西澤潤一氏の「別の顔」
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031102ikenkoukoku54.htm
秘密主義・二枚舌型「新大学」の「素晴らしい学長」の予定者・現教学準備委員会座長の西澤潤一氏は、理工学研究者として著名な一方、次のような「別の顔」*1を持つ人物でもあることを付け加えておきます。
【中略】
*1
今回の教育基本法改定の動きを強力に推進した勢力として「新しい教育基本法を求める会」なるものがある。会長は西沢潤一・岩手県立大学長だが、組織にとっての中心人物となる事務局長は高橋史朗・明星大学教授である。さらに代表委員として名前を連ねている17名のうちには西尾幹二・坂本多加雄・三浦朱門・長谷川美千子などの名前が続々と出てくる。後承知のように「新しい歴史教科書をつくる会」の中心メンバーの面々なのである(高橋氏以下順に「つくる会」における肩書は副会長・元会長・理事・教科書改善協会長・賛同者)。つまりこの会は、「つくる会」の別動隊、ないしまったく同じ方向を歩んでいる団体といってよい。
(上杉聡氏のホームページによる)
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国家体制再編めざす教育基本法改悪
小森 陽一
2002.8.20 216
http://www.hansen-jp.com/216komori.htm
二〇〇一年一一月二六日に、遠山敦子文部科学大臣から「新しい時代にふさわしい『教育基本法』のあり方について」諮問された中央教育審議会(以下、中教審)は、その具体的な答申の一つとして、「奉仕活動の義務化」を打ち出した。義務教育段階で「奉仕活動」をいわば必修化し、内申書に記載する形で競争をあおっていこうとする方針である。
「義務化」された「奉仕活動」は、もはや「ボランティア」ではない。「ボランティア」とは自ら進んで社会事業などに無償で参加する者のことであり、それを学歴社会を上昇していくための道具にする者の意ではない。けれども「ボランティア」(volunteer)の原義には、「志願兵」「義勇兵」の意味があることも忘れてはならない。
二〇〇〇年九月一八日付で、当時の森喜朗首相に対し「新しい教育基本法への六つの提言」を出した「新しい教育基本法を求める会」は、第四の提言「国家と地域社会への奉仕」の冒頭で「国家の安全を確保」することを強調したうえで、「普通教育(小・中・高校)の児童・生徒には、国家・社会に対する奉仕活動を通じて、共同体に属する自己の存在と使命を発見させることが望まれます」と述べられている。
中教審の答申は明らかに「新しい教育基本法を求める会」の論理と一致している。
岩手県立大学長の西澤潤一氏を会長とする「新しい教育基本法を求める会」は、事務局長の高橋史郎氏をはじめ、坂本多加雄学習院大学教授、西尾幹二電気通信大学教授など、代表委員のかなりのメンバーが、過去の戦争と植民地支配を美化した「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物と重なっているのだ。
彼らの考え方は、「伝統の尊重と愛国心の育成」という第一の提言に、はっきりとあらわれている。「古来、私たちの祖先は、皇室を国民統合の中心とする安定した社会基盤の上に、伝統尊重を縦軸とし、多様性包容を横軸とする独特の文化を開花させました。教育の第一歩は先ずそうした先人の遺産を学ぶところから発しなければなりません」。つまり、あらためて天皇=「皇室」を「中心とした「国民統合」のシステム、「国民」の気分・感情を天皇に吸い上げていく機構と精神動員の装置として、学校教育を再編成しようとするところに、「教育基本法」改悪の中心的なねらいがあるのである。
武力攻撃事態三法案との関連で考えるなら、アメリカと同じ戦争を対等にやれる、「戦争をする国家」づくりのための、教育再編を行うねらいが、「教育基本法」改悪にはっきりとあらわれているのだ。
□ □ □
「教育基本法」改悪の動きの最も許しがたいところは、九〇年代から現在にわたって起きつづけている日本社会の構造的腐敗、とりわけ政権政党の政治家、彼らと結びついた企業や銀行、警察や医療機関の要職者、高級官僚たちの組織ぐるみの堕落の責任が、あたかも「学校教育」や、「教育基本法」にあるかのように描き出している点だ。
先にふれた「新しい教育基本法を求める会」の「国家と地域社会への奉仕」という項目の後半では、次のように述べられている。「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々が増えれば、公・私関係の調整に困難をきたし、ひいては国民経済の地盤沈下、諸外国との協調関係の崩壊を招くことになりかねません」。これが「教育基本法」で重視されている「個人の価値」や「自立的精神」をおさえこもうとする理由なのだ。
これほど盗人猛々しい論理のすりかえはない。「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々」とはスズキ・ムネオに象徴されるような、自民党の利益バラマキ型の政治家であり、それに追随した高級官僚とおこぼれにあずかろうとした企業の大人たちではなかったのか。
「公・私関係の調整に困難をきたし」「国民経済の地盤沈下」を招いたのは、バブルを崩壊させ、そのあとも有効な経済再建政策を出せない、歴代自民党内閣と銀行や大企業の首脳たちであり、その後の連立与党ではなかったのか。
そして、「諸外国との協調関係の崩壊」を招いたのは、靖国公式参拝をつづける小泉純一郎首相や石原慎太郎都知事であり、彼らが支援する「新しい歴史教科書をつくる会」の、侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題だったことはあきらかである。
こうした日本社会のトップに立つ大人たちの集団的モラル・ハザード(倫理の欠如)を隠すために、「学校崩壊」や「学力崩壊」そして「いじめ」キャンペーンが行われ、「一七歳」をはじめとする子どもたちを世代敵(ジェネレーション・エネミー)のようにマスコミは描きだしてきたのだ。
「教育基本法」にその当初から攻撃をかけ、その十全な運用を阻んできた政治勢力の責任を押し隠すために、反教育・「反教育基本法」報道は機能してきたのであり、ジャーナリズムの責任は極めて重大である。
□ □ □
ではなぜこれほどまでに、日本の右派保守勢力は、「教育基本法」を敵視し、教育現場攻撃に躍起になるのだろうか。それは、彼らの支配の基盤を成立させてきた社会構造が根本から崩れさってしまったからだ。
学校に行って勉強すれば、社会に出て安定した生活ができる、という子どもたちを学校につなぎとめる幻想が、九〇年代以後通用しなくなったのだ。就職を希望する高卒者の二人に一人しか就職できないという、日本経済の状況は、高校生の自宅学習時間ゼロが二人に一人というある県の統計と合致している。
八〇年代のバブル経済の時期に、日本の企業が、アメリカとの競争に勝つために、安い労働力を海外に求めて多国籍企業化し、海外に出た製造業を中心として、日本の産業が空洞化したことが最大の要因である。
朝鮮戦争特需からヴェトナム戦争特需の高度経済成長期にいたるなかで、日本は国内で製造した商品を、国外とくにアジア諸地域で売ることによって儲けてきた。「冷戦構造」の中での「熱戦」に乗じて利益を上げてきた日本型共同体主義的企業は、「教育勅語」的「皇国史観」で教育されてきた男たちにとっての精神的・経済的復員の場となったのだ。
日本型共同体主義的企業は、創立者を天皇の代わりとして、軍隊的な上意下達の組織をつくり、そこに滅私奉公的に身を捧げる企業戦士を育成しつづけてきた。これが、戦後日本型の「公・私関係」だった。絶対的天皇制と象徴天皇制の間を、「国体」の連続性としてつないだのが、戦後一貫して憲法と民主主義の番外地として機能しつづけた、日本型共同体主義的企業だったのである。
この日本型共同体主義的企業こそが、学校で民主主義的な教育を受けた若者たちを、天皇制的に再教育する場だったのである。敗戦後の日本において、学校こそが民主主義の発信基地であった。敗戦直後の日本では、家族の中にも、地域や職場にも民主主義は存在していなかった。民主主義は、学校で学ぶしかなかったのだ。そして、それを支えたのが「教育基本法」であった。
そして、この学校での民主主義と平和の教育が、「五五年体制」(改憲を党是とした自民党の単独政権体制)後も、自衛隊のための改憲策動を阻止し、六〇年安保闘争にいたる民主主義の力を育んで来たのである。その意味で「五五年体制」は、日本型共同体主義的企業と学校との間の対立でもあった。
しかし、九〇年代以後、日本型共同体主義的企業が、国内から消えてしまった。天皇制的再教育の場が無くなったのだ。だからこそ、企業のトップを校長にすえるなどして、学校を、かつての日本型共同体主義的企業と同じ役割をする組織に、一気にそして全面的に改変しようとする攻撃がかかっているのだ。
こもり よういち/東京大学大学院総合文化研究科 教授
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公明新聞 2002/1/1
新春対談
21世紀日本を魅力ある国に
岩手県立大学長 西澤潤一
公明党代表 神崎武法
日本はいま、景気の悪化などで、めざすべき方向を見失いかけています。世界の中で信頼と尊敬を受ける、魅力ある国にするために、何をなすべきなのか。21世紀の2年目を迎えた日本の針路、そして社会、教育のあり方などについて、独創的な教育と研究を貫いてきた西澤潤一・岩手県立大学長と、公明党の神崎武法代表に、語り合ってもらいました。
“人間のための科学技術”の視点を
世界平和貢献の文化芸術大国に
神崎 新年あけましておめでとうございます。
西澤 おめでとうございます。
神崎 21世紀の日本と国際社会とのかかわりを考えた場合、昨年9月11日の米同時多発テロを振り返らざるを得ません。あの事件の本質に視点を据え、国際社会に揺るぎない平和と安全を確立していくにはどうしたらよいかを突き詰めていくと、「人間の安全保障」の面からの取り組みがいかに大事であるかが見えてきます。
つまり、紛争やテロの背景にある貧困や飢餓、エイズ問題や環境問題などの課題に対し、民族、国家の枠組みを超えて人間の生存、生命、尊厳を守る視点で取り組んでいかない限り、平和を脅かす根は断ち切ることはできないと思います。今月、東京で開催されるアフガン復興会議でわが国は、難民支援や医療、教育、文化、農業、技術支援など、非軍事の多彩な分野での取り組みを強化するなど、グローバルな立場からの「人間の安全保障」構築へ、強いリーダーシップを発揮していくべきです。これが21世紀日本の歩むべき方向ではないでしょうか。
西澤 紛争の解決には、たとえ時間はかかっても、お互いに相手に対する思いやりを尽くしていく努力が欠かせないと思います。東洋の倫理は西洋に比べて個性の発揮が緩やかな面があって、別の言い方をすれば、他人に対する思いやりの強い民族性がありますね。
「世界中すべての人が幸せにならなければ個人の幸福はありえない」という宮沢賢治の有名な言葉がありますが、ある意味で東洋の倫理のエッセンス(真髄)だと思います。それを堂々と謳い上げて、その面からわが国が国際社会に協力していくことが必要ではないでしょうか。
神崎 西澤学長が言われた他人への思いやりや利他の精神、東洋の倫理をもとにした国際社会への協力という視点は非常に大事です。日本は、「万葉集」や「源氏物語」などに見られる文化的に豊かな土壌を持っていながら、それが「人間のため」に生かされてこなかった。科学技術の分野でも、西澤学長は光通信の世界的権威であり、さまざまな基礎研究分野で世界をリードされてきましたが、日本の社会や経済の構造は、それを「人間のため」「世界のため」に生かす仕組みになっていません。「人間のため」との視点こそ、21世紀の日本のキーワードにならなければならないと痛感します。
西澤 私の研究に対する思いは、人間社会に貢献するという「人間のための科学技術」ということであり、それしかないと愚直一徹にやってきました。
イギリスのスコットランドにグラスゴー大学がありますが、初めは職人学校でした。グラスゴーは鉱山の町で、そこで働く人たちの一日の仕事の始まりは、桶を担いで鉱山に溜まった水を外へ汲み出すことでした。大変な重労働で、何とかしなければならないということから、いわば“町の科学者”が理論に裏付けられたわけではない“初期の蒸気機関”をつくり出した。その後、グラスゴー大学で素晴らしい理論を編み出し、きちんと蒸気機関を設計できるまでになった。
つまり、「人に役立つため」との思いで基礎と応用をうまくつなぎ合わせ、応用から基礎を出し、基礎から応用を出したわけです。私は、これが科学技術開発のあり方ではないかと思っています。
神崎 よくわかります。公明党が文化芸術の振興に力を入れているのも本質的には同じ理由です。文化芸術を通して心豊かで多様化を受け入れる社会を築いていくことは、単に日本のためだけというのではなく、世界の平和にも貢献し得る大事な作業であるとの信念に基づくものです。
公明党は、文化芸術大国をめざし、先の国会では、わが党が中心となって提案した文化芸術振興基本法を成立させました。これを受けて、例えば、文部科学省は4月から全国の国立博物館と美術館(常設展)を小中学生に無料開放します。今後も、こうした流れをしっかりつくっていきます。
西澤 大変、素晴らしいことです。
心に火をつけ、天分開く教育に/西澤
“元気な国”へ政治の役割果たす/神崎
神崎 われわれ日本人や、また世界から見て、二十一世紀の日本を魅力ある国にしていくには、文化芸術や科学技術の分野でも、人材をいかに輩出していくかにかかっていると思います。それには何が必要だとお考えですか。
西澤 神崎代表がいま言われた「多様化」です。子どもたちが、勉強、スポーツなどさまざまな分野で「自分はここが達者だ」というものをつくっていけるようにすれば、それは素晴らしい才能を発揮する国になります。魅力ある国づくりへの人材を出していくには、そこを基本的に考え直さなければいけません。
神崎 政治の面から言えば、例えば科学技術立国をめざすための基礎研究を支える態勢として、政府は第二期「科学技術基本計画」(二〇〇一年度から五カ年)をスタートさせました。この基本計画では、二十一世紀を展望して科学技術は“人類の未来を切り拓く力”と位置付け、日本から今後五十年間でノーベル賞受賞者を三十人程度出すことをめざすとともに、めざすべき国の姿として「国際競争力があり、持続的な発展ができる国」「安心・安全で質の高い生活のできる国」を打ち出しています。
西澤 研究支援と言えば、戦前はいまのおカネにすると二百万〜三百万円くらいを若い研究者に渡して、大学生の指導をしながら研究をさせる制度があった。効率が非常に良かった。ドイツにも同じような制度があり、なぜ大学の若い研究者がいい仕事をするのかを追跡調査した結論は、「若者を相手に教えることで学者は実は自分の頭を整理している。教えるためにいろいろと考えることが、非常に大きなイノベーション(革新)につながった」というものなんです。そんなに大金がいるのではなく、そうした研究の中から伸びてきたものを拾う。大事な視点だと思います。
そういう視点から、政治家の方々には大所高所から必要なものを正当に受け止めて制度化していただけたら、ありがたいですね。
神崎 肝に銘じます。ところで、日本はいま、あらゆる面で自信を失いかけています。悲観論に陥っている。そこをもう一度、自信を持てる国をつくるために、西澤学長が常々指摘されている通り、教育が非常に大事になってきますね。
西澤 人間はどんな人でも素晴らしい天分を持っている。それを見つけるのは容易なことではありませんが、先生も親も手助けし、本人も努力することで、殻を破って天分が花開いていきます。
神崎 米国の教育者ドロシー・ロー・ノルトさんの詩『子は親の鏡』の中に、「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる/とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる/(中略)/励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる/広い心で接すれば、キレる子にはならない/誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ/愛してあげれば、子どもは、自分が好きになる」という一節があります。子は親の鏡、社会の鏡だという観点に立つことが大事なんですね。
西澤 万事、そこから始まります。
神崎 私は教育は人と人との触れ合いの中でこそ触発されるもので、子どもにとって本当に必要なものは、良い教師であると思っています。それは、子どもにとって教師が最大の教育者だからです。子どもたちは、伸びよう、成長しようという力にあふれています。その内なる力を引き出す教育が求められています。
西澤 大変、大事な点を突いていますね。単に機械的に物事を暗記させるのではなく、子どもが何かに興味を抱いた時に、先生や親のひとことがどれだけその子の一生に大きな影響を与えることか。
私が好きなイギリスの教育哲学者アーサー・ウィリアム・ワードの言葉に「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。すぐれた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は子どもの心に火をつける」というのがあります。
江戸時代末期の吉田松陰と松下村塾はそのいい例で、世界史に残る日本の大きな近代化を成し遂げた中核的な人材を、極めて短期間のうちに育て上げました。ロマンを一人ひとりに持たせていける学校づくりこそが、とても大事ではないかと思います。
神崎 「日本の未来は教育にかかっている」と言っても過言ではなく、素晴らしい日本人、国際人を育んでいくことがこれからの大きな課題です。
西澤 同時に、日本人はエゴイズムを排して、視野を広げていくことが大事です。隣の人も幸せでなければ、自分は本当は幸せではないという受け止め方ですね。その上で、「世界の中の日本」という視点から、何をすべきかを考えていくことが必要でしょう。そこにこそ、日本らしさを生かし、二十一世紀の世界人類に貢献する道があるのではないかと思います。
神崎 二十一世紀の日本を魅力ある国にしていくために、人を育む取り組みを積極的に支援していきます。本日はありがとうございました。