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東急東横線 横浜〜桜木町間、遂に廃止/駅とともに40年 高島町の立ち食いそば店も最後の日
http://www.asyura2.com/0311/ishihara7/msg/303.html
投稿者 ファントムランチ 日時 2004 年 1 月 31 日 20:53:46:oswAM6lqBSCW6
 

■東急東横線 横浜〜桜木町間、遂に廃止
 〜1/30さよならレポート速報〜
 http://www.02.246.ne.jp/~sugi2002/index.html
 http://www.02.246.ne.jp/~sugi2002/tokyu_040130.htm

最終日となった1/30昼の桜木町行き
最終日となった1/30昼の桜木町行き。

桜木町駅最終到着列車
桜木町駅最終到着列車。

桜木町を発車する列車が全て終わった
桜木町を発車する列車が全て終わった。

1/28、高島町〜桜木町間にて
1/28、高島町〜桜木町間にて。この光景ももう見られない

 
■駅とともに40年 高島町の立ち食いそば店も最後の日 [読売]
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news001.htm

高島そばの大竹道郎店長(左)と妻の百合子さん
40年の歴史に幕を閉じた高島そばの
大竹道郎店長(左)と妻の百合子さん

 東急東横線の横浜―桜木町(二キロ)が七十二年の歴史に幕を閉じ、高島町駅の高架下で四十年にわたって営業してきた立ち食いそば店も三十日、最後の日を迎えた。なじみの客らに見守られ、シャッターを下ろした老夫婦は「駅と共に歩んできた店。不本意だが、ここらが潮時」とぽつり。桜木町駅に近い野毛地区では、夜を徹して居酒屋などを飲み歩く「飲兵衛(のんべえ)ラリー」が開かれた。

 列車が通るたびに騒音と揺れが伝わる高架下の立ち食いそば店「高島そば」。川崎市で材木業を営んでいた大竹道郎さん(80)が一九六四年、妻の百合子さん(74)とともに、高島町駅の近くにあった三菱重工業・横浜造船所(ドック)の従業員向けに開いた。

 「冬の寒い朝は起きるのがつらかった。でも、ドックに働きに行く人に温かいそばを食べてもらいたくてね」。午前六時には決まって店を開けた。カウンターだけの小さな店だが、いつも満員。七〇年代の全盛期には、一杯三十円のかけそばが一日六百杯以上も売れた。「『安くてうまいね』『ありがとよ』と言われるのがうれしくて」と道郎さん。しかし、八三年のドック閉鎖で人通りは激減。現在では一日百五十杯程度。

 三十日は開店前からドックのOBらが行列を作った。孫を連れて長野県から駆けつけた客もいた。横浜市内の元ドック従業員の男性(64)は「閉店と聞いて、いてもたってもいられなくなった。当時は独身でここの温かいそばに毎朝元気をもらっていたんだ」と涙ぐんだ。時代に合わせて一杯二百四十円に値上げしていたかけそばを、この日は百円にして、午後一時半の閉店まで全盛期並みの六百杯を売った。

 常連客の一人が「長い間ご苦労さま」と道郎さんに握手を求めると、居合わせた全員が続いた。道郎さんは、それぞれ両手で握り返して頭を下げ、「感無量です」と話した。

        ◇

 居酒屋、バー、焼き鳥店など約三十店が参加して企画された野毛地区の「飲兵衛ラリー」。午後五時のスタートとともに、約四十人が集まり、それぞれ思い思いの店へ。近くの消防士中島英之さん(42)は妻(42)と参加、「妻ともよく歩いた思い出深い街。駅がなくなるのは寂しい」と話した。

 野毛地区の飲食街は、桜木町駅の反対側のみなとみらい地区の発展とともに客足が減り、東横線桜木町駅の廃止を惜しむ声も強かった。ラリーはそんな野毛の明かりを消さず、なじみの客らに、飲みながら思い出を語り合ってもらおうと企画された。

 四十年ほど前からの常連という横浜市保土ヶ谷区の会社員(65)は「野毛は落ち着きや親しみがある。好きな人はこれからも来るよ」。ラリーを主催した「野毛を楽しみ面白くする会」の沖浦公隆代表(62)は「これをきっかけに野毛の魅力をもっとアピールしたい」と話していた。

 
■[発車の瞬間]MM線が運ぶみらい/2 失う人々−−東急線廃線 [毎日]
 http://www.mainichi.co.jp/area/kanagawa/news/20040129k0000c014003000c.html

 ◇発車(はっしゃ)の瞬間(とき)

 ◇横浜―新高島―みなとみらい―馬車道―日本大通り―元町・中華街

 ◇街につらい1ページ−−「環みなと」で飛躍を

 10人でいっぱいの店内に白い湯気が立ち上る。数分おきに響く電車の通過音がBGMだ。東急東横線高島町駅ガード下の「高島そば」は30日、40年の歴史に幕を閉じる。みなとみらい(MM)線開通に伴う東横線横浜―桜木町間の廃線で、高島町、桜木町の両駅は姿を消す。「本当は続けたいが仕方ない。時代の流れでしょう」と店主、大竹道郎さん(81)は語る。

 「昔は市電の停留所があり、高島埠頭(ふとう)から大島行きの客船も出ていた。かけそば1杯30円。港湾関係の人たちでにぎわっていた」と懐かしそうだ。どんぶりを抱えた客が外にあふれるのが日常だった。「今の気持ちは……。何とも言いようがない」。静かにつぶやいた。

 MM線建設は85年7月、国の運輸政策審議会答申で決まった。東神奈川駅で国鉄横浜線(当時)と接続し、横浜駅を通らずにMM、元町付近に向かう構想だった。ところが同年、国鉄の民営化が決まる。国鉄の新線計画はすべて凍結され、MM線との“縁談”は消えた。

 新しいパートナーは東急電鉄だった。条件は東京直通、支線不可。「支線では本数が限られる。東京と結ばれなければMMが新都心の機能を果たせない」(市都市計画局)。MM線事業の成否がかかった方針だった。

 「とんでもないことになった」。野毛地区街づくり会の小林光政会長(72)は、横浜―桜木町間の廃止を新聞報道で知った。87年6月11日だった。同地区は桜木町駅を“玄関”として栄える街だ。繁華街は飲食店が軒を並べ、ネオンが光る。にぎわいは夜更けまで続く。「東急廃線は野毛の死活問題!」「市説明会36分で流会」。当時の地区ニュースの見出しだ。揺れ動く地元の様子がうかがえる。

 しかし、88年に同地区は廃線に合意する。「野毛のつらさは市も分かっていた。市職員の誠意ある姿が地元を軟化させた」と小林会長は話す。

 いよいよ廃線が迫る。高架を含む跡地利用にも注目が集まる。「廃線跡を歩道にしてMMから山下公園への歩道につなげば各地域がつながる。MM線を横浜共生のスタートにすべきだ。各地域が協力して“環みなと”の意識を持ちたい。野毛もこれからが飛躍の時」。小林会長の未来に向けての提言だ。

 しかし寂しさは隠せない。「街にも人生がある。廃線は刻々と変化する人生の1ページ。寂しくつらい1ページだけど……。東急線にありがとうと伝えたい」

 31日午前0時44分、野毛の人々は桜木町発の最終電車に花束をささげる。【渡辺創】

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