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★ 日本政府はイラク戦争が始まる前から、戦争を支持するための難民支援を訴えた。ところが現状は、難民支援は8月でストップした。日本を始め、少なくとも戦争を支持した国は、その代償としてこれらの難民を受け入れる義務があるのではないだろうか。
2003/10/2掲載
中東担当: 佐藤真紀
ちょうどアンマンから難民キャンプに向かう車の中で、ローカルスタッフのムラッドがアラビア語の新聞を訳してくれた。
国連に難民認定されないソマリア人のグループがルウェイシェッドのUNHCR事務所を占拠していたが、焼身自殺を図ろうとガソリンを撒き火をつけた。2名が怪我をした。うち一人は40%以上のやけどを負い重体だという。
難民キャンプはヨルダン政府とUNHCRの合意の元、運営されてきたが、10月15日で契約がきれる。ヨルダン政府は、一切難民を受け入れるつもりはない。難民に与えられた道はそれぞれの国籍にしたがって帰国するか、イラクに戻るかしかない。国連とヨルダン政府は、難民キャンプの始末を巡り交渉を続けているが、いまだに話し合いは平行線をたどっている。
すでに5ヶ月以上を経過したキャンプのテントはぼろぼろである。ルウェイシェッドは砂漠の真ん中で、時たまやってくる砂嵐にキャンプの住民は悩まされている。ちょっとしたプレハブ住宅くらい建てればいいのにと思うのだが、なぜ、難民といえばテントなのだろう。
UNICEFも学校用テントを作ったが、登録している子どもたちは77名。しかしたった77名の子どもたちにも十分な教科書が供給されていない。アラビア語と算数、科学の教科書が新学期を迎えるにあたり届けられたが、二人に一冊程度だというのである。
住民の不満は国連機関に向けられている。
パレスチナ人のイプティサンは夫がヨルダン人だったが、イラクの芸術大学の博士課程で演劇学を研究していた。夫はすでに亡くなっている。戦争直後バグダッドのヨルダン大使館に問い合わせたら、「大丈夫、パスポートがなくても受け入れる」というので、タクシーをチャーターし、息子二人を連れてヨルダンにむかった。国境でタクシーを降ろされ、バスに乗せられた。連れてこられたところがこの難民キャンプだ。5ヶ月がたった。
彼女にとって、こんなテント暮らしは生まれて初めてのこと。精神的な落ち込みが激しい。周囲のテントの住民にも違和感を覚える。乱暴な人たちに思えて一人でキャンプの中を歩けないというのである。彼女のテントは国連の事務所のすぐ近くである。
「私にはああいった乱暴なやり方が理解できない。」
昨日のソマリア人の自殺未遂はさらに彼女を鬱状態にしたようだ。
最近彼女はJVCとCAREがやっている子どもたちの活動に興味を示し何かと手伝ってくれる。文化的なことにかかわっていないとやっていけないのだという。
イラクの復興ばかりが注目される中、国境での難民たちの生活はあまりに悲惨である。日本政府はイラク戦争が始まる前から、戦争を支持するための難民支援を訴えた。ところが現状は、難民支援は8月でストップした。日本を始め、少なくとも戦争を支持した国は、その代償としてこれらの難民を受け入れる義務があるのではないだろうか。
[2003/9/25]
佐藤真紀がバグダッドに入りました
佐藤は9月26日早朝ルウェイシェッドを出発、怪我の治療にアンマンに来ていたイラク人、ムスタファ親子とともに無事にバグダッドに到着しました。
アンマンで買い付けた白血病の薬も無事に病院に届けることができました。バスラ、モスルなどの病院も訪問する予定です。
http://www.ngo-arena.org/members/jvc/jvc.html