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★ エイドリアンのコメント:自分達の家族と子孫が持続的に快適に暮らせる環境を取り戻すことが観光立国の基本。
博多から水中翼船で釜山にわたり、江陵を経てソウルに至る旅をした。十八年ぶりの訪韓だったが、これまでの幾たびかの旅が、玄関と客間だけを覗いて帰っていたようなものだと気付かされた。
多雨の梅雨に泣かされていた九州を後にしたが、韓 国は昨年多雨に泣かされて おり、各地で決壊した堤防や流された橋梁の補修工事をしていた。ふと、それ以前に豪雨に泣いた北朝鮮を思い出した。
この十八年間で決定的に変わっていたのは山の姿だった。釜山から任川国際空港に至るまで終始注意していたが、ついに地肌を剥き出しにした山は目にとまらなかった。ソウルでは近代建築が陸続と誕生していたが大がかりな緑化計画が見て取れた。
山々は赤松を主体に、クヌギやハゼのような落葉樹や地をはう低木など多様な高中低木をまじえた緑化、つまり自然を呼び戻そうとするかのような緑化が進められたに違いない。逆にソウルの市街地で見た緑化の中には、檜のような常緑の巨大な成木を移植しており、忽然と林まがいの憩いの場を出現させようとしたかのような印象を受けた。そのいずれの緑化にも、強い意図や連帯感が読み取れそうに思う。
韓国はすっかり車社会となっていた。巨大なトレーラーから普通乗用車までさまざまな車がひしめき合っていたが、ヒュンダイを筆頭とする国産車ばかりで、日本車など外車は目にとまらなかった。是非は別として、ここにも強い意図が感じ取れた。
地下鉄にも乗った。木賃 宿にも泊まった。温泉街やさびれた炭鉱街、火田民と 呼ばれる焼き畑民の家屋や豪華な両班の家、あるいは中央市場や幾つかの古い集 落などでも時間を割いた。いずれでも守るべき文化は守られていた。この国では、若者の目にも大人が目指しているところが見えやすいに違いない。
守られていた食文化の下に、礼儀正しさを守っていた精気に満ちた若者が、あるレストランで、同じ料理をほおばる海外からの旅行 者相手に南北統一の夢を語り、目を輝かせていた。だらしなくズボンをはく高校 生やスカートを忘れたような女高生はもとよりジベタリアンも見なかった。
その点、わが国の若者は希望や精気を見失っているようだ。日本青少年研究所などが共同調査をし、二〇〇一年七月に、米、仏、韓、日の四カ国の若者に「二一世紀は希望に満ちた社会」か、と問い掛けている。わが国の若者は極端に悲観的な回答をしており、「とてもそう思う」と「まあそう思う」の肯定的な答えの合 計は三四%未満である。最高の米は八六%強、韓は七〇%強、仏も六四%近くあった。
きっとわが国の若者の目には確かな未来が見えていないのだろう。それは私たち大人が未来を見失い、社会や家庭や学校などで目的 喪失感や閉塞感を漂よわせているからではないか。
だからだろうか、東京は 東洋一の都市といわれながら観光収入では台北より少なくソウルの三分の一程度に留まっている。多くの先進地域では観光収入がGDPの八%ほどに達しているが、わが国は〇・五%程度に過ぎない。
世界に冠たるGNPを誇りながら、また海外旅行者 数では世界五位を占めながら、わが国は観光客など外国人の受け入れ数では世界の三五位に甘んじており、国際収支に占める観光赤字は昨年度で三兆六〇〇〇億 円に達している。
WTO(世界観光機関)によれば、世界の年間海外旅行者は世界総人口の一割を大きく超えており、今後も観光市場は年率四・二%の高成長を続け、一〇年もすれば倍増すると予測している。
資源小国のアジアの一員として、わが国は末裔をいかに誘うのか。早急に環境の世紀とか観光の世紀と見られる二十一世紀にふさわしい国家目標を掲げることが望まれる。私は、平和憲 法を全面に打ち出し、観光立国を標榜し、常に世界の多くの人々が集い、守りた くなる麗しき国を目指すべきだと思う。それがアジアの緊張もほぐし、安全保障上でも望ましく、経済的にも豊かに安定させる方向に違いない。[ライフスタイルコンサルタント 大垣女子短期大学学長]