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(回答先: 世界感覚の言語化 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 12 月 30 日 22:35:16)
闇の日本史
数と形
卑弥呼をたずねて・九州編
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/tv_kazu.htm
すみちゃん、こんばんわ〜
「数と形」サイトをつくった人、名古屋の考古者なんですけんど
根性あると思いました。
おらの人生上でのさまざまな人との出会いの印象なんですが
徳川幕藩体制の大黒柱だった、水戸藩・紀州藩・尾張藩の系譜をもつ
県の人はなんか根性があるという、実感があります。
もちろん、焼酎はお湯割りですけん。ありがとうございます。
村上龍が最後のロマン派とは、すみちゃんの読みもすげぇ〜
でも、すみちゃん、おれみてぇ幼少の頃から底辺の人間に
人間について教えてくれたのは、三島由紀夫です。
すみちゃんは「鏡子の家」あまり評価していないけんど
最後に登場する犬を連れた鏡子の主人。
あれだけで、おら納得。
「鏡子の家」は60年安保を射程に入れた作品だったと思う。
どうもうな犬こそアメリカであり米軍だったと思う。
おれ、1987年に埼玉のある町へ、無所属革新議員の選挙応援にいったときは
三島由紀夫「宴のあと」を読みながら、選挙運動やりました。
なんか現実の住民にアクセスする場合、
三島由紀夫とか高橋和己の小説は、おれにとって勉強になりました。昔の話だけんど。
「人間の畏怖」そして「他者の畏怖」というか
自分が料理材料のごとく、対象として見据えられていることを、うながしてくれました。
党派とか理論家はあらかじめ「大衆」なるものを想定して墓穴を掘ってしまうんですが
小説家の場合は最初から「大衆」など存在していない、と覚醒しているからかな。
わかるよ、すみちゃん。
80年代でロマンという物語は終わったんだよね。
居場所のない世界から、映画マトリックスの現実が誕生しているとしたら
これはたいへんだと思いました。
その意味で、おれは今、「電波がくる」「おれの脳はいじくりり回されている」といった
これまで狂気とされていた分野に関心があります。
おちが重くなってしまって、ごめん。