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(回答先: Re: Re:あちゃ〜 投稿者 彼方 日時 2003 年 12 月 19 日 17:32:05)
皆様の深く嗜みを持った美しい文章による御意見の開陳に眼を開かれる思いです。
実際軽いbakaには、到底適わぬ談議ですが、
>「男性の場合、頂に達するまでに、往々にして精神的なコントロールを要することがあるのではないかと思います。そしてその間一方的にコントロールをする状況においては、快楽に身を任せる状態になれない部分が生じる。」
この部分は、baka個人には「あったりー!」ですね。
また、
>「女性から見ると、男性がそれを望んでいるのではないかと感じることが多く、その結果女性は「贈与」するものとして振舞うのではないかと思います。そしてそういう状況においては、男性は、「贈与」されているという精神的な満足感の中で、実際の行為としてはただただ「贈与」することをしていることが多いように思われます。」
>「往々にして女性の方が「与えられる」時間が長いことが、女性が長くそこを彷徨う結果を作り出している一因なのではないかと、感じています。」
>「そのため、女性が好きな男性に身を委ねても、摩擦も直には伝わりにくいので最初の内は刺激がちいさく、相手との交流や愛撫が深まるにつれて、徐々に意識を快感の強まりに開いていくようになり、ゆっくりとクレッシェンドしてのぼりつめていくような形になるわけです。最初のうちに吐息や声が出ていても、エクスタティックになっているというより、唇や耳やうなじなどに対するペッティング(相手の声、眼差しなども関与)などから、これから、本格的に興奮しますよ、という感覚に半ば自己暗示的に導いているわけです。いわば、この段階は、ちょうど性交の前に、男性が視覚や触覚を通して勃起がはじまり、副交感神経が活発になりだして体の各部位が触れられることに鋭敏になり、これから挿入、摩擦をすればいつでも射精ができるようになる、という準備が整いつつある段階、と言えるわけです。」
これは、凄い!。「そうだったのかー。」と、いちいち思い当たること頻りです。
これで、今日から、bakaも...(意馬心猿、ゼウスの召使い程度と云っては、召使いに失礼かな)。