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新羅の朝鮮半島統一と“九州王朝”の参戦が与えた日本史への影響
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 15 日 19:16:47:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: ふーむ。そうですか。ところで話は変わるのですが、神話といえば 投稿者 スパルタコス 日時 2003 年 12 月 14 日 15:27:27)


スパルタコスさん、こんにちわ。
(新HNは辛そうなタコスといったHNで微笑ましいですね。まだスパルタクスのほうが親しみを感じます)


>支配を正当化するためなら、日向から神武天皇が大和に攻め込んだりする記述はまず
>くないですか?最初から大和の人間である方が都合が良いのでは。

 まず、明治維新までの天皇制の起源は、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗北した後に起きた国内の政治的変動で確立された政権に由来すると考えています。
 白村江で戦った日本側勢力は、百済と親密な関係にあった“九州王朝”だと推測しています。(遣隋使を送ったのも“九州王朝”と推測。新羅の朝鮮半島統一と“九州王朝”の参戦は北東アジアに大きな政治的変動をもたらした有数の歴史的出来事だと考えています)

 天皇の呼称自体は、壬申の乱に勝利した天武朝(673年)から始まったとされています。

 (天智と天武は兄弟とされていますが、日本書紀の記述そのものがどちらが先に生まれたで揺らいでいるくらいですから、血筋は別だろうと思っています)

 「日本書紀」が編纂されたとされる710年代(720年完成)ですから、白村江の戦い以降に起きた激越な権力の変遷を身をもって知っている人たちが支配層のなかにもいたはずです。

 事情を知っているものもいるなか、まったくデタラメな歴史記述は、軋轢を生み、「支配の正当化」につながらないものと推察します。
 ある時期は敵対していながら寝返ったものもいれば、負けても諸事情から支配層として生き残ったものもいるはずです。

 そういう経緯を持つ支配者連合が、中国や朝鮮半島と同様の律令制をもって新しく統治を始めようとしたのですから、歴史記述を通じてその正当性を明かにしたいと

大化の改新で殺されたとされる臣蘇我蝦夷もある地域の最高支配者(大王)であった(日本書記が天皇記や国記の保有を示唆)可能性が高く、壬申の乱も、最高支配者の地位をめぐる天智朝と天武朝の抗争だと思っています。

明治維新後も枢要な地位を占めた藤原氏は、律令制や統治技法に長けた百済の最高レベルの官僚(貴族)だったと推察しています。(“九州王朝”とも実懇の関係だったはず)

天智と天武は、どちらかが“九州王朝”でどちらかが百済王朝だろうと思っていますが、今のところその比定ができません。(なんとなく、天武朝が“九州王朝”ではないかと思っています。滅亡した百済からの渡来者が近江に住みついたことと天智近江朝のつながりや神武東遷記述からの推測です)


>それに、ずっと不思議に思ってたんですが、神武天皇が日向の勢力なら、なんで日向
>から熊野灘を通って伊勢に攻め込んだのでしょう。まず大分を征服して、次に福岡へ
>行って、その次に本土に攻めて来るのが普通でしょう。一体何を考えていたのか。一
>つずつ順番に征服するのが確実だし、戦国時代の大名でもそんな本拠地をすっ飛ばし
>た攻撃をした大名はいないと思います。海からだと危険を冒すだけなような。

神武は、日向→豊予海峡→宇佐(大分)→岡水門(たぶん福岡県東部)→安芸(広島)→吉備(岡山:ここで準備に3年間を費やす)→浪速(大阪)を経て大和(奈良)に入っているので、スパルタコスさんが提唱する段階を踏みながら東征を行っています。

日本書紀の「神代」を読むと、日本の支配に関して天津神と国津神のあいだに抗争があり、天意としては天津神の支配権が打ち出されているが、国津神がうまく支配しきれない状況が続いていたことが見えてきます。
天津神は渡来系で、国津神は土着系だろうと推測しています。
(スサノオも、いったん新羅に降りますが、「この地にはいたくない」と言って出雲に向かいます)

神武記も、「昔、タカムスビニミコトとアマテラスオオミカミが、豊葦原瑞穂国(日本)を祖先のニニギに授けた」とし、「暗い中にありながら正しい道を開き、この西のほとりを治めた」と支配の限定性を述べ、「代々父祖の神々は善政をしき、恩沢が行き渡った」、「しかし、遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村村にはそれぞれの長があって、境を設け相争っている」と嘆いています。
そして、側近が、「『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中に天の磐船に乗って、とび降ってきた者がある』と。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、ニギハヤヒというものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」と語ったことをきっかけに東遷を始めています。

「神代」は、渡来者が日本を支配する正当性を示したもので、「神武記」は、7世紀後半の“九州王朝”の東遷を大昔にスライドさせたものだろうと考えています。
(旧約聖書の創世記が現在の価値観の反映であるのと似たもの)

「天の磐船に乗ってとび降ってきた者」が新羅や高句麗からの渡来者を指すのか、百済からの渡来者を指すのかはわかりませんが、渡来者であることをイメージさせます。

たぶんですが、日向が出発点になったのは、露骨過ぎて百済とは書きにくかったという背景によるものではないかと思っています。“九州王朝”は、福岡か熊本の山間に本拠地があったと思っていますが、日向であった可能性もあるでしょう。そうであっても、大分・熊本・福岡など九州のほとんどが組み込まれていたと思っています。


※ 日本書紀の引用は講談社学術文庫「日本書紀(上)」を参照

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