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(回答先: 追伸 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 12 月 11 日 16:25:10)
Q太郎さん、レス有難うございます。
私などから比べると、随分深く密な警戒の網をお持ちのように感じます。
たかが私たちごとき…塵粒程度ですから、どう動こうとそれほど影響もないでしょう。そういう塵粒にも一回性の命があり塵粒自身に
とっては貴い。それを十全に生きることを、もし…警戒の網とか循環する思考が邪魔するならアホ臭いと想われませんか。
命を十全に生きるところからの直感が基盤だし。
私には思考の連鎖循環に、知らず自ら閉じ込められるところがありますから、時に自分の閉鎖的状況をぶち壊します。
書くものが外界と響き交わした言葉を失っていたら危ないから…。後ろを見ると観念の言葉ばかりは危ないと想っています。
時局に合う形で「王様は裸だ」「王様の耳はロバの耳」と言い続ければ、おかしいと感じる人は増え続けるでしょう。
それが相互形成的に増えた時が勝負かなと想っています。
悲観主義者も“彼ら”も、人間の生体や脳の可塑性を過大評価しているから、そこが弱点のひとつでしょう。臨界点はいつか来る。
“彼ら”自身が、自らの依拠した神話のままならぬ愚劣さに気がつくまで、私らが自分たちの乗せられた神話の愚劣さに気がつく
まで続くでしょう。何もしないという事ではなく、してもそうなる。しなければ用意は成立しない。
それまでは言い続け、たいしたことも無い塵粒も、十全な命を地球にさらしてこの一回性の生を生きたい。そんな程度です。
なお“恋文”が出ても、それがそれと理解されるか保証の限りではないでしょう(笑)、“彼ら”が鈍かったりして…私の文、思想に
魅力が無いことも大いに有り得ます(笑)
ではでは、またね。