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(回答先: Re: Re:儒教について 投稿者 知らない人 日時 2003 年 12 月 08 日 04:50:40)
知らない人さん、こんにちわ。
孔子の生涯や儒教の発展過程については、説明できるほどの知識をもっていないのでご容赦ください。
聖人として美化されて書かれた解説書より、孔子が生きた時代背景(春秋戦国時代)や言行録である「論語」を読まれるといいと思います。
儒教の発展については、孟子に続き、観照的な朱子学(宋時代)や実践的な陽明学(明時代)という大きな流れがあります。
日本で儒教が盛んになったのは江戸時代で、幕府が重用したのは朝鮮で主流だった朱子学です。
(反乱を起こした大塩平八郎は陽明学派に属しています)
儒教に関しては少ないとは言え解説書があります。
儒教的教義とイスラムの教義は、神の実在論をはじめ、共同体(国家)の経済的基盤が違うことから強調されることは異なりますが、共同体と個人の関係のあるべき姿を説き、強権的な手法に依存しないで統合と安寧を確保することをめざしていることでは共通点があると思っています。
(イスラムは遊牧・商業が経済的基礎で、儒教は農業が経済的基礎です)
イラクは、儒教をことさら持ち出さなくとも、イスラム的な価値観で現在の苦境を乗り越えることができる精神的基盤を持っていますし、それが生存条件や歴史継承性からもふさわしいと思っています。
日本が儒教が血肉化したものとされる律令制国家にならなかったのは、中国と違って、価値観が異なる周辺共同体(遊牧民)との恒常的な接触がなかったからだと考えています。定住農耕共同体と移動牧畜共同体では、土地や人々の関係性についての価値観が大きく異なります。その両者が陸続きで向かい合っていたのが、中国であり朝鮮半島です。
中央集権国家は、農村共同体を遊牧共同体から防御する合理的手法として確立し受け入れられたはずです。
日本は、そのような政治環境ではなかったので、分国国家(連邦未満の緩やかな連合国家)として明治維新まで歴史を刻むことができたと思っています。
日本に“開国”を迫った欧米諸国は、まさに、日本にとって夷狄だったわけです。
それゆえ、儒教が政治的実践課題となり攘夷論が湧き上がったのは自然の流れで、中央集権国家の必要性が自覚され、変則的な近代律令制国家日本につながりました。
しかし、儒教は近代主義に侵食され、日清戦争・日露戦争・韓国併合・第一次世界大戦・大東亜戦争と日本自身が夷狄(侵攻された中国や朝鮮にとって)になってゆきます。
今の人たちにとっての儒教は、古めかしく人々を縛る道徳的で強権的な教えというイメージになっているようです。
ことさら儒教に回帰しなくとも、現状の問題を解決できる価値観や手法は見出させると考えています。
(具体的な在り方は別として、儒教の根本である礼(社会秩序)と仁(他者への思い遣り)は重要だと思っています)