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『ちゃめ爺えずら爺さまに会いに行く』( http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/302.html )へのレスです。
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ちゃめ爺ちゃま、こんにちわ。
「A+B定理」の基本的な誤り(Bを構成するある要素がAに回帰する)についてはきゃべ爺さんが書かれていますので、別の視点から「A+B定理」を考えてみます。
この「A+B定理」をネタにするだけで、経済論理のほとんどが語れるかもしれません。
「A+B定理」:「財の価格は,A(賃金、俸給、配当)の部分とB(原材料、利子費用、減価償却費など)の部分から成るが,購買力として労働者に支払われるのはAに過ぎず,AによってBを購入することはできないので消費者は余分の購買力の供与を受けなければならない,つまり購買力を高めるためには信用を拡大する必要があるとダグラスは考えた」
● 「A+B定理」というヒラメキの背景
あまりにもちまちました発想が「A+B定理」という幼稚なヒラメキを真理であるかのように錯誤させたのだと思っています。
この錯誤は19世紀後半の米国では常識に近いもので、数多くの発券銀行が紙幣を増発(信用拡大)しそれなりの需要を支えるとともに破綻に陥るという経済事象として現れています。
「A+B定理」という“論理”的根拠ではなく、貨幣の不足が供給活動やその成果への需要を押し潰すという現実感覚に基づくものですが、「A+B定理」も、それに毛が生えたかどうかのいかがわしい論理ですから同じようなものです。
「近代」の特質である社会的分業とそれを構成する基本単位であるミクロ(企業などの経済主体)という総体的な理解がないまま、一ミクロが感じる喘ぎをそのまま理論化したものです。
社会的分業をイメージするときは、消費財供給ミクロと生産財供給ミクロという分業構造を基本にするとわかりやすいと思います。
(ストックがそのまま“消費”される建物や道路は消費財、有料道路や賃貸用建物は生産財と考えてかまいません。)
生産財は、機械設備や原材料など消費財を生産(供給)するための手段です。
これは、生産財の供給活動に従事している人たちは、自分たちが生産しているものを直接の需要対象とするわけではなく、自分たちが生産した生産財を消費財供給ミクロが手を加えることで生産するものを需要対象とすることを意味します。
「財の価格は,A(賃金、俸給、配当)の部分とB(原材料、利子費用、減価償却費など)の部分から成るが,購買力として労働者に支払われるのはAに過ぎず」という説明のBの要素である原材料と減価償却費は、生産財供給に携わる人たちに支払われた貨幣を含意するものですから、それらは、生産財供給ミクロにとって賃金・俸給・配当というAに相当し消費財の購買力になるものです。
Bの要素として残っている利子費用も、金貸しが神や仙人でもない限り消費財を必要とするので、消費財の購買力を構成するものです。
(配当がBではなくAに包摂されている所以はわかりませんが、Bに分類するほうがスッキリすると思っています)
このように考えれば、「A+B定理」の「AによってBを購入することはできないので消費者は余分の購買力の供与を受けなければならない,つまり購買力を高めるためには信用を拡大する必要がある」というのがまったく的外れであることがわかります。
「A+B定理」は、「近代経済システム」の基礎さえ理解していない人が思いつき的に発したものでしかありません。
A(賃金・俸給)とB(配当・利子費用)と分類し直すと、Bが退蔵されることなく消費に向けられるかどうかが購買力の不足を決する要因になります。
また、「A+B定理」の説明は、財の価格が供給者の“思惑”で決するかのような誤解に基づいたもののように感じられます。
財の価格に配当や利子費用を含められるかどうかも売ってみなければわからないものですし、賃金・俸給・減価償却費にも同じことが言えます。
それを否応なく実感させられているのが、ここ10数年の日本経済です。
● 購買力は不足ではなく過剰
お笑いの「A+B定理」が出たことを幸いに、その逆定理を提起し説明したいと思います。
「A+B逆定理」:「財の価格は、A(賃金・俸給・配当)の部分とB(原材料・利子費用・減価償却費など)の部分からなるが、AもBもほとんどが購買力となるだけではなく、一括して支払済みの機械設備費用を長年に渡って分割回収するという優遇措置があるので、消費者は余分の購買力を持つことになる」
端的には、減価償却費の問題です。
消費財供給ミクロが10億円の機械設備を購入したとします。
その機械設備を供給したミクロは、それを3ヶ月で生産し、受け取った売上代金で賃金や俸給を支払ったとします。これは、3ヶ月間に10億円の購買力が追加発生したことを意味します。
消費財供給ミクロは、10億円の機械設備を10年で償却するために1年間に1億円の減価償却費を財の価格に含めようとします。3ヶ月だと、2千5百万円です。
10億円と2千5百万円は較べるまでもなく需要>供給であり、消費財供給ミクロが期待する財の価格を超える購買力が存在することを意味します。
「A+B逆定理」に何か問題があるでしょうか?
しかし、現実は需要<供給だと考えられていますし、デフレ傾向は、需要額<供給量のギャップが拡大していることを意味します。
「A+B定理」よりも、「A+B逆定理」さらには「A+B逆定理」でありながら“購買力不足”という背理を示している現実の理由を見出すほうがずっと重要なのです。
前段で説明した「A(賃金・俸給)とB(配当・利子費用)と分類し直すと、Bが退蔵されることなく消費に向けられるかどうかが購買力の不足を決する要因」であることを併せて考えれば、Aの要素を含むとてつもない退蔵(購買力の潜在化)が現状のデフレ・スパイラルの根源的問題であることがわかるはずです。
これを、消費者の購買力が潜在化しているとも、再循環の供給活動に投じられない“余剰通貨”があふれているとも説明することができます。
需要=供給を意味するA要素の購買力が潜在化しているのは将来不安や所得分配の不適正が主たる要因です。
供給→需要を意味する再循環の供給活動に投じられない通貨が増えているのは、デフレ・スパイラルや「信用創造機能不全」が主たる要因です。
A要素の購買力が供給活動に従事することで得られるものであることを考えれば、供給→需要を意味する再循環の供給活動に投じられる通貨が増えていないことが最大の問題であることがわかります。
「A+B逆定理」に背理している現実は、今後発生する「世界同時デフレ不況」にも関わる大問題なのです。