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(回答先: 体験的「陰謀論」序説 投稿者 リーマン 日時 2003 年 10 月 28 日 10:00:21)
リーマンさん、お久しぶりです。
読みながら、英国人のあの病的な表情と甲高い英語を思い浮かべていました。
>イラク戦争の終盤であっしらさんが、「フセイン・アメリカ合作説なんて根拠が薄く
>て信じられない」と言う人達に理詰めで説明を試みようとされていましたが、「信じ
>たくない人はどれだけ証拠を出されても信じないんだからほっといていいんじゃない
>の。」と思っていました。
陰謀だけではなく、ほとんどの事柄を了解したり納得する決め手は直観だと思っています。
色恋沙汰と同じです。
どんなに理詰めで説明されても、心動かない相手には惚れられません。
もちろん、第一印象で心動かないからといってのちに惚れないというわけでもありません。第一印象を直観と思い込むとバチをかぶったり宝を取り逃がしてしまうかもしれません(笑)
(結婚相手やセックスパートナーは、理詰めや探究心でも受け入れることができると思っています。惚れた相手と結婚して、理詰めの部分でも納得というのがいちばんなんでしょうが...)
直観は、観念論哲学的に言えば理性と感性の融合的認識形態であり、神智学的に言えば、霊に支えられた魂の感覚だと思っています。
ですから、直観が誤っていたからといって嘆く必要もなければそれを非難することもできないと思っています。
(直観は自分が自分であるということですから、どうあがいても抜け出せないものです。理屈で自分を納得させようとしても腑に落ちないことは納得できないはずです。抜け出せるのは、自分が変わったとき(もしくは外的(感覚)世界が変わったとき)です)
直観が誤っていたことに気づいたりいろんな直観を経験するごとに徐々に直観の在り様が変化し、ある直観をしたときに自分が変わっていることに気づくというものなのでしょう。
「フセイン合作説」のフォローは、自分の直観を理性的に捉え直すいい機会になったと思っています。
他者の直観や理性から提起された内容で自分の直観の妥当性を見直し文章化するという過程を持つことはとても有用です。
直観はしばしば思い込みに閉じ込めてしまうハザードになります。
自分のために、いろんな視点から整合性や妥当性を再検討していたようなものです。
ところで、(文科系といいながら、あっしらさんの経済学の文章も時々ついていけなくなりますが、、)という内容が少々気になっています。
書き込みを終わったあとで、もう少しわかりやすく説明できたはずだとか、説明が足りなかったかもと思うこともありますが、レスポンスシステムということでそのままにしています。
誤りもあれば、波長の合わない説明もあろうかと思っていますので、何かを感じたときは、お時間が許す範囲で疑義や質問を軽く投げかけてください。
体験的「陰謀論」の展開を期待しています。