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BSE・鳥インフルエンザ・鯉ヘルペスの奇妙な関係 04年01月31日
レルネット主幹 三宅善信
▼牛肉消費の棲み分け
現在、世界的な規模 (註:といっても、食糧を思う存分に輸入できる豊かな先進国の中の話ではあるが)で「食の安全」というものが深刻な事態に至っている。まず、昨年(2003年)末から問題になっている米国産肉牛のBSE(註:牛海綿状脳症。いわゆる「狂牛病」)への対処をめぐる日米政府間の鍔迫(つばぜ)り合いである。長年、日本はアメリカから、牛肉の輸入自由化について圧力をかけ続けられてきた。その間、ショックを緩和するため、徐々に譲歩してゆくというお得意の戦術(註:1853年のペリー率いる黒船の来航以来、日本の対外交渉のスタイルは、いつも「too little, too late」である)を日本政府はとり続けてきたのである。しかし、いくらゆっくりと輸入枠を拡大して、そこで稼いだ時間で、日本の畜産を構造改革していったとしても、広大な牧場で大量の牛を放し飼いをするアメリカの牧畜産業と、一頭一頭の牛を牛舎内で穀物飼料を与えて育て、中にはビールまで飲まして霜降り肉にしている日本の和牛生産が、同じ「畜産業」という論理で競争できるはずもない。こと畜産に関する限り、日米のそれは「全く別の産業だ」と言ってもいいくらいである。
ここ20年間ほどの日米牛肉摩擦の経緯において、日本国内の消費構造においても、牛肉については、完全な「棲み分け」が行なわれてきたのである。つまり、政府(農水省や通産省)の無策を補う形で、食肉の国内消費の「二階建」化が進行し、棲み分けが行なわれることによって、アメリカからの圧力を吸収してきたのである。すなわち、国産牛肉は、超高級品としての霜降り肉黒毛和牛(いわゆる神戸牛や松阪牛と呼ばれるもの)に特化し、逆に、外食産業などには、安いアメリカ産中心(オーストラリア産他)の牛肉が使われてきたのである。その結果、今では、日本はアメリカ産牛肉の最大の輸出相手国となった。
▼もうひとつの9.11事件
そんな中で、ここ数年の間に世界の各地でBSE(狂牛病)が猛威をふるうようになったのである。本件の経緯については、2001年4月に上梓した『口蹄疫騒動と東西の歴史文化』や、2002年8月に上梓した『私企業の公的責任?:食肉偽装事件考』において、既に詳しく論述したので繰り返し述べないが、今から2年4カ月前に日本で初めてBSEが発生したとき、その発祥した牛が食べていた飼料がアメリカから輸入されたものであったにもかかわらず、米国は、アメリカの広大な畜産業にBSEが感染することを恐れて、日本産の牛肉の輸入を一切禁止した経緯がある(註:といっても、日本から米国への超高級牛肉の輸出は、年間わずか10トンにすぎないが)。また、日本国内でも、消費者の「牛肉離れ」が加速し、焼き肉屋等が大打撃を受けたことはまだ記憶に新しいが、その際、日本政府が実施したことは、食肉用に出荷されるすべての牛肉からサンプルを取ってBSEの有無を検査し、「特定危険部位」と呼ばれる脊髄や脳については、BSEの有無にかかわらず全面的に廃棄するという極めて厳格な検査体制を敷くことによって、消費者の信頼を取り戻したという経緯がある。因みに、米国同時多発テロが起った2001年9月11日の朝刊には、「日本で始めての狂牛病発生」という大見出しが踊っていた。ことを読者の皆さんはご記憶であろうか? ところが、このニュースの賞味期限は、わずか24時間もなく、翌日の朝刊は、あのショッキングな世界貿易センタービルへのテロ攻撃の記事で、かき消されてしまったのである。運命とは数奇なものである。
このたびのアメリカのBSE禍については、当然のことながら日本の農林水産省は、アメリカが日本向けに輸出する肉牛について、特定危険部位の廃棄は言うまでもなく、全頭検査を要求したのである。一方で、国内産の牛に全頭検査の義務を課しながら、もう一方で、アメリカから輸入される牛が全頭検査されないのであれば、日本の畜産農家を納得させることができず、また、とうてい日本の消費者の安心を得ることもできないからである。ところが、いつもダブルスタンダードなアメリカは、そのことに噛みついた。曰く、「BSEの典型的な症状である歩行困難や足のふらつきを確認した牛をのみ検査すればそれでよい」というのである。しかし、BSEの典型的症状である足のふらつきが見えた牛は、2,000頭に1頭の割合、つまり0.05%しか存在せず、食用肉牛の全頭(100%)を検査する日本と、0.05%のサンプリング調査だけで安全を宣言しているアメリカとでは、いかにも精度の違いが生じる。アメリカの言うことは、なんでも聞いてしまう小泉政権が続く限り、心配の種は尽きない。
▼常にダブルスタンダードなアメリカ
しかし、アメリカの言い分が解らないでもない。アメリカには現在3,500万頭もの食肉用の牛が飼育されており、BSEの疑いを持たれたわずか0.05%の牛を検査するだけでも、実際には17,500頭の牛を検査しなければならず、この数は、現在日本で飼われている牛(2万頭)の全頭検査とたいして変わらないのである。しかも、日本の食肉用の牛は価格が非常に高い(自動車一台よりも牛一頭のほうが高価)ので、仮にBSE検査のための費用を牛肉の価格に転嫁してもほとんど影響がないが、そもそも価格の安いUSビーフは、BSE検査の費用を転嫁されるともろにその価格に響くのである。そこで、米国政府は日本に対して言った。「統計学的には、0.05%のサンプリング調査で十分科学的な根拠がある」(註:この統計学上の理論は、日本テレビのプロデューサーによる視聴率操作疑惑が生じた時も、唯一の視聴率調査機関であるビデオリサーチ社が、「首都圏の千数百万世帯のテレビ視聴率を調査するのに、二段階無作為抽出したわずか数百世帯にモニター機を設置するだけで、統計学的にはほとんど誤差のない精度で視聴率を算出することができる」といったのと同じ統計学上の手法である)と言って、「われわれ(米国)のサンプル検査方法は、十分科学的根拠を有しており、消費者に阿(おもね)る日本政府の論理は感情論に過ぎない」と言ってのけたのである。
ここで、もし私が日本の農水省の担当者であったら、即座にアメリカに反論したであろう。IWC(国際捕鯨委員会)の長年にわたる「鯨資源の保護に関わる科学的根拠の話」の中で、十分にその数量が増えていることが科学的に証明されているミンク鯨についての日本からの再三にわたる(捕獲数が管理された中での)商業捕鯨再開の要請にもかかわらず、アメリカ代表はこう言ってのけたではないか。「捕鯨禁止に科学的根拠は不要である!」と…。つまり、(アメリカ人が神聖な動物だと考える)鯨に関しては、科学的根拠なんぞはどうでもよく、「鯨一頭たりとも獲らせない」というのがアメリカの姿勢であり、鯨については自国民の感情論を優先させながら、牛に関しては「科学的根拠に基づいて処理しろ」と日本国民の感情論を圧殺しようとしているのがアメリカ政府であり、このことこそ日本は国際世論に訴えかけなければならないのである。イスラム諸国も、問題の違いはあれ、方法論的には、常にアメリカのこのあり方を批判しているのである。
▼BSE騒動に乗じてデフレスパイラルを撃破
ところで、先ほど述べたように、この20年間くらいの日本の段階的な牛肉輸入枠の拡大は、日本国内のいわゆる「外食産業」というものを育成してきた。誰もが思いつく牛丼の吉野屋やハンバーガーのマクドナルドといったファーストフード店だけではなく、ロイヤルホストやスカイラークといったいわゆるファミリーレストランも、たいていは安価な外国産牛肉に頼って成長が支えられてきたのであるが、これらの中で、特にメニューのラインナップが米国産牛肉への依存度が高い吉野屋とマクドナルドが大きな打撃を受けているのである。一般に、アメリカ人は赤身の牛肉を好み、日本人は脂肪分の多い牛肉を好むと言われているが、それゆえアメリカでほとんど消費されない脂肪分の多い牛肉やモツ(ホルモン)の部位を安価で大量に輸入して、これらの企業は商売として結びつけたのである。さらにこの企業努力が、ここ数年のデフレ社会において、外食産業の価格破壊競争に火を点けた。牛丼を280円に値下げして価格破壊のきっかけを作った吉野屋、あるいは一時ハンバーガー一個の値段を65円にまで値下げしたマクドナルドである(註:あまりにも安価過ぎる食品は、かえって、消費者の信頼をなくすということも照明されたが…)。
という訳で、この20年間の日本国内には数多くの外食産業が勃興したが、それらのビジネスが儲かるということが判かると、たちまち複数の会社が参入してきて、当初のようなドミナントな状態(自由な価格設定により、うまみの大きい独占状態)を失った業界第一位の吉野屋やマクドナルドは、価格破壊競争に打って出ることによって、後発の競争相手を倒し、再び寡占状態を作り出すことを目論んだのである。そのデフレ不況の時代に、この戦略はある意味で成功したかに見えたが、同業他者同士の競争だけでなく他の外食産業まで巻き込んだ全面戦争へと発展し、価格破壊競争も、ある意味行き着くところまで行き着いて消耗戦の様相を呈し、自らの経営体質の弱体化(註:長年、日本マクドナルド社を率いてきたカリスマ創業者の藤田田氏が2003年末で日本マクドナルド社の経営とコンサルタントから全面撤退したことが象徴的である)というものをもたらしたのである。
しかし、長引く日本のデフレ不況は、消費者に低価格商品というものをすっかり馴染ませてしまったので、再度、値上げに踏みきった時に客が戻ってくるかどうかと、外食産業の関係者一同が案じて打開策を探っていたところに、今回のアメリカ産牛肉のBSE問題が生じ、安価な輸入牛肉なしでは、そもそも商売が成り立たなかったこれらの外食産業は、さらなる大打撃を受けたのである。このまま、米国産牛肉の輸入禁止措置があと何カ月が続けば倒産する会社が出る可能性すらある。しかし、この「ピンチをチャンス」にという考え方ができないであろうか? すなわち、BSE問題に責任を転嫁して、国産牛肉を使った高級牛丼や高級ハンバーガーに主力商品を切り替えるのである。曰く「松阪“ロイヤル”牛丼」とか「神戸ビーフ“超”ハンバーガー」と銘打った新商品を売り出して、BSE対策という大義名分をもって価格破壊のチキンレースから離脱するのである。これなら十分に消費者に対して言い訳も立つ。ひょっとしたら、かえって信頼すら得られるかもしれない。さもなくば、日本の外食産業は共倒れの本当の意味での“チキンレース”になってしまう。
▼都市と宗教と伝染病の三角関係
チキンレースと言えば、東南アジア産や中国産の鶏肉を輸入して成り立っている日本のKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)も大変な打撃を受けているのである。KFCに限らず、各種外食産業やスーパーで売られている唐揚や焼鳥用の冷凍鶏肉(註:家庭では、加熱するだけで食べられるいわゆる「半加工食品」)もその多くが海外(註:タイ、ブラジル、中国産で全体の9割を占める)から輸入されているのである。そこへ、東南アジア各国で鳥インフルエンザ汚染が発覚し、それどころか、今年になって山口県の採卵用の養鶏所「ウィンウィンファーム」でも鳥インフルエンザが発症したのである。このことは、日本の家畜産業に計り知れない打撃と消費者への不安をもたらした。
私がこれまで『都市と伝染病と宗教の三角関係』等において何度も論じたように、人類がその数百万年に及ぶ歴史の大半を過ごしてきた自然環境の下での血縁集団による部族社会から、約5,000年前、世界の各地域において同時多発的に突如、潅漑農業と都市文明が出現し、そのことが、今日われわれが“宗教”と呼んでいるものを生み出し、また、身分・法律・文字・税金等々あらゆる人類文明にとっての基本的な要素がその中で生じたと指摘したが、そのひとつの例として、都市化による人口の集積によって生じる伝染病の蔓延をいうことについても詳しく述べた。また、その伝染病との密接な関係において宗教も発展してきた(註:『出エジプト記』におけるユダヤ人の「過ぎ越しの祭」の例や、祇園祭における「蘇民将来」の例に見られる)のである。
現在の集約された畜産業は、牛と言わず、豚と言わず、鶏と言わず、すべて5,000年前に突如として人類が始めた都市国家での生活(註:囲い込まれた小さな空間の中に集積的に人々が暮らすことによって生じた水や食糧の大量供給と、ゴミや排泄物の大量処理の問題および、高密度化がもたらすストレスの上昇等)と極めて似た環境下にこれらの動物が置かれているのであり、そのことはすなわち、人類が辿ってきたのと同様、家畜にとっても伝染病という深刻な問題に常に晒されるということである。この際、牛丼にしてもハンバーガーにしてもフライドチキンにしても、いわゆる輸入食糧依存社会から脱却する必要があるのではないだろうか。
また、この50年間一貫して食糧自給率の下がる一方であったわが国(註:日本の食糧自給率は、G7諸国中、最低の約30%しかないので、もし戦争等の理由によって、輸入食糧の供給をストップされたら、たちまち日本人は餓えることになる)が、食糧自給率のアップということを真剣に考える時期になっているのではないだろうか。食糧問題に関しては、グローバライゼーションはある意味、国民の利益を損なう愚行である。ただし、食糧自給率のアップといっても、旧態依然たる日本の農家の権益を守るというものでは、当然、1億2,600万人の日本人の食を賄うことことなんかできないことは言うまでもない。高度に効率化した日本の第二次産業――しかも、近年の中国をはじめとする途上国の追い上げによって国際価格競争力のなくなった第二次産業――から大量に優秀な労働力の移転を行ない、農業法人を各地に設立して、かつて日本が奇跡的な高度経済成長を重化学工業分野において成し遂げた方法を大胆に導入して、日本の農業のあり方を根本から変えていくという時期に来ているように思う。
▼BSEと鳥インフルエンザと鯉ヘルペスの関係
そういえば、牛BSEと鳥インフルエンザの奇妙な関係に気が付いた。皆さんも十二支の方位盤を思い出してほしい。丑(うし)は北東の方角であり、酉(とり)は西の方角である。以前『桃太郎とは何者なのか?』で述べたように、何か超自然的な禍々しい力が働く信じられていたと「鬼門」は、艮(うしとら=丑寅)の金神(こんじん)から派生した恐ろしい伝染病の力をシンボライズしたもので、それ故、鬼は牛の角と虎柄のパンツを履いており、この丑寅に対する陰陽五行的対抗勢力として、桃太郎の家来である申・酉・戌(サル・トリ・イヌ)が想定されたと述べたが、十二支表を見ていただけたら判るように、BSEが問題になっている牛(丑)の方角と、鳥インフルエンザで問題になっている酉の方角を指し示した時、それとちょうど釣り合う形でもうひとつ巳(み=蛇)の方角が空いているのである。次に問題が何らかの新しい動物起因の伝染病が発生するとすれば、「風水」的には必ず巳の方角、これがコブラなどの毒蛇か何によるものかは判らないが、巳の方角に関係あるものではないかと予想される。そういえば、十二支では、この巳の隣は辰(たつ=龍)であり、この巽(たつみ=辰巳)の方角の二種類の動物だけが、体に鱗を持ったつまり水中に棲んでいる水と関係の深い動物なのである。
牛BSEと鳥インフルエンザと
鯉ヘルペスの奇妙なバランス
そういえば、「龍門」という黄河の激流を登りきれた魚だけが龍になることができる(註:『後漢書』の「李膺伝」に見られる「登龍門」)という鯉(註:だから、男子の成長と出世を願う「端午の節句」では「鯉のぼり」を揚げる)という食用にもなる淡水魚がいるが、今、日本全国の湖沼や河川では「鯉ヘルペス」(註:数年前にイスラエルから流行が始まった鯉だけがかかるヘルペスの一種)という実に深刻な伝染病が流行っているのである。ある湖沼や河川にほんの数尾鯉ヘルペスを患った鯉が混入するだけで、たちまち、その水系にいるほとんどの鯉が死んでしまうという非常に恐ろしい病気であり、現在のように、鮎の養殖等で各地の河川や湖沼に、本来の水系の違いを越えて稚魚の放流が行なわれるようになってからは、稚魚に伝染病を持った別の種類の魚が混じっている可能性がないとは言えないので、一切放流を全面禁止しなければならない。それでも、愚かな釣り人が「キャッチ・アンド・リリース」などと称して、いったん釣った魚をわざわざ湖に戻す愚行を繰り返しているかぎり、このような伝染病が蔓延し、気が付けば日本にいる鯉は鯉のぼりだけであったという笑うに笑えない話になりかねないのである。筆者は、鯉に限らず、鱒・鰻・鮎等の淡水魚の料理には目がないだけに、BSEや鳥インフルエンザに勝るとも劣らない日本の伝統的食文化に対する大いなる脅威と思えるのである。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-195.htm