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(回答先: Re: 私も近藤フアン 投稿者 かばさん 日時 2004 年 1 月 11 日 12:14:30)
なるほどです。
ガン細胞も生命主体の手の内という答えですね。
お釈迦様の手の内にある、ガン細胞かな。 うんと暴れ回るのもおとなしく消えて
行くのも自在なのは、ガン細胞が主体でなく、必要あってのことなんでしょうね。
意外と(というより、その方が当たり前なのかも)何もしないで癌に感謝している
人は苦しみも少なく死んでいけると言う話も聞きますし、なんと治ってしまうのも
多いといううわさもありますから。
前に「寿命があれば死ねない」という又聞き話を書きましたが、実はその寿命を
わざわざ短く出来るのではないか?とも考えたりします。
極端に言えば自殺ですが。
中に「服毒自殺」とありますが、これなら毒をもって死ねるから寿命を短くできる
わけです。
しかし、これも大きな目でみるとやはり寿命に含まれてしまうのかも?
いくら服毒自殺を図っても直後に誰かが訪ねてきたので、毒を吐かせたとか、
そうでなくとも致死量に達しなかったとか。
まあ、死ねなくともその分の苦しみはあるので、苦しみが長くて死ねないのも楽で
ないと。スパゲティ状態で長く生きるのもよし、それを嫌って何もしないで短命で
行くのもよし。
最後はもうどっちもよしだから、もがくもよしで「あなた好きな方法を選んでチョウ
ダイ」で終わりなのかな?