現在地 HOME > 掲示板 > 不安と不健康7 > 189.html ★阿修羅♪ |
|
肥満対策と国の介入
H15/10/23
長年日本で生活をしているために、アメリカに行くたびに違和感を覚えることが多いのだが、もっとも強く思うことは、アメリカ国民はなぜ太っている人が多いのだろうということである。二〇〇一年に発表されたアメリカ政府の報告によれば、成人の61%が太り気味か肥満であるという。=体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割り算した体格指数(BMI)が30を超える「肥満」は成人の約20%、BMIが25以上の「太り気味」か「肥満」の成人が61%=
20年間で3倍に
太ろうが痩せようが個人の嗜好の問題で他人がとやかく言うべきではないという批判もあるだろうが、肥満が心臓病や高血圧、高脂血症、糖尿病などの要因となっていることは周知の事実である。アメリカでは年間約30万人が肥満に関連した病気で死亡しており、タバコが原因の死亡者数が四十万人であることを考えると大きな数字である。二〇〇〇年の肥満による直接、間接の医療費は千百七十億ドルにも上るという。成人肥満の予備軍である子供たちについても、思春期までのアメリカの子供たちの13%が肥満であり、この数は一九八〇年の三倍である。
肥満や喫煙は個人の問題だという主張には私も反論するつもりはないが、それでも国家としてできること、すべきことはあると思う。しかし国家の介入が容易ではないことはイギリスの例からも明らかである。イギリスでは、喫煙、肥満が原因の病気治療と引き換えに、喫煙者や太り過ぎの人が国の医療サービスを受けるためには、禁煙や減量といった目標を掲げた「誓約書」を医師に提出しなければならないという制度を政府が提唱したが、それに対して医療関係者や患者団体から激しい非難が起きた。イギリスでは喫煙や肥満を要因とした医療費に毎年巨額の費用が国民の税金から使われているため、それに対する苦肉の策だったのであろう。イギリスでは成人の五人に一人が太り気味だという。
CMなどで誘惑
政府が及び腰になる理由には食品や飲料水業界からの圧力があるが、ほかにも難しい理由がある。まず基本的に肥満の要因は複数あり、一つだけ改善しても肥満は解決されないことだ。食べ過ぎや運動不足、労働パターンの変化等だけでなく、テレビをつければ脂肪の原因になる食べ物の宣伝広告がコマーシャルのたびに登場する。結局、肥満に取り組むためには食べ物、仕事、運動の方法を変えるだけでなく、私たちの生き方を変えることが必要になってくるだろう。そうなると、国民の生き方に国がどこまで責任を負うべきなのかという議論になる。さらに、肥満にならないように説得することは有益でも、すでに太っている人に汚名をきせることにならないような配慮も政策作りの難しい点である。特に階級意識の強いイギリスでは、上よりも下の階層に肥満の率が高くなっている。
肥満が健康に有害であっても、「個人の勝手」という反論は目にみえている。タバコを吸う自由に対して、煙のない空気を吸う自由を主張できる喫煙問題と違い「私の肥満はあなたの健康には害を及ぼさないのになぜ政府が介入するのか」となるだろう。
医療費を理由にすれば、「危険を承知で危ないスポーツをしてけがをする人にも、私の税金を使いたくない」という反論も容易にでそうだ。結局、人々は自由意志で生活の仕方や食べ物を選んでいる。だからといって、もはや政府介入の余地はまったくないのだろうか。第一に、本当に「自由意志」なのかが問題だと私は思う。
例えばテレビコマーシャルには肥満の下地を作る脂肪の多い食べ物が頻繁に映し出される。ファストフードやさまざまなスナック菓子に子供たちは抵抗できない。子供たちは健康に及ぼす影響やその成分を知るはずもなく、空腹に反応するだけだろう。結局、現代は自由意志とはほど遠い、知らないうちに嗜好を方向づけられてしまうような誘惑だらけの社会なのだ。
飢餓によって第三世界で多くの人が死んでいく中、飽食の先進国はローマ帝国とだぶってみえる。人々は過食し、食べた後で奴隷に長い羽の先端で、のどの奥を突付かせ吐き出してからまた食べた。そんなローマ帝国は傭兵のゲルマン民族に属国を取られ、やがてローマ帝国も奪われた。
商品表示を細かく
肥満の原因は複数あるだろうが、脂肪などを過剰摂取しなければ太りすぎることはあり得ないのではないか。そうであれば、政府は商品表示をより細かく義務付けるといった規制をするなど、逆風があってもすべきことはあると思う。現に、ニューヨーク市長はより健康的なライフスタイルのキャンペーンの一環としてアイスクリームなどに1%課税することを検討しているという。私の好物は納豆と豆腐である。伝統的な日本食を食べている限り、私や家族に肥満の心配がないのは幸いだと思っている。(アシスト代表取締役)
http://www.nnn.co.jp/essay/tisin/tisin0310.html#23