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「無理が通れば道理引っ込む」。世の中には、道理のないと思われることでも、無理に押し通してしまえば、それですんでしまうことがある。世の中はそんなことが多くて、昔の人はうまいことを言うものだと、つくづく思うことも多い。
しかし、そのときには、「無理が通れば‥‥」だなと思うのだけれど、何年かすると、その無理がたたって、やっぱり道理が正しかったことがわかる、ということもたくさんある、いや、そちらのほうが多いように思う。
1980年代の初め、インフレを抑えようとするレーガン政権の高金利政策のもとで、ドルは強くなり、円安が続いた。米国の貿易赤字は大きくなるのに、米国の通貨当局は、通貨供給量を管理することが最大の通貨政策という道理で、経済の実態とはかけ離れた為替相場を放置した。国際経済を担当する経済記者として、不自然なドル高円安に首をかしげながらも、「無理が通れば」ということかなと思っていた。米国がこの無理を維持できなくなって、ドル高を修正するプラザ合意で方針を転換するのは1985年である。
80年代の後半、経済特派員としてワシントンに駐在していたときに、東京から出張で来た後輩の記者が「日本の地価高騰はすさまじく、首都圏で家を買うなんて、我々の年代では不可能に近い」と言うのを聞いて愕然とした。サラリーマンが家を買えない、なんて状態が続くはずはないと思ったりしたが、その一方で無理が通ることもあるのかと考えたりもした。バブルの崩壊を実感するのは、90年代に入ってからである。
科学技術や工業文明の暴走に警告を鳴らし続けてきた槌田劭(つちだ・たかし)氏の近著『共生共貧 21世紀を生きる道』(樹心社)を読んでいたら、日本の狂牛病(BSE)パニックが続いている時期に書かれたエッセー(「狂牛病が考えさせてくれること」)のなかで、BSEの原因とされる肉骨粉を子牛が食べるようになったのは、乳製品を大量生産しなければならなくなったからで、「何がよい牛乳なのか基本的な価値を忘れたところから、起こるべくして起こった問題」と指摘していた。
無理は通ったように見えても、いつか道理に復讐されるわけで、欧州の無理が日本にも米国にも広がったことをみれば、牛肉や乳製品の大量生産という市場経済の内側にいる豪州にも広がると考えるほうが自然だろう。
食肉処理場に持ち込まれるものをすべて検査する「全頭検査」という日本の対策は、BSEがヒトのヤコブ病を原因のひとつをなくすという点で、有効な方策だと思うし、米国の圧力に屈して、食べ物の安全で譲るようなことがあってはならないと思う。しかし、それだけでなく、ミネラルウォーターと同じような値段でミルクが売られ、280円で牛丼の「並盛」が食べられるということが、どれほどの危険を潜めているのか、ということについても消費者が考える必要があるのだと思う。
トリのインフルエンザは、生産の集中が突発的な危機への対応力を難しくしている例だろう。トリの大規模生産のおかげで、戦後もっとも値上がりが少なく、物価の優等生といわれる鶏卵や鶏肉の恩恵に私たちは浴しているが、そこに重ねられている無理は、インフルエンザで現れただけでなく、ヒトの健康にも及んでいるような気がする。
「無理が通れば」という目で、世の中を思い返してみる、という無理を重ねてみると、イラクにたどり着く。短期的には、米国の無理筋が通っている面もあるが、いずれ無理は道理にお返しをされると思う。日本経済新聞の「私の履歴書」はいま、経済学者のガルブレイスを連載しているが、第2次大戦後の日本とドイツの占領にかかわったガルブレイスの認識が出てくる16回目を読んでいたら、興味のある記述があった。
「ドイツの戦後経済と占領軍の統治を見て感じたのは、軍隊は、意図がいくら良くても、経済復興へ向けて良い環境をつくるのにはふさわしい組織ではないということだ。ドイツ経済の運営を可能な限り早くドイツ人に戻すべきだ、というのが当時の私の意見だった」
まるで、いまのイラク占領のことだなと思いながら、読んでいたら、まさにその通りだった。
「私はイラク戦争に反対した。戦争終結後に続いている混乱を見ても驚かない。ほかの国を統治するのは無理な世界にわれわれは生きているのだ。今後イラクが早く復興していくようにするにはどうすればよいのか。その点で、日本とドイツの経験から学べることはあると思う」
ガルブレイスの記述は、そう続いていた。「ほかの国を統治するのは無理がある世界にわれわれは生きている」という見方は、大戦後の連合軍の占領政策にかかわった人の言葉として、重みを感ずる。
その「無理な世界」に、たいした武力も持たずに、進駐する自衛隊も無理筋であることは間違いがない。いずれ道理がお返しをすることになるのだろうが、それは自衛隊に対するゲリラ攻撃ということではない。相手から攻撃をされていないのに、攻撃されるかもしれないという疑い(それも誤りだった)だけで攻撃に踏み切った「不義の戦い」を支持し、それに加担することが、このところ小泉首相がよく使う憲法の前文にある「国際社会において名誉ある地位」からはどんどん離れていく、ということだ。
かつてバブル景気に日本が酔っていたころ、高すぎる株価の水準を正当化するために、いろいろなエコノミストが新しい理論を持ち出した。自衛隊派遣を正当化しようとする小泉首相の説明を聞きながら、それを思い出した。無理が通れば、道理は引っ込む。されど、引っ込んだ道理はいずれ元に戻る。
http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20040119.html
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★関連
共生共貧・21世紀を生きる道―大地に根ざし、もっとゆっくり、もっと小さく 槌田 劭 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434038028/
レビュー
内容(「MARC」データベースより)
もっと早く、もっと大きくと暴走する科学技術は、必ずや地球の限界、人間の限界に激突するであろう。生命自然の掟「共生共貧」にのっとり、大地に根ざした暮らしの知恵を学びながら、21世紀を生き抜く道を模索する。
目次
序章 自然に随順して生を楽しみたい
1章 二十一世紀に求められるもの
2章 心で結ばれる「食と農」を求めて三十年
3章 自然環境と向き合って確かな生き方を
4章 ミニ菜園の四季―小さな畑から
5章 自然の搾取か自然への信頼か―二十一世紀生存の可能性を求めて