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マハティール・モハマド著「立ち上がれ日本人」 --- 為替投機で破壊されたマレーシア経済
2004年1月16日 金曜日
◆「自由貿易」という圧カ
マレーシアは、日本が成功した要因をひとつひとつ発見していきました。それは愛国心、規律正しさ、勤勉さであり、能力管理のシステムでした。政府と民間企業の密接な協力も見逃せません。私たちはこれらのやり方をまね、文化をも吸収しようとしたのです。そして自他共に認めるように、マレーシアは他のどの発展途上国より大きく発展しました。マレーシアの急成長が、「ルック・イースト政策」を導入したこの20年と重なることは間違いありません。
2300万人余りの人口しか持たない小国が世界第!8位の貿易国に成長したことは、マレーシア人にとって大変な誇りです。マレーシア経済は他の国に較べて海外との貿易に頼る比率が大きいのですが、そこには危険な面もあります。私たちは貿易相手国に対してかなり開放的で、海外の商品は自由にマレーシアに輸入されているからです。国内産業保護の観点で輸入関税をかけるのは、わずかな品目のみ。マレーシアは日本と同様に、貿易は経済成長の基盤であると信じているためです。実際のところ、マレーシアの方が日本に比べて市場を開放しています。
1997年に西側の論理が私たちの経済を破壊するまで、私たちは現状に満足していました。政府が経済を完全に把握し、外国資本を導入するため税制を確立し、投資を刺激しました。メイド・イン・マレーシアの商品は国内外の競争力を維持できており、私たちはシステムを変える必要はなかったのです。マレーシアは多民族国家ですが、異なる人種間での経済格差があっても、積極的な差別是正措置をとることで人種の融和がなされてきました。
昔もいまも、欧州のスローガンは常に「自由貿易」です。19世紀、彼らは最大限の脅迫と軍事力を動員して、貿易のために東アジア諸国を開国させました。産品の代金としてアヘンを使うことを拒否されると強く反発し、各地に要塞化した貿易基地をつくりました。優れた軍事力で内陸地域に侵入し、生産晶の供給を確保した彼らは、やがて多くの貿易相手国を占領し、植民地としたのです。
すべては自由貿易の名の下に正当化されました。植民地政策から解放された今でも、東アジアの国々は欧米による自由貿易の要求にさらされ続け、いくつかの国には経済制裁が加えられています。彼らによって示された条件を全面的に受け入れないと、貿易を「自由」に行なうことはできません。軍事力で占領し植民地化することが、また一方的な条件を強制することが、はたして自由貿易と言えるのでしょうか。
他国と貿易をする際に、互いに取り決めた様々な条件を守らねばならないことは当然です。世界貿易機関(WTO)はルールに基づいた貿易のために設立されました。しかし現実にはそのルールとは、WTO加盟国の中でも影響力のある国のシステムに合致する行政やビジネス慣行にすぎません。彼らは相手国が自らの慣行に従うよう、とてつもない圧力をかけてきます。
権力を持った富める国は、相手国の行政組織や政治形態などをすべて調べ上げ、服従工作をします。動員されたメディアは、経済や政治に悪影響を与える様々な報道で、相手を不利な立場に追い込んでいきます。こうした常套手段でどれだけ屈服させても、彼らは満足することを知りません。
1998年、アジア通貨・金融危機の最中にクアラルンプールで起きた数度の小規模なデモを、外国メディアは誇張して伝えました。あたかもマレーシアで大規模な暴動が起こっているかのように、同じ映像を繰り返し繰り返し放映したのでした。それは、私たちに服従を強いるため西側が繰り返してきたことの、ほんの一例に過ぎません。植民地の終焉で小型砲艦はアジアから姿を消しましたが、経済的・政治的な圧力は現在も威力を発揮しています。西側諸国が私たちにとって大きな脅威であることに変わりはないのです。
◆新たなる「植民地化」の危機
東アジア諸国に対する西側の影響力の大きさは、マレーシア通貨危機に際して為替市場のオペレーションが存分に証明してくれました。変動相場制にしたことで、為替トレーダーは物品ではなく為替で「貿易」をしたので す。わが国の為替は商品として扱われ、単に売られたり買われたりするだけでなく、投機の対象となりました。悪いことに、投機はやがて市場操作に発展し、私たちの通貨は売り込まれて買い叩かれ、空売りは究極のレベルに達しました。
実物の通貨が取引されたならまだしも、そこには貨幣の影も形もない。為替トレーダーの仲間うちで、マネーゲームが展開しただけのことでした。彼らは架空の通貨を売り買いし、底値で買って利潤を上げ、巨額の儲けを得ました。銀行も同様です。
為替市場の出来高は実物の貿易市場よりも巨額に膨れ上がり、同時に彼らの利潤も膨れ上がりました。銀行は顧資をしなければ金利を払うことができなくなり、信じられない金額で企業が売買されました。通常、どんな政府にもできることではありませんが、当時はひとつのヘッジファンドが1兆ドルという大金を借りることができたのです。このため彼らの経営が立ち行かなくなったとき、世界経済に影響を与えることにすらなってしまいました。
マレーシアのような小国は為替の売買ごときで一夜にして国全体の経済を破壊されてしまう、という事実に私は驚愕しました。これまで「経済の優等生」として地道にやってきた私の国は奈落の底に突き落とされ、破産するしかないのでした。
そして、私たちに「助言を与え」「対外債務の支援にあたる」国際機関が立ち上げられました。しかし彼らのアドバイスは、状況をさらに悪くするだけでした。支援を受けるということは、経済的な植民地化が始まることを意味します。国際機関は財政状態に関する助言にとどまらず、政治的な信念まで押しっけてきました。一定の改革が行われない限り、支援は実行されないのです。
肝心の支援金は、外資系銀行に対する借金を支払うために消えていきました。外資系銀行から国際金融機関へと、債権者が替わっただけでした。借金の重荷は残り、それが永遠に続いていくのです。
行政機構は国際機関の支配下に置かれました。そしてその国際機関はといえば、豊かな国々の論理に支配されたものです。これではまるで植民地政策の繰り返しではありませんか。かつて西側諸国が「自由貿易」のために小型砲艦を差し向けたように、国際機 関が開国を迫っているようなもの主言えます。
ひとたび「開国」すれば、外国資本の巨大企業と銀行が雪崩を打って襲ってきました。小国の地場中小銀行や企業が、そのような巨大資本に太刀打ちできるわけがありません。公平な競争など、あるはずがないのです。中小企業は遠からず外国資本に吸収されてしまう運命にありました。
それでは外資系企業の猛攻に対して、政府はなぜ手をこまぬいていたのか。そもそも小国の政府は、外資系の巨大銀行や企業をコントロールする立場にないのです。自由貿易とは政府が関与しないことだ、と彼らは主張します。利潤を追求するためには何をしても構わないと、過大な要求を突きつける。その国の人々が無能だといっては、外国人労働者の受け入れを求める。外資系企業は自分たちの利益を追求するだけで、相手国が直面する失業問題や低所得問題を無視するのです。
植民地時代も同じことでした。旧宗主国は支配者であったにもかかわらず、植民地の社会問題には一切関心を払いませんでした。彼らはより多くの富を搾取しようと、人口 分布が変わるほど多くの外国人労働者を移住させました。そのために、やがて独立した旧植民地の国々は、経済的格差のある多民族・多宗教の国家となってしまいました。にもかかわらず旧宗主国は、困難に直面したこれらの国々に向かって、自らがかつて連れてきた外国人を不当に扱っていると冷淡に批判する。彼らはいとも簡単に、自分たちが行なってきた不公平な振る舞いを忘れてしまうのです。
もちろん私は、グローバリゼーションを否定するものではありません。しかしながらそれは、豊かな者の利益のためだけに存在するべきではない。関係諸国の利益だって、十分考慮に入れなければなりません。豊かな大国が、彼らの投資先に選んだ小さな国々に、社会・政治的な問題を巻き起こしてはならないのはもちろんです。当然といえば当然のことですが、残念ながらWTOなどの国際機関は、小国の利益を考慮していないのが現状でしょう。(P32−P39)
「立ち上がれ日本人」 新潮新書 マハティール・モハマド (著)
(私のコメント)
1997年のアジア金融危機において東南アジア諸国は経済的に再び植民地支配に脅かされた。実際多くの企業や銀行は国際金融資本に買収され、目に見えない形での帝国主義が復活している。東南アジア諸国はもとより中国や韓国も外資系企業がその国の経済の主体になっている。韓国も大手財閥五つのうち四つが外国資本に買収された。
日本も国際金融資本の包囲の輪が絞められ、銀行なども新生銀行、あおぞら銀行、東京スター銀行と次々と外国資本に買収され、そこと取引していた中小企業は次々と潰されハゲタカの餌食となってしまった。小泉首相が言うには外国資本が入ることこそ構造改革が進むと言うことなのだろう。
しかし外国資本に買収された外資系企業は果たして日本の為になっているのだろうか。むしろ日本独自の雇用慣行や経営手法は破壊され、能力制度や実力主義の名の下に社員達は酷使され、たとえ勝ち組といわれていた人たちでさえ、いつクビにされるか分からぬ不安定な社会は、その上の資本家だけが利益を独占できる、一昔前の資本主義そのままだ。
外資系企業ではたとえ経営者でも業績を上げられなければ、資本家達にクビにされる運命にある。従来の日本企業も外資系企業をまねて、ドライな経営手法を取り入れ始めた。はたしてこのようなドライな経営手法が日本人に合った経営手法なのだろうか。最近では人件費節約のために正社員からパートに切り替えた企業が増えて、会社員の雇用は不安定化している。
マレーシアのマハティール首相は大胆な為替管理を取り入れて、マレーシアの経済危機を乗り切った。以前にも日本の金融危機対策としてマハティールやタイのタクシン首相のとった政策を例にあげて提案した事があります。しかしながらこのような政策が日本で出来ないのはなぜか。マハティールやタクシンのような政治力のある政治家がいないからだ。3月10日の株式日記に次のように書きました。
2001年3月10日
先日はタイのタクシン首相の経済政策を紹介しましたが、今回はマレーシアのマハティール首相の金融改革を紹介します。マレーシアも97年のアジア通貨危機に見舞われ景気悪化と資産価格の下落に伴って不良債権が急増しました。金融システムの再建を進めるために98年に以下のような政策が取られました。
@公的資金による不良債権買い取り
A銀行への資本注入
B公的機関による債務処理交渉の仲介
私が常々主張しているのは公的資金による銀行が持つ不良債権の買取であり、銀行への公的資金の注入だ。ところが小泉・竹中内閣はなかなかこのような国際常識的な対策を実行しようとしない。アメリカやスウェーデンでもこの方法で金融危機を克服した。しかし日本では銀行を潰すことを念頭に政策を進めている。小泉首相はロックフェラーから圧力をかけられて日本の銀行をハゲタカに売り飛ばすことが仕事なのだ。
新生銀行に投資したリップルウッドは5年余りで1兆円の利益を手にした。これが小泉首相の言う構造改革の正体なのだ。日本でマハティールやタクシン首相のような大胆な政策を実行できる政治家がいないことが、日本の経済が不況から脱出できない原因なのだ。マハティールは97年末に起きた経済危機を98年には対策を打って危機を乗り切った。
国際金融資本は日本のマスコミに手を打って、誤った世論を作り出している。御用学者も評論家もみんな国際金融資本の手先だ。だから公的資金を使おうとするとモラルハザードだのと騒ぎ立てて政治家の手足を縛ってしまう。確かに銀行経営者の経営責任もありますが、むしろ大蔵省や日銀の誤った政策をマスコミはなぜ追求しないのか。彼らこそ国際金融資本に踊らされてバブルを作り出した張本人なのだ。