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(回答先: webマガジンen 2003年10月 「自然の仕組み」 槌田敦 [環境問題を考える] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 10 日 05:17:40)
http://www.ide.go.jp/Japanese/Ideas/Grad/wt_0303.html
高田美穂
今日、飢えに苦しむ人々は世界で八億人に達し、そのうち女性、子どもが大半を占める。毎日四万人の子どもが飢えに関連した原因によって死んでいる。最近ではマラウィやザンビアをはじめとする南部アフリカにおける飢饉が記憶に新しい。干ばつや洪水による穀物の不作、エイズのまん延で生産年齢人口が減少したことに伴う農業生産の低下などで、約一四○○万人が飢餓に瀕しているといわれている。
飢えや飢饉、そして死に至らしめる飢餓はいかにして起こるのか。その問題に取り組み、「エンタイトルメント論」という学問的に新しい枠組みを生み出したのが、ノーベル賞経済学者のアマルティア・センである。本稿では、飢えをめぐる学問的議論を、センのエンタイトルメント論を中心に紹介したうえで、筆者が世界食糧計画(World Food Programme=WFP)タンザニア勤務中(一九九九〜二○○二年)に経験した、タンザニア半乾燥地帯での飢饉の分析、そしてその飢饉に対する政府およびWFPをはじめとするドナーの対応について紹介する。そして最後に、途上国政府と国際社会がいかに飢饉の予防に取り組んでいくべきかを議論したい。
●センのエンタイトルメント論
飢えがなぜ起こるのかについては、古くからマルサスという経済学者によるアプローチが分析枠組みとして用いられていた。すなわち、人口の急激な増加、天候不順による食糧生産の減少のどちらか、または双方により、食糧の利用可能量が減る。それにより、飢えがおこり、深刻化すると、飢饉になる、というわけである。
この議論に真っ向から挑戦したのが、センのエンタイトルメント論である。エンタイトルメントとは、「ある個人の自由になる選択可能な財・サービスの集合」と定義される。マルサスが一つの経済全体の食糧自給可能性に着目していたのに対して、センは個々人が十分な食糧入手を可能にする条件を重視しているのである。個々人のエンタイトルメントは、その個人が生来所有するものと、交換を通じて獲得できるものの双方に依存している。市場経済では、個人のエンタイトルメントは、その人がもともと所有していたものの集まりと、それを交換することによって得られる財の集まりによって決定される。もし、この個人のエンタイトルメントが充分な食糧をまかなえなければ、飢えがおこる。すなわち、飢えは人の生来の資質が低下するか(病気による労働力の低下など)、あるいは交換エンタイトルメントが縮小するか(失業、食糧価格の上昇など)によって生じる。
●タンザニアの飢饉
タンザニアでは平年、穀物は自給自足できるが、一九九六年の天候不順による深刻な飢饉に見舞われて以来、その後の農業の回復が遅れ、追い討ちをかけるようにして、二○○○年も天候不順に襲われた。二○○○年の飢饉は、中央部のドドマ、シンギダおよびアルーシャ州の一部という半乾燥地帯に限られる局地的なものであった。一方で、南部高地、海岸沿いの州、および北部高地ではむしろ充分な降水量があり、通年よりも多い収穫であった。ところが、同年、タンザニアの北に位置するケニア、ソマリアでも深刻な雨量不足による農業不作に見舞われたために、タンザニア北部の余剰穀物はほとんどが、不法にケニアに輸出された。同年八月のタンザニア政府の調査の結果、特に貧しい地域での栄養不良状態は深刻であり、七万五○○○トンの食糧援助が必要と報告された。その当時、タンザニア政府の穀物備蓄庫にはわずか二万トンしかなく、しかも、南部にある余剰分の穀物を民間市場から購入するだけの資金がなかった。かくして、タンザニア政府は同年一二月にWFPを通して、ドナー国に支援を要請した。WFPは、ドナーからの資金を募り、タンザニア南部の余剰穀物を買い付けるとともに、国外からの食糧援助も受け、二○○二年一月から飢饉の最も激しい地域に緊急食糧援助を開始したのである。
●エンタイトルメント論とタンザニア
本来、ある特定の地域で食糧不足がおこれば、周囲の食糧余剰地域から食糧を調達すべきである。しかしながら、タンザニア政府の経済管理能力が弱いが故に、市場メカニズムが作用してしまうため、食糧が余剰地域から不足地域へ流れ込むとは限らず、むしろ高い価格がつけば国外にでも流出してしまう。緊急食糧援助を受けた、ドドマ、シンギダ州は、タンザニアの中央部に位置し、交通インフラも立ち遅れているため、商業活動も活発ではない。また、半乾燥地帯に属するため、慢性的な雨量不足に見舞われて、教育水準が最も低い貧しい地域なのである。市場における需要は、純粋な必要度や欲求を反映するものではなく、交換エンタイトルメントを反映する。交換すべきものを持たないもの、すなわち貧しい者は、多くの財・サービスを需要できないタンザニアの事例でみられるように、実際には北部、および南部国境沿いでは、食糧が余っていた。しかし、その余剰食糧は、タンザニア中央部に供給されず、より高く売れて輸送コストがかからない国外へと運び出されたのである。
●政府の取り組みと国際社会の
支援ここで大切なことは、過去の経験に学び、飢饉を二度と起こさないように、政府の取り組み、そして国際社会の支援のあり方を改善していくことである。タンザニア政府は、首相府に災害対策部を設け、食糧不足や災害が起こった際に、即応できる体制を強めていく方針だ。前述の穀物備蓄庫の強化も政府の課題である。しかし買い付けに充てられる予算が限られているため、実際の飢饉が起こった際に、民間流通市場から必要量に見合うだけの備蓄をするほどの財力はない。また、ドナー側も、緊急事態の際の対応には積極的だが、備蓄への支援には、あまり関心をもっていないようである。
国際食糧援助機関であるWFPは、繰り返し飢饉がおこる地域を中心にFood for work(FFW)というプロジェクトをNGOとともに展開している。FFWとは、地域の公共事業への労働提供に対する対価として賃金の代わりに食糧を支払うプロジェクトである。具体的には、小規模灌漑の修復、水供給システムの設立、備蓄倉庫の建設、植林などが実施されている。FFWのもうひとつの利点は、食料援助を実施する対象を決める際に通常は困難を伴う貧困層と富裕層の見分けが比較的容易となることである。FFWの場合、肉体労働に参加して初めて食糧が支給されるのであるが、裕福なものはわざわざ肉体労働に参加しないだろうから、コミュニティの中でも比較的貧しいもの達が受益する傾向が高まる。例えば、タンザニアのFFWの参加者の半数以上は、女性である。この他WFPは、トレーニングの一環として、乾燥に比較的強いソルガム(モロコシの一種)やミレット(キビの一種)の植付けの奨励、栄養改善の指導、なども同時に行っている。
飢饉は食糧「生産」だけの問題ではない。近年のタンザニア飢饉においても、国レベルの供給量は、全人口を養うに充分だったのである。それでも、局地的な飢饉がおこったのは、飢饉が頻発する地域に住む人々のエンタイトルメントが低く、食糧余剰地域から国外へ食糧が流出するのを止められなかったからなのである。センのエンタイトルメント論は、政府そして国際社会が飢饉に対処する介入を緊急支援だけに矮小化すべきではなく、日常的な開発の一環として取り組むべきであるという強いメッセージを放っているのである。
(たかだ みお/国連世界食糧計画職員、開発スクール八期生)