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デフレ解釈に区別を
H15/10/16
総務省が九月に発表した消費者物価指数によると、総合指数は平成十一年九月以降四年連続で前年同月の水準を下回り、生鮮食品を除く総合指数についても平成十一年十月以降三年十一カ月連続で前年同月の水準を下回ったという。デフレが経済全体を通して価格が下落することであるいう定義からするとあきらかに日本はデフレである。しかし日本の「デフレ」が話題になる時、多くの人々は時にいい加減に、そしてそれ以外はたいてい意図的にその言葉をごまかして使っている。日本の状態を示すデフレには、幾つかの異なる意味または解釈の仕方があり、それらを区別する必要がある。
価格が下落する時
一つ目の意味は物価指数で示されるような、経済全体を通して価格が下落することである。そしてこのデフレの原因は、製品やサービスの過剰供給か、消費の不足しかない。定価で売れなければ在庫を増やすよりも価格を下げて売るほうを選ぶのは当然のことだからである。しかし、日本の政府やメディアが「デフレ」対策というときは、これとは違って、土地、株価その他金融資産の価格が下落することである。そしてその対策とは、地価や株価をいかに上げるかということなのだ。
地価や株価はバブル時代のピークから大幅に下がり、二〇〇〇年度までに日本の土地と株式の総額は約千五百兆円下落したといわれている。それらの金融資産は、銀行、保険会社その他大企業の貸借対照表の主要な構成要素である。しかしここにきて日本政府が持ち合い株式への時価会計を導入したため、銀行や保険会社、その他大企業は株価や信用格付けが下がり経営危機に直面するところもでている。簿価会計に戻すことは日本の会計への信用を国際的に失墜させると政府は言うが、ドイツもフランスも持ち合い株式に時価会計は使ってはいない。
負債を納税者に転嫁
この「デフレ」に対する政府の対策は五月のりそなグループへの対応をみればわかるように「金融危機をもたらす可能性があれば、ちゅうちょなく(公的資金を注入)する」(竹中経済財政・金融相)、つまり失われた金融資産の価値を納税者に負担させるというものである。この政策は銀行が金融バブルの時代に作った投機の負債を納税者に転嫁するものであり、その一方で製品やサービス価格の下落というデフレには何の解決ももたらさない。これは日本という国が金権主義になってしまった結果だと思う。国民が直面するデフレに対する方策はなにも打たず、銀行や大企業のために株価や地価を上げることに政府は奔走している。なぜなら大企業が御用学者を雇い、政治家に政治献金を行い、官僚に天下り先を提供しているからである。
さらにここにきて日本経団連会長は「賃金を現状維持にするか、賃下げに踏み切らなければ日本企業が国際競争力を失うことを理解すべきだ」と主張している。ある学者は「賃金も製品と同じで、安くて良質なものに需要が集まるのは当然だ」と指摘する。しかし考えてもみてほしい。日本の労働者を解雇してすべて安い海外の労働者を使うようになったら、日本という国はどうなるのか。競争力強化のために企業が賃下げや海外シフトを行い、競争に勝利した暁には、空洞化した「日本」には何が残るのだろう。
世界市場では衰えず
これに加えて、日本のデフレのもう一つの意味を考えてみたい。日本国内でおきているデフレを、世界という市場全体からみるのである。日常の生活を考えるとき日本の経済は円ではかるが、世界で見るために国際通貨のドルに換算し、日本対世界のGDPをみるのである。日本経済のピークは一九九七年でGDPは五百二十三兆円だったのが二〇〇二年には4%減少して五百兆円となった。しかし同時期、円はドルに対して8%上昇した。つまりドルに換算すると日本経済は4%成長となる。さらに同時期、世界経済は8%成長で、そのうち日本の占める割合(ドル)は14%から13%に下がっただけなのである。円ではかった日本経済は六年間に4%下落したが、世界経済における日本のシェアはほとんど減ってはいないということができる。
これは、日本は国内経済において製品とサービスのデフレという問題を抱えているが、その一方で世界経済においては衰えてはいないということだ。先ごろ来日したアメリカ財務長官は日本に対してデフレを克服するよう圧力をかけた。またIMFは日本のデフレ対策として金融機関の不良債権問題を早く解決するよう要請している。私の結論をあてはめれば、日本経済が世界経済の足を引っ張っているという彼らの主張は、日本の資産を金融海賊の手に渡すための意図的な嘘だということを示している。(アシスト代表取締役)