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(回答先: ↑「」内は、東北電力社長の言葉です。(件名のみ) 投稿者 シジミ 日時 2003 年 12 月 19 日 23:03:06)
昨年12月、日本では原子力発電所の建設計画が相次いで凍結や断念に追い込まれた。ひとつは「巻(まき)原発」(新潟県巻町)、もうひとつが「珠洲(すず)原発」(石川県珠洲市)だ。珠洲原発は、建設計画浮上から28年、立地可能性調査着手と中断から15年を経ての計画断念、その間に建設反対派と賛成派の対立で市は引き裂かれてしまった。しかし、こうした町にしたのは誰なのだろうか。
そもそもの発端は、1975年11月に珠洲市が原発立地可能性調査の要望書を国、県に提出したことである。そして、関西電力(大阪)と中部電力(名古屋)が、北陸電力(富山)と共同で、原発を各1基(出力135万kW)ずつ建設する計画が立てられ、市長や市議会は地域振興のため原発建設を推し進めた。
計画が明らかになると、地域の労働団体や漁業組合が中心となって「珠洲原発反対連絡協議会」が結成され、市や電力会社に対して原発建設反対を申し入れたり、市長選挙に候補を出すなど運動は盛り上がった。その結果、1989年5月には電力会社が強引に着手した建設可能性調査を中止に追い込むことができた。
その一方で、中学生対象の発表会で原発問題を取り上げる生徒の参加が拒否されたり、公民館が原発関係の講演会開催を拒否するなど、対立は深くなっていった。また、市長選挙が不正発覚で無効になったり、それを受けた選挙で市幹部が公選法違反の容疑で逮捕されるなど市政も混迷を続けた。
ところが、原発建設について「住民合意を最大限尊重する」とした谷本正憲石川県知事の誕生により建設に向けた動きが停滞する中で、地元紙は原発計画断念を伝えた。3電力会社の社長が珠洲市に「凍結」を申し入れる3ヶ月前のことだった。「この28年は何だったのか…」賛成の立場から地域づくりを推進してきた人物は、新聞社のインタビューにこうつぶやいたという。28年におよぶ対立は住民や市政に混乱や疑念を招く結果となった。こうした対立について、電力会社は責任を取ろうとしないが、引き裂かれた町の修復に当事者としてサポートすべきではないだろうか。日本にはこうして引き裂かれた市町村がいくつもある。
日付 2004-01-21
筆者 山ア 求博
媒体 寄稿
団体名 足元から温暖化を考える市民ネットワーク・えどがわ
http://www.enviroasia.info/japanese/index_j.php3?status=n_view&w_num=1278&c_cd=J