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寺島実郎の発言 過剰な中東依存脱却のために日本は「原発技術立国」を目指せ 【三井物産のための寺島実郎発言】
http://www.asyura2.com/0311/genpatu1/msg/195.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 09 日 11:56:53:dfhdU2/i2Qkk2
 

過剰な中東依存脱却のために日本は「原発技術立国」を目指せ

小学館『SAPIO』2003年6月25日号掲載SIMULATION REPORT記事
 

 この夏、首都圏を襲うといわれている電力危機。その呆れるほど脆弱な我が国の電力事情に追い討ちをかけるかのごとく、石油を取り巻く国際情勢が変わりつつある。石油自給率がほぼゼロである我が国において、もし、何らかのアクシデントによってその供給がストップしたら・・・・・・。中東依存率約90%の特異な状況にある日本。この、ライフラインの根幹であるエネルギーに対する危機管理の甘さは、日本の未来に暗い影を落とすことは否めない。今後の日本のエネルギー政策の歩むべき道を、寺島実郎氏に聞いた。

 日本のエネルギー安全保障を考える時、まず念頭に置いておかなければならない数字がある。それは、現在、日本が消費している石油の中東依存度が88%もの高率になっていることだ。
 トイレットペーパーの買い占め騒ぎなどが起った1973年の第一次石油ショックの時ですら、78%である。その後、供給源の多角化に努力し、60%台にまで下げたことがあったにもかかわらず、いつの間にか石油ショックのときより10ポイントも上昇してしまったのである。
 これは世界の先進国の中できわめて特異な状況である。
 たとえば、アメリカの場合、石油の中東依存度は約20%にすぎない。40%は自国で産出した石油でまかない、残りは北中南米から輸入している。あまり公に語られることがないために、「hidden agenda(隠された戦略)」と呼ばれているが、実はアメリカは、米州圏内でエネルギーを自給しようという明確なエネルギー戦略を持っているのである。
 湾岸戦争の頃、ペンタゴン(国防総省)の人と議論していると、「先月まで哨戒機に乗ってアラビア湾やホルムズ海峡の上を警戒していたが、下を通るタンカーは全て日章旗を掲げていた」と嫌味をいわれたものだ。それほど日本の中東依存度は高い。
 今回のイラク戦争後の石油管理を見ても明らかなように、アメリカ系の石油メジャーは中東に権益は持っているが、こと自国での消費に関していえば、アメリカはさほど中東には依存していない。かりに中東から物理的に一滴の石油も入らなくても困ることがないように、盤石の手当てを施しているのである。
 イギリスは北海油田という自前の供給ソースを持っている。フランス、ドイツは中東依存度が高いものの、現在、中央アジアで開発中の油田のパイプラインが全てヨーロッパに向けられていることが示すように、やはりエネルギーの安全保障に関して明確な戦略を持ち、リスク分散を図っている。
 日本だけがなぜ、戦略を欠き、中東依存度を高めてしまったのか。それは、この10年で進行した石油のコモディティ化(商品化)が原因だ。金融商品などと同じように、「石油ももはや、OPEC(石油輸出国機構)が価格カルテルを組み、消費国がIEA(国際エネルギー機関)のような仕組みを作ってそれに対抗するといった国際政治のパワーゲームの対象ではない。市場原理に基づいて売買される国際商品のひとつにすぎない」という時代潮流、これがコモディティ化ということだ。
 東西冷戦が終わり、90年代に入ると、このコモディティ化の流れに日本は巻き込まれ、少しでも安く石油を入手すればいいという考えに大きく傾いてしまった。
 油田を始めとするエネルギー開発プロジェクトは、実際にエネルギーが供給されるまでに少なくとも10年はかかり、その間数千億円もの先行投資を必要とする。そんな時間も金もかかる話は後回しにして、とにかく1セントでも安く石油を入手しようとすれば、現状では超大型タンカーを数珠つなぎにして中東から持ってくるのが一番いいというところに落ち着く。
 その結果、エネルギー安全保障の戦略がないがしろにされ、中東依存度88%という、異常な事態を招いたのである。
 これがいかに危うい状況であるかを認識しなければならない。
 私はこれまでIJPC(イラク・ジャパン・ケミカル・コンプレックスプロジェクト)を始めとする大型エネルギー開発プロジェクトに関わってきた。その経験からいえば、石油というのは、大国の思惑、陰謀が錯綜し、人の生き死にまでがかかった壮絶な国際政治の戦いの世界である。とても綺麗事で語れるものではない。
 しかも、ひとたび中東情勢が不安になれば、途端に日本の石油供給は危機にさらされ、しかもその危機に対して自力では何もできず、アメリカの軍事力に頼らざるを得ない。日本が石油を安定的に確保するのがいかに大変か、そして、いかにアメリカに急所を押さえられているかがわかるはずだ。

 原子力の平和利用技術でイニシアチブを発揮せよ
 では、この危うい状況から脱するためにはどうすればいいか。結論的に私の意見をいえば、過剰な中東依存から脱却し、日本の総合エネルギー安全保障を「絶妙なバランス」の上に成り立たせる戦略が必要である。
 もちろん、省エネルギーや、太陽熱、風力といった自然エネルギーの活用などに関し、日本は世界のどの国よりも高い技術を持つよう努力すべきだ。しかしながら、現在の経済活動レベル、生活レベルを維持しようとするならば、そうしたものでまかなえるエネルギーは、かりに血のにじむような努力をしたとしても、全 消費量の最大でも10%程度であろう。
 また、化石燃料のなかでも天然ガスへの依存度を少しずつ高め、逆に石油への依存度を少しずつ落としていくことも必要だ。だが、それでも「絶妙なバランス」には不十分である。
 となると、やはり原子力と正面から向き合わなければならない。現実にいま我々は、全エネルギーの15%から20%を、電力に限れば40%を原子力でまかなっている。その現実を冷静に見つめ、それを戦略的に位置付けるよう腹をくくるべきなのだ。
 断わっておくが、私は原子力の軍事利用、つまり核兵器の開発には反対であり、日本はあくまでも非核平和主義に徹すべきだという意見を持っている。だが、原子力の平和利用に関してだけは、日本は世界のどの国よりも技術と技術者の層が厚いという状態を作るべきだと考えている。
 一般的な原子力推進派の人はよく「原子力は環境に優しく、コストも安い」というが、私はそういう論理で原子力が大切だといっているわけではないし、そもそもその論理は間違っている。原子力は、確かにCO2汚染はもたらさないが、万が一チェルノブイリのような事故が起これば深刻な放射能汚染にさらされ、環境に優しいどころの話ではなくなるのは明らかだ。周辺住民との合意に10年も20年もかかって、ようやく発電所の建設に着手できる。しかも、稼動してからも、ひとたび事故が起これば運転を停止せざるを得ない――これではとてもコストが安いとはいえまい。
 にもかかわらず、私が原子力を推進するべきだと考える理由は、石油の過剰な中東依存から脱却するのにどうしても必要だからであり、なおかつ技術と技術者の層を厚くすることで、原子力の平和利用に関して世界の中で発言力を持ち、イニシアチブを握ることができるからだ。
 すでに原発を持っている、あるいはこれから開発しようとしているのは日本だけではない。つまり、原発事故が起る可能性は日本だけではなく、世界中の国にある。
 その時、日本に技術と技術者の蓄積がないのに、「運転を停止した方がいい」「安全性確保のためにはこうした方がいい」などと発言しても、技術レベルの低い国の発言に耳を傾けるほど世界は甘くない。
 反対に技術優位があれば、アジアの近隣諸国はもちろん、アメリカ、ヨーロッパに対しても発言権を確保し、原子力の平和利用に関して大きな国際貢献をすることができるのだ.
 そして、そのことを日本の総合エネルギー安全保障のひとつの中核にすべきなのである.
 いまの日本は輸出力で外資を稼ぎ、それを使って石油を始めとする化石燃料を大量に買っている。なにしろ1日あたり500万バレルもの石油を飲み込んでいる化け物のような生き物である。エネルギー資源の枯渇や環境問題が喧伝されているなかで、単に金をばらまき、大量に消費することが国際社会で果たしている日本の役割だとすれば、あまりに寂しいではないか。
 しかし、原子力の平和利用に関して技術優位性を確立すべき日本では、近年、その方向が逆に向かいつつある。原子力に対する、国民の不信感が高まり、若く優秀な技術者が浮足立っていて、情熱を持ち、人生をかけて研究に立ち向かうことができなくなっているのだ。
 現実に、東京大学大学院工学系研究科にある「原子力工学専攻」は、10年ほど前に「システム量子工学専攻」と名前を変えてしまった。学生が「原子力工学を専攻しています」と胸を張っていえる時代でなくなり、「原子力工学」と銘打っていては優秀な学生が集まらなくなってしまったのだ。これはきわめて憂うべき事態である.

 石油輸出国の決済通貨移行がエネルギー勢力地図を塗り替える
 最後に、イラク戦争後の石油をめぐる新しい国際情勢について述べておこう。
 イラクに対する国連制裁決議が解除されたことで、イラクが産出する石油をアメリカが主導して管理する仕組みができつつあるが、そのことは石油をめぐる国際情勢に大きな変動をもたらさざるを得ない。
 イラクは去年の実績で、日量350万バレルの石油を生産している。潜在的には日量600万バレルまで可能だといわれているが、かりに500万バレルまで増産されたとしよう。
 それによって得られる資金を復興や人道支援に使うとすれば、おそらく石油価格は急速に下落していくだろう。そのなかでイラクだけが突出して増産を続けたら、イラクはOPECの中で孤立し、脱退を余儀なくされる可能性も出てくる。もっともいえば、アメリカが離脱を促すのではないか―産油国の中には既にそうした疑心暗鬼が生まれているのである。アメリカに対するアラブ産油国の反発はますます表面化するだろう。
 すでにその反発は具体的な形を取って現われている。石油の決済通貨のドル離れ、である。イラク戦争後、石油売買をドルではなくユーロで決済する動きが急速に広まりつつあるのだ。
 これはエネルギーをめぐる国際情勢にとって重大である。
 湾岸戦争後、ドルは急騰したが、イラク戦争後、ドルは反対に急落しているのだ。あれだけアメリカが圧倒的な軍事力を見せつけ、戦争に勝利したにもかかわらず、である。世界の資産家のポートフォリオのバランスがドル一本かあらユーロの二本立てに移行しつつあることが低流にあるのだが、それに拍車をかけているのが石油の決済通貨のドル離れなのである。
 実は、その引き金を引いたのは、サダム・フセインだった。湾岸戦争後、イラクに対して経済制裁が下されるなか、1996年12月から国連の管理下で、人道物質の購入に限って石油の輸出を認めるという「石油・食料交換計画」が実施された。サダム・フセインは、2000年11月、その際の決済通貨をドルからユーロへと変えたのである。このことが、アメリカの怒りを買っていたのだ。
 OPECが産出する石油の45%が欧州に向かっているといわれるが、これがドル決済からユーロ決済へと変わればその意味は大きい。しかもそれは、アラブ産油国に限らず、プルタミナ油田を持つ世界最大のムスリム国家インドネシアにも波及している。
 石油価格の低落やイラク戦争におけるアメリカの圧倒的な勝利を見て、石油ショック以来30年ぶりに産油国から消費国へとイニシアチブが移ったと分析する人が多いが、話はそんなに単純ではない。
 実は産油国は決済通貨の変更という新たな手段によりイニシアチブの奪還を図っているのである。石油をめぐり、いま新たな戦いが始まっているのだ。だが、日本はそのことに気づいていない。これでは総合エネルギー安全保障などおぼつかないのは当然だ。
 今夏、首都圏に電力危機がやってくると見込まれている。東京電力の問題だけに終始せず、日本もまた、エネルギーをめぐる大きな国際潮流にさらされていることを認識し、そのなかでどういう総合戦略を持ち、どういう「絶妙なバランス」を追求する必要があるのかを議論すべきだ。 (談)
 
掲載論考・記事の無断転載を禁じます。
http://www.jri.or.jp/rijicyou/hatugen0307-3.htm
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シジミさんのご投稿を以下に再掲させて頂きます。
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調査報告/原子力発電所における秘密・日本の原発奴隷[EL MUNDO:スペインの新聞 2003.6.8]
http://www.asyura2.us/2us0310/bd30/msg/113.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 06 日 12:33:49:1VmSkkGasXps6

原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている/撮影:樋口健二


http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm


日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。 多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。

DAVID JIMENEZ 東京特派員
 福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、48時間で戻って来られる。2日後、この破産した元重役と、他10名のホームレスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登録された。
 「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が、特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部の温度と、湿気のせいで、労働者達は、3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。放射線測定器は最大値をはるかに超えていたため、故障しているに違いないと彼らは考えた。一人、また一人と、男達は顔を覆っていたマスクを外した。「めがねのガラスが曇って、視界が悪かったんだ。時間内に仕事を終えないと、支払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは回想する。「仲間の一人が近づいてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって」。
 この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。“仕事を受けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、さらに何千人もが癌にかかっている。

完全な秘密
 原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。いくつかの国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人はほとんどいない。やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。
 樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。樋口氏はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者である―、藤田氏は、彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に挑んでいる。彼らの意図は、70年代に静かに始まり、原発が、その操業のために、生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキをかけることである。「日本は近代化の進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるということも、世界は知るべきなのです。」と樋口氏は語る。
 日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
 常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。
 嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。
 嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。彼は29歳で亡くなった。
 原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレスたちを騙している。発電所は、少なくとも、毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、藤田教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると考える。
 最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことはほとんどない。原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12年間経済不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、一人あたり所得において、世界3大富裕国の一つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいものにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。そうでない者はホームレスとなり、公園をさまよい、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。

“原発ジプシー”
 原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知られるようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。「貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。
 日本の当局は、一人の人間が一年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100 mSvの値を大きく超えている。理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後、「彼らの健康のために」解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が、数日後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。そういうわけで、約10年間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。

長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では、彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。
 30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。おそらくそれ故、不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。東京の自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、東芝…」。

広島と長崎
 企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの中で、それは行われている。日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、一瞬にして5万人の命が失なわれた。さらに15万人が、翌5年間に、放射線が原因で亡くなった。数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
 あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにしたところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者1万人につき17人は、“100%”癌で亡くなる可能性がある。さらに多くが、同じ運命をたどる“可能性が大いにあり”、さらに数百人が、癌にかかる可能性がある。70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるのだろうか」。
 政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
 ホームレスは、間違いなく、そのような仕事に就く覚悟ができている。原子炉の掃除や、放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、一日で、建築作業の日当の倍が支払われる。いずれにせよ、建築作業には、彼らの働き口はめったにない。大部分が、新しい職のおかげで、社会に復帰し、さらには家族のもとに帰ることを夢見る。一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。
 多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射線を浴びたことを知られ、他の労働者に替えられることを怖れて、ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。「放射線量が高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ」。斉藤さんはそう話す。彼は、「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園のホームレスの一人である。

原発で働く訓練と知識が欠如しているため、頻繁に事故が起きる。そのような事故は、従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」と樋口氏は言う。一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。絶望したホームレスたちは、昼はある原発で、夜は別の原発で働くようになる。
 この2年間、ほとんど常に藤田、樋口両氏のおかげで、病人の中には説明を求め始めた者達もいる。それは抗議ではないが、多くの者にとっての選択肢である。村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病にかかった二人の原発奴隷は、雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、おそらく、殺すと脅されたために、それぞれの訴訟を取り下げざるをえなかった。

毎日の輸血
 大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
 労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。その時からも、ホームレスの募集は続いている。
 松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。


                         * * * * *
 この新聞は、インタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。なお、原文では、写真は全てカラーで掲載。
訳責:美浜の会

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