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地球産業文化研究所理事長  那須翔・・・
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 07 日 06:03:54:dfhdU2/i2Qkk2

地球産業文化研究所

理事長  那須 翔

 財団法人地球産業文化研究所は、地球的規模での資源・環境問題、新しい国際システムの在り方、産業・経済と文化・社会の新しい関係の在り方等に関わる総合的政策を提言することを目的として1988年12月に設立され、以来、研究成果を政府、産業界等に提言する等活発な研究活動を行ってまいりました。

 21世紀に入り3年目を迎えていますが、我が国を取り巻く内外諸情勢はますます厳しさと混沌の度合いを深めているように思われます。我が国経済は第二次世界大戦後先進国が初めて経験するデフレに苦しみ、「失われた10年」は依然重くのしかかり、少子高齢化問題は将来に大きな不安を投げかけています。冷戦の終結は、市場経済の全球的な拡大を通じて大競争時代を招来する一方、新たな民族主義の台頭等を招き、特に9.11テロ以降今般のイラク問題に見られるような憂慮すべき事態が生じるに到っています。また、IT化の進展は経済をダイナミックに発展させる可能性をもたらすとともに、迅速かつ広範な情報伝播を可能とし、人々の価値観を多様化させ、NPO等新たなプレイヤーの登場を現出しています。更に、地球容量の物量的制約はますます深刻化しており、気候変動問題を巡る国際交渉や昨年開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」等国際的取組みが加速化されるとともに、循環型社会の形成等如何に持続可能性(sustainability)を実現するかが焦眉の課題となっています。

 こうした地球規模での問題に効果的に対処し、人類が引き続き発展するためには、人類の叡知をできるだけ速やかに結集し、各国、各民族が協調して問題解決に当たることが、以前にも増して求められています。このような問題意識のもとに、本財団の活動が人類共通の課題に対してチャレンジする、誠に意義の深い活動であることを十分に認識し、全力を傾注してその使命を果たしていきたいと考えております。今後とも、関係各位の一層のご支援とご協力をお願い致します。

http://www.gispri.or.jp/gaiyo/chairman.html
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『私物国家』 広瀬隆著 から


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 第六章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工
 知られざるプルトニウムの軍事利用計画
 この終章では、隠れた官僚組織・電力会社の実態を紹介したい。
 原子力が持つ放射能の危険性については、他書で充分に説明してきたので、ここでは、原子力の軍事的利権を支配する構造と、高い電気料金の謎の裏にひそむ経済利権を中心に述べよう。
 九七年三月十一日に発生した東海村の再処理工場爆発事故と、八月二十六日に発覚した東海村の廃棄物ドラム缶大量腐食放置事件は、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と科学技術庁、自治体の茨城県の腐敗メカニズムを浮かびあがらせたが、ドラム缶以上に技術官僚と役人をここまで腐らせたのは、東京電力であった。
 東海村の事故では、動燃がマスメディアの批判にさらされたが、実際に、東海村再処理工場を運転してきた黒幕は、最大の電力会社・東京電力である。九七年現在、日本のすべての電力会社の連合体である「電事連(電気事業連合会)」の会長は、「東京電力」社長の荒木浩であり、彼が、高レベル廃棄物処分懇談会のメンバーとして、組織全体を統括してきた。
 再処理工場は、高速増殖炉”もんじゅ”のためにプルトニウムを取り出すことを目的としている。その東海村の再処理工場と、高速増殖炉の運転責任者が、やはり「東京電力」の取締役・電事連副会長から「動燃」理事長となった近藤俊幸であった。九七年には、この人物が頭を下げて陳謝する光景が、何度となくテレビに映し出された。
 さらに、三月の爆発事故の一週間後に、青森県・六ケ所村にフランスから第二回目の高レベル廃棄物が強行搬入されたが、六ヶ所村に日本全土の放射性廃棄物を集積し、プルトニウムを取り出す巨大な再処理工場を建設してきた「日本原燃」の社長が、やはり「東京電力」副社長から転じた竹内哲夫あった。この会社は、電事連が出資して設立したものであり電力会社の子会社である。
 そして国民にとって最も気がかりな、科学技術庁傘下の特殊法人”動燃の改革”について、東海村の事故直後、「第三者による動燃改革検討委員会」が発足して、検討がなされた。秘密裡に進められたその委員会の結論は、驚くべきことに、現状をすべて維持する、だったのである。
 すでに可能性ゼロと分っている高速増殖炉”もんじゅ”の開発に国税が大量浪費されることまで、この委員会によって改めて承認される、という手順が踏まれた。野村證券VIP口座に名前のあった科学技術庁長官・近岡理一郎が、それを受けて、公式にプルトニウム利用計画をぶちあげた。しかしこの委員会には、那須翔が最も大きな声の委員として参加していた。この時点で、経団連を動かす東京電力会長である。
 そのような委員会が、”第三者による”動燃改革であったと信ずるほど、国民は愚かではない。
 このように、いずれのプルトニウム組織にも、東京電力の影がある。
 それをまとめると、次のようになる。名前の次にある役職が、東京電力時代のポストだが、その下にあるのが、彼らのさまざまな履歴である。

 ━東京電力のプルトニウム支配体制━

 《東電の役職》
 平岩外四 会長
 《重要な履歴〉
 経団連〔会長〕
 一九八七年の国鉄資産処分審議会〔委員長〕として、旧国鉄債務二八兆円をつくった責任者。
 プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進リー
ダー。六ヶ所村に日本原燃を設立したときの電気事業連合会〔会長〕、すなわち最高責任者。
 泉井事件の石油公団顧問・日中石油開発監査役・アラビア石油監査役。
 東京二信用組合破綻事件で右翼・四元義隆と懇談の噂。

 《東電の役職》
 那須翔 会長
 《重要な履歴》
 動燃改革検討委員会委員として、九五年のプルトニウム高速増殖炉”もんじゅ”の事故と、九七年の東海村再処理工場爆発事故処理の責任者━何も改革しない改革案をまとめた直後、動燃のドラム缶腐食放置事件が発覚し、委員としての当事者能力ゼロを証明。
 経団連〔副会長〕。
 国家公安委員会委員。
 電気事業連合会〔会長〕。
 平岩外四のあとを継いで、プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進リーダー。

 《東電の役職》
 荒木浩 社長
 《重要な履歴》
 電気事業連合会〔会長〕
 プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進責任者。
 福島・柏崎におけるプルトニウム利用計画推進リーダー。
 高レベル廃棄物処分懇談会最重要メンバー。
 九六年十二月二十四日に自民党本部を訪れ、東北新幹線建設のための圧力をかけ、九七年度補正予算に、税金浪費の建設費を計上させた責任者。

 《東電の役職》
 近藤俊幸 取締役
 《重要な履歴》
 電気事業連合会〔副会長〕
 九七年三月十一日の東海村・プルトニウム抽出用再処理工場爆発事故および、八月二十六日に発覚したドラム缶汚染事故時の動燃〔理事長〕として、国家予算の流用・虚偽報告をした最高責任者。

 《東電の役職》
 竹内哲夫 副社長
 《重要な履歴》
 プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル基地を経営する日本原燃〔社長〕、すなわち最高責任者。


 東京電力は、なぜこのようにプルトニウムに固執するのか。また、どのようにして、このプルトニウム製造体制を、前述の三菱軍事財閥と連動させてきたのであろうか。
「日本の原子力産業は、軍事用のプルトニウムを確保するべきである」という考えが、日本の政界と財界に根強く残っている。その命題は、九七年五月二十二日に、ロッキード事件の若狭得治が全日空から退任するなり、会長に迎えられた「日本航空協会」という財団法人の人脈を抱きこんで進められてきた事業であり、かつてこの会長のポストを占めていたのが、前章の【系図12】に三菱財閥創始者・岩崎弥太郎に近い一族として登場した荘田泰蔵であった。
 前章の系図の301頁に示されるように、岩崎弥太郎の姪が、三菱財閥の番頭をつとめた荘田泰蔵の母である。その息子の荘田泰哉が、現代に、われわれの見ている前で、動燃の理事となって、福井県敦賀市の高速増殖炉”もんじゅ”の開発に旗ふり役をつとめてきた。いま示した東京電力のプルトニウム支配体制の背後にいる、日本の中枢一族である。
 荘田泰蔵は、戦後に新三菱重工の副社長となり、五三年十一月五日、経団連の防衛生産委員会に「誘導弾懇談会」という奇妙な名前の組織が設置され時、副会長に就任した。当時は、敗戦後であるため、国民のあいだに再軍備反対の声が強く、誘導弾という言葉を使うことさえタブーだった。そのため、彼らはそれを英語で表記し、誘導ミサイル(guided missile)の頭文字をとって、ひそかにGM懇談会と称していた。
のち、千葉県の農民の土地を強制的にとりげて成田空港を建設し、成田闘争をひき起こした最高責任者「新東京国際空港計画」委員長が、やはり荘田泰蔵であった。この空港建設にも、全日空の若狭得治と、荘田の結びつきがあったのである。
 三菱重工は、戦時中、長崎の工場を主体に、造船と兵器の製造で日本の軍需産業をリードし、そのため米軍が原爆を長崎に投下する悲劇を招いた。長崎にプルトニウム原爆が投下されたのは、三菱重工長崎造船所を破壊することが、アメリカ最大の軍事目的だったからである。
 また、三菱重工の名古屋航空機製作所は、一九三七年(昭和十二年)にロンドンへ国産機”神風”を飛ばした工場であり、それが原型となって、戦時中に海軍の戦闘機”零戦”が製作されたのであった。
 戦後、三菱重工の社長となった岡野保次郎は、このような歴史を持つ長崎の造船所の副所長と、名古屋航空機製作所の所長を歴任した問題の人物だったが、荘田副会長に従えるGM懇談会の会長が、その岡野であった。岡野もまた、前章の【系図12】に三菱重工支配者として描かれている(305項)。したがって、戦後の誘導ミサイル研究は、三菱重工を中心におこなわれてきた。
 戦後このように、朝鮮戦争終結後の間隙をぬって、日本の国防政策が大きく前に動きだしていた。
 GHQ支配下の日本で、これほどの再軍備計画が許されたのは、五〇年六月に朝鮮戦争が勃発して、アメリカが日本の工業力を利用しようと考えたためであった。そして開戦からほぼ半年後、五一年一月二十五日に国務長官のジョン・フォスター・ダレスが来日し、経団連内部に日米経済提携懇談会を発足させたのである。この会議は、名称に経済を掲げていたが、実質的には軍事提携のための懇談会であった。
 そこに出席した岡野保次郎は、戦時中の三菱での兵器製造能力を買われて、「朝鮮特需の受入れ」を策定する第二委員会で委員長に選ばれた。しかし岡野は、同時に、いまだに三菱重工の最高幹部でもあった。
 そして五三年の「誘導弾(GM)懇談会」の発足、翌五四年七月一日の防衛庁と自衛隊の発足を経て、五七年五月七日には、岸信介首相が、「日本は核兵器保有が可能である」と発言するまでになった。
 続いて六〇年に、児玉誉土夫らが右翼と暴力団を大量動員するなかで、国民の猛烈な反対を押し切って日米安保新条約(軍事協定)が調印されると、岡野と荘田は、ただちに三菱重工のための軍事計画に踏みこんでいった。
 岡野が名古屋航空機製作所の所長時代、右腕として立ち働いたのは、”神風”を設計し、”零戦”の生みの親となった技術者の河野文彦であった(【系図12】の302頁)。
 安保騒動の翌年には、その河野文彦が、解体された三菱重工の一社(三菱日本重工)の社長に就任し、続く六二年には日本兵器工業会の会長に就任したのである。翌六三年には、彼の上司だった岡野保次郎自身が、ロケット開発協議会の会長に就任した。このロケットは、勿論、ジュール・ヴェルヌの月世界旅行のロケットではなく、GM懇談会の彼が開発計画を練ってきた兵器用の誘導ミサイルのことであった。
 そして翌六四年、河野文彦が主導するなか、戦後一九五〇年に解体されていた三菱重工の三社「三菱日本重工(東日本重工)」、「新三菱重工(中日本重工)」、「三菱造船(西日本重工)」が合併をなし遂げ、ついに戦前の軍需財閥と同じ三菱重工が復活したのである。
 その時、彼らが誘導ミサイルの先端、弾頭部分にとりつける破壊兵器として選んだのが、皮肉にも長崎で彼らの工場を破壊した核兵器材料のプルトニウムであった。あるいは皮肉でなく、彼らにとって、”長崎の報復”という意志がこめられていた危険性も充分考えられる。
 合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保するため、それぞれが次のような分野を担当した。
 三菱日本重工の社長だった河野文彦は、日本兵器工業会の会長。
 新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵は、誘導ミサイル懇談会の副会長。
 その息子の荘田泰哉は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。
 三菱造船社長だった丹羽周夫は、日本原子力研究所の理事長に就任した(【系図12】の301頁)。
 また、三社が解体されるまでの三菱重工社長で、解体時に代表清算人をつとめた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長のほか、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。
 彼ら四人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。この肩書と業務内容をつき合わせ、彼らが重工三社の重鎮として、合併後の相談役として共に会社を育てた経緯を考えてみれば分る。現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造のためであることを疑わない人間は、どこにもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉”もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。
 この四人の進めた極秘軍事ビジネスをひき継ぐ後継者が、九七年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。
 この歴史の流れ全体を取り仕切った岡野保次郎の生まれが、ほかならぬ茨城県であった。そのため、茨城県に原研と動燃が誕生し、九七年三月十一日、東海村で再処理工場が爆発事故を起こすという悲惨な結果を招いたのであった。彼がもし、戦争末期の昭和十七年(一九四二年)に、長崎から名古屋航空機製作所に異動していなければ、長崎造船所で原爆投下の災禍に遭遇していたはずであった。しかし運よく災厄を免れた岡野が、原爆で破壊された長崎造船所の最高責任者だったのである。岡野ひとりの運命に、日本人全体がひき回されたと言ってよい。
 こうして、彼ら三菱グループが五六年に生み出した「原子燃料公社」が、十一年後の六七年に「動燃」に改組され、設立者として初代の理事長に井上五郎が就任した。井上ほど、この役職にふさわしい人物はいなかった。三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の近親者だったからである。
 そして今では、動燃・電事連・日本原燃のいずれの最高責任者も、東京電力の人間によって占められるようになった。そこには別の歴史的流れがあったので、経過をのちに述べる。
 動燃とは、電力会社や原子炉メーカーの隠れ蓑として存在する原子力機関であり、実際には、それぞれの出向社員で構成されている。前述の荘田泰哉は、動燃の理事になり、”もんじゅ”の開発を推進する仕事に熱中してきたが、三菱重工の出身であった。したがって、動燃の相次ぐ不祥事の正体を知るには、それを構成している細胞を理解しておく必要がある。
 動燃が担当する廃棄物問題を考えれば、最終的に廃棄物処分をおこなわなければならない責任者は、実際に原子力発電所を運転し、廃棄物を生産している電力会社である。ところがその廃棄物の処理は、科学技術庁と動燃と日本原燃に押しつけられてきた。それは、動燃にとって廃棄物の処理が目的ではなく、「プルトニウムの抽出が目的で」廃棄物を扱うことになったからである。
 動燃が、廃棄物問題でこれほどいい加減な作業を続けてきたのは、彼らが、廃棄物のことにまったく関心がないからである。作業の目的は、核兵器にしかない。そのため、国も無制限に予算を与えてきた。アメリカ・ヨーロッパ・ロシアの核兵器産業が、想像を絶する放射能汚染をひき起こしてきた性格と同じものが、日本に存在している。
 その結果として電力会社は、平岩外四が電事連の会長をつとめた時代に、電気料金の甘い利益だけを吸いあげようとする無責任な企業方針を推進することになった。
 平岩外四は、泉井事件では石油公団の顧問やアラビア石油の監査役として暗躍している。また東京二信組破綻事件では、右翼の政商・四元義隆と密談してイ・アイ・イ高橋治則の救済に暗躍したと噂された通り、表の顔とは別に、明らかにいま述べた三菱軍事財閥の小番頭役をつとめ、院政をとりながら日本の裏の世界で動いてきた。
 ところが彼らにとって順調に進むかに見えたプルトニウム生産計画は、九五年十二月八日、”もんじゅ”のナトリウム火災事故から破綻がはじまった。この事故のため、高速増殖炉の見通しがたたなくなり、プルトニウムを生産する口実を失ったのである。そこで東京電力は、急いで方針を切り換え、苦しまぎれに、自社の柏崎原発と福島原発でプルトニウムにウランをまぜて使う通称”プルサーマル計画”があると言いだし、何とかそこに逃げこんで、これまでの計画通り六ヶ所村のプルトニウム生産計画を進め、同時に高レベル廃棄物処分場を完成させようとした。
 これは、全世界でウランが暴落している現在、経済的に通用しない説明であった。プルトニウム利用の目的さえまったくない、牽強付会そのもののこじつけであり、日本全土から失笑を買うに至った。岡野が熱中した原子力船むつの末路と同じ状況にある。
 ところが日本は、無理を通して道理がひっこむ国である。
 東京電力から依頼を受けた自民党は、地域を独占する利権と選挙支援で電力会社の奴隷となってきたため、プルトニウムの意味さえ理解できない橋本首相が、東京電力の代理人となり、福井・新潟・福島の三県知事を呼びつけ、恫喝まがいの計画強行を要請した。しかしその直後に、またしても天命のごとく、東海村で爆発事故が発生し、プルトニウム利用に必要な国民の合意が完全崩壊すると、六ヶ所村の目的が自然消滅してしまったのである。
 四月に入ると、読者ご存知のように、動燃(東京電力)の幹部が猿芝居を演じた組織ぐるみの嘘の皮が暴露され、もはや動燃という三百代言は、この危険きわまりない組織を解体するしかない状況を、国民の誰もが認識するに至っている。
 すでにチェルノブイリ原発事故のあと、若者が原子力に近づかなくなり、将来の後継者がいなくなっている。東大の原子力学科が廃止され、原子炉メーカーでの配置転換がはじまっている。実際には、誰の目にも明らかなように、原子力産業は完全崩壊への道を一歩ずつ、着実に進んでいる。おそれられているのは、人材の質の低下による大事故と、最後に社員がいなくなった時、原子力産業が投げ出すに違いない高レベル廃棄物の廃墟である。
 このプルトニウム計画が破綻することは、十三年前、八四年に計画が発表された当初から分っていたが、その関連事業に、国民の金が一〇兆円も投じられてきた。回収不能の、取り返しのつかない無駄金であった。しかも六ヶ所村には、現在も、国民の誰ひとり予算の細目をチェックしないまま、二兆円の再処理工場建設事業が進められ、今もって大手ゼネコンが群がり、行革会議四天王の諸井虔たちが、コンクリートを深い地底に流しこんでいる。この金があれば、日本全土の新幹線網などは簡単にできてしまう、という莫大な金額である。
 これが、愚かをきわめる日本の電力事業であり、世界一高い電気料金の正体であった。彼らには、経済や実業を口にする資格もないが、驚くまいことか、経済をあずかる経団連の会長をつとめたのが、”三菱軍事財閥の小番頭”東京電力会長の平岩外四であった。

 電力浪費を加速するメカニズム
 そうした電力会社の発注する大工事として、一方に、ダム建設がある。
 かつては日本人に大きな希望を与えたダムだが、現在は事情が違う。日本全国のダムで大きな問題を生み出しているのが、揚水発電所である。最近では、ダムといえば揚水ダムと言われるほど、この奇怪な人造貯水湖が全国に続々とつくられてきた。これは、水を下流に流すだけの従来のダムと違って、二つの貯水湖のあいだを水が上下する方式のダムである。
 揚水ダムでは、水が下に落ちる時にはエネルギーが発生するので、一般の水力発電と同じように電気を生み出す。しかし落ちた水は、自分で上に戻ることができないので、今度はその下流側の貯水湖の水を”電気を使って”上に汲みあげるのである。それで、揚水ダムあるいは揚水発電所と呼ばれている。
 ところがこのダムの背後には、とんでもない電力会社のトリックが隠され、詐欺のような技術となっている。
 なぜこのようなダムを建設するかと言えば、原子力発電が夜間に運転を停止できないためである。夜間にあり余る原発の電力を使って、水を夜のうちに汲みあげておき、日中に大量の電気が消費される時に、その水を落として発電するのである。いや、そのように説明されている。
 何も知らずにこの説明を聞くと、いかにも合理的なダムであるかのように感じられる。ところが実際には、水を汲み上げるのに必要な電力が一〇〇万キロワットとすれば、汲み上げた水を落として生まれる電力は、ほぼ七五万キロワットである。四分の一の電気が何にも使われずに消えるのである。
 原発の発電した電力から差し引き二五万キロワットという巨大な電力が、ダムによって消費され、文字通りこの世から消えてしまう。この巨大な電力ロスを生み出すために考案されたのが、揚水発電所であった。長野県の高瀬川水系に建設された新高瀬発電所は一二八万キロワット、群馬県の利根川水系に建設された玉原発電所は一二〇万キロワットと、いずれも日本最大の原発クラスの発電能力を持っているように聞こえるが、実際には、これらの揚水発電所は、一ワットも発電せず、運転すればするほど電力を大量に消費する。
 原発では、原子炉で発生した熱量のわずか三分の一しか電気に変換できないため、残り三分の二の熱を海水に捨てている。このようにしてようやく取り出した電力のうち、夜間には、またその四分の一を山間のダムで捨てているわけである。
 このようにしないと、電力の消費を加速できないので、原発と抱き合わせの必需品として次々と揚水ダムが建設されてきた。そこに群がるのが、鹿島や清水、ハザマなど大手ゼネコンであり、それらの関連組織に天下る通産官僚たちである。
 彼らは原発でかせぎ、同時に揚水ダムの建設でもかせぐ。これが、通産省・資源エネルギー庁・建設省・科学技術庁の官僚と電力会社が、われわれの電気料金と税金を、文字通り湯水のごとく捨てている科学立国の実態である。以上の謎を、いよいよ人脈によって解き明かしてみよう。

 電力会社が官僚組織に育った歴史
 これまで原子力問題に関心を持たれなかった経済界と産業界の人に、冷静な目でこのような事実を知ってもらうことが肝要である。これは、前章までに述べてきた金融界とゼネコンの不良債権に続く、もうひとつの日本経済の根幹にかかわる問題だからである。
 すでに欧米の原子力産業は完全崩壊し、ドイツでは、最大の電力会社の社長がコール首相に、「原子力からの撤退」を提言している。
 核兵器産業が消えつつある現在、冷戦時代の莫大な国防予算を流用してかろうじて成り立っていた原子力が、裸で放り出されてみれば、経済的に合わないことが明らかとなったからであった。
 ところが日本だけは、いまだに技術官僚が自分の職場を確保するために、原子力に執拗にぶらさがって、振り落とされまいと必死である。これから何年もかからずに息を引き取る原子力産業の末路を考えれば、若い人間が失業の未来も読めないとは、滑稽なキャリア官僚の姿である。また一方で、地域独占企業である電力会社が、政界腐敗の原因を次々につくりだし、ひどく高慢な集団として振る舞っている。
 その実情を知らずに、日本経済の破綻の真相に迫ることはできない。

http://www6.plala.or.jp/X-MATRIX/data/sibutukokka6.html

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