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先日大河ドラマ「花神」総集編のビデオを一気に見ました。私はそこで考え込んで
しまいました。
明治維新が英米の国際金融勢力が背後から操った壮大な猿芝居だったとしたら・・・・。
しかも、私はこの仮説に大いに傾いているのです。
もし、そうだったのなら、あの戦い、維新回天の戦いの中で、倒れていった多くの人々の
死に、いったい何か意味があったのだろうか、と。
陰謀論は両刃の剣です。自分をとりまく現実世界が見えてくると思えば思うほど、
その現実を切り返すすべを持たない自分の無力さがいやまして明らかになります。
釈迦の手の平で踊る孫悟空と言えるほどうぬぼれることのできない私は、巨人の前に立つ
1匹の蟻のごときものなのか、と思うしかありません。
それでもなお、自分の感性は自分が奴隷的存在であることを拒否し続けます。
いかに自分が客観的に奴隷的存在であることを証明されたとしても、やはり、私は奴隷では
ありません。
国際金融家諸氏の思惑通りに倒幕が行われ、明治の絶対天皇制が形成されたとしても、
その戦いの渦中にあった人々の想いはまた別でありましょう。その人々の想いを受け継ぐこと、かの人々の願いが、同時に自分の体内に脈々として存在していること。そのことを疑うことが
私にはできません。二千年以上にわたる歴史は支配者の歴史であったという人がいましたが、
同時にその歴史は被支配者の歴史でもあります。父祖以来、連綿と受け継がれてきた原初的な
人々の願い、その願いを信じられる以上、私は奴隷ではありえません。
奴隷的存在である人間が、奴隷として存在することを拒否するとき、何をより所とできるでしょうか。それが想像力です。
現実を食い破るものがあるとすれば、それは想像力です。時には、創造力として結実するも
のかもしれませんが、出発は、あくまで想像力です。
私にとって、阿修羅掲示板は、そのような想像力と想像力が邂逅する大切な場です。
あくまで、そのインスピレーションを喚起するものとして情報が存在するにすぎません。
アフガンに米軍が侵攻したとき、自分の無力感にさいなまれながら、それでもなお理知を
もって語り続けようとする「あっしらさん」は痛々しいほどすてきでした。
自己の全存在を賭けて「人は何のために生きるのか」とあっしらさんに問いかけた
「アルフォンドさん」、
「敵がわかっているのなら、なぜその敵をどうにもできないのか?」とたずねた
「エンセンさん」。
この人たちの問いかけに、ものすごい緊張感を感じたものです。
ですから、想像力に根拠を求めることは、ある意味でばかげたことです。
「ビルダーバーグさん」、「あっしらさん」の米国=フセイン合作説は見事に成立しますよ。
むしろ、それ以外に考えられないと私は、思っています。あなたの些末な情報による批判は
説自体を瓦解させるほどのことはありません。ましてや、複数HN同一人物説などくだらん
詮索でしかありません。
阿修羅には何があってもいいのではないでしょうか。市民的支持などというつまらない思惑に拘泥する必要などさらさら無いはずです。
爬虫類人けっこう!エイリアンけっこうです!
排除の論理はなしにしましょう。知的整合性、根拠としての情報の裏付け、そのようなことを声高に要求することは、この掲示板を限定された空間にしてしまう怖れがあると思うのです。
まして、人の意見に「犯罪的行為」「利敵行為」などというレッテルをはることもやめよう
ではありませんか。このような言動が、人の想像力を奪うことをやはり私は怖れるからです。
おたがい異なる人間です。ベクトルが相反することもあるでしょう。しかし、それさえも
包摂してしまう天の理というものがあることを私は信じています。
最後に、「あっしらさん」、私は滅多に書き込めないのですが、それでも、あなたにたずね
たいことがいくつかあります。年の瀬でご多忙の時と思います。それでも、日常を離れたこの
空間に早々と再来されることを心より楽しみにしています。
こんな文でも書くのに3時間もかかったのですよ!この労力に免じて早く現れてください!!