現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 816.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: あっしら氏再批判 投稿者 ビルダーバーグ 日時 2003 年 12 月 15 日 12:32:09)
「すみちゃん」は「あっしらさん」?
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1247.html
投稿者 ビルダーバーグさん 日時 2003 年 4 月 24 日 21:06:33:
ビルダーバーグさん、こんばんわ。
繰り返しくりかえし、「すみちゃん=あっしらさん=エンセンさん」と主張する根拠はなんでしょうか・・・・
自分は昨年の11月から阿修羅サイトに参加させていただきました。
最初、あっしらさんに、マスード将軍暗殺の背景を質問させていただき、ていねいに答えていただきました。
マスード将軍の写真をアフガニスタンで撮ってきた長倉洋海さんと89年頃であっていたものですから、マースド将軍に
つきましては関心が強くあったわけです。
あっしらさんからレスをいただきまして、自分なりに911の発動はマスード将軍暗殺にあったと推測していきました。
エンセンさんが、力なき市民さんというハンドルネームで登場したときも、質問から出発したと思います。
そのときも、あっしらさんはていねいに答えておりました。
力なき市民さんが雑談版においてアルファンドさんとの対話で、アルファンドさんから、「あんたは力なき市民では
ない」と激励され、それに応答する波動として、「これからは、エンセンと名のります」と、力なき市民さんはエンセン
さんへと変遷していったわけです。
アルファンドさんとエンセンさんの対話には感動いたしました。
俺も幸せだ
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/377.html
投稿者 アルファンドさん 日時 2003 年 7 月 19 日 19:21:04:
あんたは凄い人だ。尊敬します。
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/378.html
投稿者 力なき市民さん 日時 2003 年 7 月 19 日 20:44:49:
追記
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/382.html
投稿者 力なき市民さん 日時 2003 年 7 月 20 日 02:39:08:
尊敬するのはまだ早いね
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/410.html
投稿者 アルファンドさん 日時 2003 年 7 月 21 日 16:47:07:
Re: 尊敬するのはまだ早いね
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/412.html
投稿者 エンセンさん 日時 2003 年 7 月 21 日 18:32:55:
ついつい返事を書いちまうな
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/445.html
投稿者 アルファンドさん 日時 2003 年 7 月 23 日 00:12:21:
ビルダーバーグさんの主張はその時間をなきものにしていくわけです。
自分も92年11月からパソコン送信受信による、掲示板投稿生活をはじめましてから10年になりますが、
固有の投稿者と固有の投稿者を「同一者による自作自演」であると判断し、なおかつインターネット掲示板という社会に
投企する行為は、はじめて4月24日にビルダーバーグさんの投稿でみせてもらいました。
ビルダーバーグさんの戦術は、読者に猜疑心と疑心暗鬼の渦をわきおこしていく心理作戦だと思います。
自分は愚劣であると思います。
ビルダーバーグさんにとっては、「おふざけの軽い遊び」かもしれませんが
やはり言葉が身体性をもった重力があるのは、パソコン通信時代にあらわになっていました。
ネットワーカーがそこで学習したのは、パソコン通信といえでも、規範は社会にあるという発見であったと思います。
村上龍が芥川賞を受賞したときも、上の世代の文学者は、新世代への憎悪を発動させ、「あれは何人かで書いた作品だ」と
悪罵を投げつけましたが、いまやその批判は笑われるだけです。
つまり嫉妬の感情で書きました文章など、時間によって淘汰されてしまうわけです。
あっしらさんやエンセンさんが投稿が多いのはエネルギーがあるからであると思います。
そして阿修羅サイトそこにおけるコミュティ社会での対話に価値を発見しているからであると思います。
エンセンさんが力なき市民さんとして、登場したとき、「私は2年間、読者だった」と書かれておりました。
そこから発信した言葉、そこには時間の重力と身体の記憶があり、言葉は表現として社会に登場いたします。
ビルダーバーグさんの批判はなんら批判として立ちあがっていないだけでなく
表現者を歪曲し、表現行為の価値を踏みにじる行為であると思います。
それが「軽い遊び」で流されるほど、人の価値判断はまだ崩壊していないと思います。
パソコンの向こう側には人がいる、そしてハンドルネームとは、パソコンをあつかう人の名前であり、
言葉を社会にさらす表現者の名前である。仮想ではないわけです。
それを、10年前から人々は学んでいったと思います。
自分も投稿生活では数々の失敗をしてまいりました。
インターネット掲示板によるコミュニティとは、一体なんでしょうか・・・
猜疑心と疑心暗鬼の言葉は黒い渦として人を巻きこんでいきます。人を不幸へと誘惑します。
開かれた能動性を収縮させていきます。
言っている本人にとってはストレス発散になり、おのれの論理展開に酔っているのかもしれませんが
聞かされる人間はたまらないわけです。「いいかげんに、かんべんしてくれよ」となります。
インターネットとは感覚の世界です。
すみちゃんとあっしらさんが全く別人であることは、対話文章と思考の蓄積と発見、そして時間をみれば
感覚として判断できると自分は思います。
インターネットは瞬時な動物的感覚の世界でもあると思います。また投稿者とは表現者ですから
言葉に身体性と磁場があります。身体記憶と思考の重力が投稿文章の言葉にはあると思います。
言葉を身体の手と指でうつからです。タイピングしていくわけです。マウスへも指からエネルギーが伝導していきます。
言葉は思考と発見の労働です。
日本語をユーザーがパソコンで打ち込めるになるまでには、漢字変換ソフトをつくった技術者も
孔版印刷から活版印刷そしてオフセット印刷、ガリ版から金属活字をひろう植字、そして電算植字という
歴史を研究してきたわけです。インターネット掲示板に日本語が表示できるのは、そこに活字技術歴史と労働蓄積の
総量が具現化されています。仮想ではありません。インターネットでの言葉表示には技術記憶の重力が内在していると思います。
地球という磁界のなかで生活している人間それ自体に磁気はながれ、電気も電子も流れております。
その固有の人間の思考と発見がパソコンという電気電子器具から回線をえて、サバーという電子記憶容量に接続して
瞬時にサイトに言葉が書きこまれ、アクセスした読者に発信され、そのデジタル・電子によって表示された言葉を
電子と電気が身体に展開している人間が読む、ゆえに言葉は仮想ではなく磁場の重力があり、
遠心力と求心力が阿修羅サイト掲示板の言葉には有していると思います。
言葉と思考と発見は空間性があると思います。空間とは応答関係にあります。そして人とは対話の動物です。
ビルダーバーグさんの目的が阿修羅サイトでアクティブに対話している投稿表現者の意欲を、そぎ落とすことに
ありますなら、「感覚をもった人間の登場に嫉妬する」ことになってしまい、猜疑心と疑心暗鬼の渦へ
落としこめる、日本インターネット文化の不幸であると思うのですが・・・