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(回答先: 映画「ラストサムライ」で世界のご主人様に「武士道」精神が称揚されて心理誘導されるハメられる小泉と日本人。超克は武士道うち捨て雑穀植えて大脱糞感謝祭のみ。 投稿者 運の強い人より 日時 2003 年 12 月 10 日 11:06:20)
2003年12月12日 金曜日
トム・クルーズは「アメリカの顔」だ。この20年間、アメリカのあらゆる価値観を、あますところなく体現してきた。
『卒業白書』では資本主義と快楽主義を、『トップガン』では軍国的な愛国主義を、『7月4日に生まれて』では正義と慈悲を求める理想を、そして『レインマン』では平等と友愛の精神を――。さわやかな笑顔とたくましい肩で、クルーズはアメリカ的なカリスマ性を世界中に振りまいてきた。
そんなアメリカの顔が、新作『ラスト・サムライ』で初めてアジアへ進出した。
クルーズ演じるネイサン・オールグレンは、南北戦争の記憶に苦しむ軍人。1876年、日本の明治政府の要請を受け、近代的軍隊を訓練する教官として日本に赴く。
だが、オールグレンは反乱軍の武士たちに捕らえられ、村へ連行される。その村で武士道の精神に触れた彼は、祖国とアメリカ的な考え方を捨てて、日本文化が重んじてきた価値観を選ぶ。
「武士道というと、よく刀や戦いのことを思い浮かべる」と語るのは、共演した渡辺謙。渡辺は、オールグレンに武士の魂を教える勝元を演じている。
「でも日本人の体に染みついた武士道って、年輩者を敬う、約束は守る、自分を律する、子供を守るといった精神的な部分じゃない? そういう根源的な、道徳面のほうが武士道の本質に近いと思う」
クルーズがオールグレン役を引き受けたのも、そんな精神に引かれたからだ。
「名誉、忠誠心、慈悲。こうした美徳にすごく共感を覚えた」と、クルーズは言う。「武士道のおきてを初めて読んだとき、友人たちにもファクスした。おきての純粋さを、僕が大切にしたいものをわかってほしかったから」
そうした精神は、現代のアメリカ社会では見つけにくいものなのだろうと、渡辺は考える。「アメリカは日本や欧州よりも合理的な社会をつくり上げてきた。そういう精神世界をあまり意識しないまま大人になるから、よけいにサムライに引かれるんだと思う」
もっとも一般のアメリカ人は、武士道というものが存在することさえ知らない。武士の精神や日本文化を正面から取り上げたハリウッド大作は、過去に一つもない(関連記事56ページ)。
そこに登場したのが、世界的な大スターを主役に迎え、1億3500万ドルをつぎ込んだ超大作。史実を尊重し、日本の習慣や建築物、衣装を忠実に再現しようとした『ラスト・サムライ』は、まさに異色の存在だ。
しかもタイトルロールの「最後のサムライ」は、クルーズではない。西郷隆盛と山岡鉄舟をモデルにした勝元こそ、悲劇の英雄だ。
「正直言って、初めは実感がなかった」と、渡辺は言う。「規模も内容も途方もない話のような気がして、マジでやる気なのって少し斜に構えていた」(後略)
最後の武士たちの戦いを描くハリウッドの挑戦 ニューズウィーク:http://www.nwj.ne.jp/
◆武士道って何?
「武士の道です」といえばそれまでですが、日本の国も二千年前後の歴史を有し、島国とはいえ外国との関係も相当あったわけで、武士の道もいろいろと変化してきました。また、武士道に関係の深い「切腹」の意義などを考えると、それは国家観の問題につながっていきます。
その変化を知ることが、「日本の今」を知ることになるのです。
難しくいえば、「武士道とは、行政主体(国、公共団体、幕府、藩)を担う公務員や武士の職業倫理ないしは統治の理念である」といったところでしょうか。
◆武士道の二つのタイプ
この博物館では、武士道を大きく2つに分けて紹介していきます。
1葉隠武士道 2徳川武士道です。そして 1は更に、竜造寺隆信型と鍋島直茂型に、 2は水戸型、会津型、そして、徳川本家型に別れます。
2はよいとして、 1は初めて聞いた、とか忍者の本かな、などと誤解している方があるかもしれませんね。葉隠は、1716年、享保元年に、九州の佐賀藩に成立した本です。元鍋島藩士だった山本常朝(じょうちょう)という隠者が、田代陣基(つらもと)という若侍に語った内容を、陣基がまとめたものといわれています。ちょうど徒然草みたいなものといってもあながちまちがいではないでしょう。
武士道というと、一般には 2の方がイメージされると思います。むしろ、 1と 2との違いなど意識されないことの方が多いでしょう。しかし、この2つは明らかに異なり、その違いを良く認識することが大切です。
では、葉隠武士道と徳川武士道とのちがいはどこにあるのかといいますと、東大名誉教授の相良亨先生も述べておられますが、前者は仏教(特に禅宗)をバックボーンとし、後者は儒教(ただし、日本化されたそれ)をバックボーンとしている点にあります。2つの武士道の細分化された中身についてはおいおい説明していきますが、とりあえずこの2つのタイプを歴史的に考え、特に葉隠武士道の意義を紹介するのがこの博物館の目的です。
◆儒教武士道による法治主義
即ち仁義礼智信という人倫五常の道などということを正面に据えての武士道、先年、当時の細川首相が米国で講演した新渡戸稲造の「武士道」などがそれです(岩波文庫にありますから読んでみて下さい。頭がコチコチになりますよ。しかし、一般には武士道というと、これのことだと思われていて、ながい間、葉隠も、それといわば「十把一からげ」にされているのです)。
そういう儒教的な武士道というものが、このあたりででき上がりました。この武士道は情や実の中世武士道に対して、合理的で知性的で、悪くいえば形式的です。そしてそのことが法的な意味を持った典型的な事例が、例の赤穂浪士の処分なのです。
赤穂浪士が敵討ちをしたときに、彼らをどう処断しようかということが問題になりました。幕府がいろいろな学者に聞いたところ、儒者荻生徂徠曰く、「これは私情としてはかわいそうだけれど、公的にみると明らかに違法なんだから責任とってもらいましょう」と。そしてそれが通った。大義名分というものをピチッと通さなきゃだめと、違反したものは違反という、いわゆる「法治主義」。形式を重視する主義が出てきたというわけです。
徂徠には「明律国字解」など明の法律を解説した大著があります。
◆葉隠れの武人たち
葉隠に因む武人は沢山います。とりあえず取り上げたい人として、明治以降では乃木希典大将、空閑昇少佐、肉弾三勇士、そして大空のサムライ・坂井三郎氏など。
これらの人物の内の一体だれが葉隠的人物であるのかは議論の別れるところです。
私は、著書「大空のサムライ」の中で、葉隠にもふれておられる零戦のエース坂井三郎氏こそ真に葉隠的な生き方、あるいは戦い方をされてきた人物ではないかと思っております。坂井氏は日華事変以来第二次大戦終末まで、96式、あるいは零戦のパイロットとして60数機の敵機を撃墜した空のエースであられ、その経験談は数々の著書にも書かれております。2年半程前、機会があって坂井氏のお話を伺うことができ、私は、上記のとおり坂井氏こそ葉隠的武人であるとの感を深くしました。是非多くの方々に坂井氏のお話を聞いていただきたいものと思っています。
坂井氏のお話には、戦争という極限状態を経験した方でなければわからない緊張感、切実さがあるとともに、正に鍋島直茂のいう「実」をもって物事を判断し、死地を脱出してきた方の、あらゆる場面に応用できる人生の知恵、あるいは、企業や国家の方針・生き方というものが示されているのです。
武士道バーチャル博物館:http://www.pdfworld.co.jp/bushidou/f_top.htm
葉隠 聞書第一 聞書第二:http://www2.tba.t-com.ne.jp/sng/newpage%20hagakure-kikigaki(1).htm
(私のコメント)
ハリウッド映画でトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」が公開されていますが、私はまだ見ていません。ビデオやDVDで買った映画を見る時間もないからですが、ハリウッド映画としては時代考証も比較的なされているようだ。映画ですから史実に比べて違うからどうこう言うより、アメリカ人がサムライというものをどのように捕らえているかを見るべきなのだろう。
トム・クルーズが演ずるのは南北戦争やその後のインディアン撲滅戦争で傷ついたオールグレン大尉は明治政府の雇われ軍事顧問として日本に来るわけですが、腐敗した明治政府と不平士族の対立をみて、西郷隆盛がモデルと思われる勝元に引かれてゆくわけです。西郷隆盛こそ葉隠れ武士の見本のような人物で、徳川武士的な明治政府の官僚と対立するのは当然のことなのだろう。
私は武士道といっても三島由紀夫の書いた「葉隠れ入門」を愛読書にしていたのですが、三島由紀夫は戦国武将には興味を示さず、徳川時代の武士道しか興味はなかったようだ。つまり徳川武士道で「葉隠」武士道を解説していたわけです。だからいわゆる武士道は葉隠から徳川型に進化していったのかと思っていましたが、二つの武士道は対立するもののようだ。
戦国のサムライは主君を何人も代わる事が当たり前だった。戦に負けるたびに主君に詫びて許しを請う。負けた主君は敵に捉えられ首を打たれるわけですが、戦国のサムライは許してくれた主君の「情」に対して「追い腹」するわけです。だから徳川時代の忠臣蔵に見られるような刑罰といしての「切腹」とは意味合いが異なります。
だから見た目は全く同じサムライであるにしても、葉隠れ武士もいれば徳川武士も混在しているわけで、西郷隆盛と大久保利通の対立は根が深い問題なのだろう。明治時代の乃木希典大将は日露戦争で多くの将兵を死なせた。それを明治天皇は許してくれた。その「情」にたいして「追い腹」をしたのだろう。だから乃木大将は葉隠れ武士だった。
ところが昭和天皇は大戦に負けたにもかかわらず首を打たれることはなかった。そして乃木大将のように多くの部下を死なせたにもかかわらず、お詫びをすべき天皇自身が人間宣言をして生き延びてしまったのだから、葉隠れ武士も呆れて「追い腹」も出来なくなってしまった。戦後における日本の武士道精神の崩壊はここに原因があるのだろう。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu60.htm