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(回答先: レス1:国際金融家ファミリーの系譜 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 03 日 18:41:00)
あっしらさん、こんばんは
>フェニキア・カルタゴに由来するセム系国際商人(国際金融家)の系譜推論は、
>地理的条件だけによるものではなく、歴史的経緯・商圏・政体などを総合的に勘案したものです。
>地理的条件に関して言えば、国際交易都市が都市ではなく国家となり、逆に、
>周辺地域を支配するという構造を重視しています。
>フェニキアそのものは、後背地に勢力を拡大するというより地中海沿岸に交易権益を
>拡大する道を選択しましたが、カルタゴは、後背地を植民地もしくは貢納地として支配しています。
>ヴェネチアも、沿岸に近い島嶼に国家を築き、そこから半島に支配地を拡大しています。
>アムステルダムも、低地地帯一帯を支配し交易拡大を進める独立的存在で、
>最後には独立国家となっています。(英国も乗っ取ったと言えるかもしれません)
なるほど、有難う御座います。
「国際交易都市が都市ではなく国家となり、逆に、
周辺地域を支配するという構造を重視しています。」の部分に注目しています。
ローマやイタリアに関する一連の著作で高名な塩野七生さんも
カルタゴとヴェネツィアの類似性を指摘していますね。
(相違点としては農業の有無を指摘していた。)
しかしカルタゴ→ヴェネツィアと連続しているとまでは見ていないようです。
ヴェネツィア共和国は元々利子の取得を禁止していたそうですが、
確か14〜15世紀当たりに解禁したという話を聞いています。
国際金融都市として急速に発展するのはその後です。
金融家として最も強大化したのはやはりユダヤ教徒のようです。
メディチ家もヴェネツィアに支店を持っていたようです。
>ロンドンやニューヨークも、英国や米国というより大きな統合体
>(国家)を差配する地位を占めたということが言えます。
>(ロンドンやニューヨークの国際金融家の意向が国策を動かすという意味です)
古くからシティー・オブ・ロンドンは王権からかなり自立した力があったようですね。
イギリスにおける金融勢力について私が知っている事と言えば、
イギリス王室は元々お金儲けのうまいユダヤ人に重税をかけ、優遇していたが、
1290年にイギリスから完全追放されたという歴史があります。
その後ユダヤ人はクロムウェル時代(1640年代)にアムステルダムから呼び戻されたのですが、
これは名誉革命より数十年も前の話です。
ユダヤ金融家不在の時期には、
北イタリアロンバルディア地方のイタリア人金融家が
ロンドンのシティーに進出し、有名なロンバード街に名を残した訳ですが、
ちなみに現在シティーのロンバード通りにある銀行は
バークレー銀行・ロイド銀行などです。(何故か三菱トラストもある。)
シティーにおいてはユダヤ金融家よりロンバルディア発金融家のほうが
歴史的に年季が入っているように感じます。
シェイクスピアの父親も高利貸しを営んでいたそうなので、
悪逆非道”シャイロック”のモデルは実の父親だった可能性もあると見ています(笑)。
>国際金融家の系譜的拠点都市と考えているところとその他の国際交易都市は、
>国家に従属的な都市か、
>国家もしくは後背地を支配する都市かという点で大きく異なると考えています。
なるほど良く解かりました、本当に有難うございます。
カルタゴは金本位体制で銀行券も発行していたようですね。
高層ビルや金融街もあったようなので確かにNYに似ていると言えなくもない。