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大東亜東亜戦争を、当時の世界の国際的・歴史的条件から切り離して、敗戦後に他
国に押し付けられた価値観やら判断基準によって、日本人自身が頭から否定するとい
うことは、結局どういうことなのでしょう。それは要するに、「日本人が独自の考え
や計画を持って、独自の理想と国益を主張し、独自の力とその行使によって自分たち
の現在と未来を作り出すことを否定すること」なのです。
そして、ポツダム宣言に代表されるような、連合軍の攻撃と占領のおかげで日本人
は軍国主義者を社会を指導する立場から追い出し、幸せに・善良に・自由に生きてい
くことができるようになったというような考えを受け入れることは、結局どういうこ
となのでしょう。それは要するに、「日本人は外国人の暴力と指導によってようやく
幸せに、人間並みに、他国民にも迷惑をかけずに生きていける存在だということ」を
認めることなのです。
さらに、多くの人々が死んだり苦しんだりしたから、それゆえに無条件にあの戦争
は間違っていたという考えを受け入れるならば、結局どういうことになるのでしょう
。それは要するに、「いかなる場合でも、自分が攻撃されて不利益をこうむることを
避けることこそが道義的善であり自分のためにもなるということ」を認めることなの
です。
ですから、戦後体制・戦後思潮を受け入れた人々は、結局のところアメリカが恫喝
や暴力をもって、日本社会に財産や権益や主権を差し出しように求めてきた場合、お
となしくそれを差し出すのが、適切な政治的選択であり、自分たちの利益にもなり、
道義的に正しい「大人の」判断であるということになります。
しかし、政治的選択を云々する以前に、「日本人は外国人の暴力と指導によってよ
うやく幸せに、人間並みに、他国民にも迷惑をかけずに生きていける存在だというこ
と」を認めた人々は、世界と自分に対して「私は飼い犬である」と宣言しているので
す。だから、彼らは最初から強い飼い主券調教師であるアメリカに向かって、何かの
異議を申し立てることのできる道理も可能性もないのです。
小泉や福田の、あの国民をバカにしたような、道義をバカにしたような、言葉をバ
カにしたような、理想をバカにしたような、自尊心や人間の尊厳をバカにしたような
、日本人の固有の主権や利益をバカにしたような、そのくせ恥ずかしそうでなく態度
のデカイ話し方は、どこから来るのでしょう。人気取りを重んじる政治家は、国民受
けしないしゃべり方はしないものです。
つまり、今や日本国民の大多数は、「独立主権国家の人権を有する人間」として振
舞い、それを目指すような政策を行うことは、愚かで無益で異常なことであると信じ
込んでいるフシがあります。だから、小泉や福田のあのしゃべり方を、「政治的に正
しい、知性的な大人の姿勢」を示すものとして、多くの国民は理解し安心しているの
ではないでしょうか。小泉や福田はそう思っているからこそ、恥ずかしげもなく公で
あんなしゃべり方をしているのだろうし、しかも実際に人気を得ているのでしょう。
日本を捨て、人間もほとんど止めたような態度の人物たちが日本政府代表にふさわ
しいと思っている人々は、国際的には絶対に非常識な存在であるし、もはや子供を人
として教育できる人間でもない。しかし、「常識ある」「大人の」日本人はフランス
やらトルコやらの、アメリカの言うことを素直に聞かない国々を、「トチ狂ったマヌ
ケで愚かな」国とでも判断しているのかもしれない。