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固定した社会の中では、常識や社会構造が、生命体としての個人の力を補強してる。
従って、例えば怒る時、社会構造による守りを吹き飛ばすぐらい怒らないと、望んだ効果が得られなかったりする。
道具もそのような補強に関るものである。
道具と、国民を補強する社会構造、一番を標榜しているアメリカであるが、
宗教界の現在のまとまりも、意識のシステム、及びその運用で一番と考えている。
科学界の現在のまとまりも、科学的システム、及びその運用で一番と考えているだろう。
積み重ねられた現在のシステムは、上のように一側面を補強するものでありそれ故の非調和を招くことがある。
教科書どおりに書くならば、重要なのは、道具もモノ、教科書(種々の経典)もモノ、社会構造もまた、変わりゆく物なのだということである。
対して我々はイキモノである。
モノに頼った戦略をたてて、或いはそういう者を野放しにして、肝心のイキモノのほうをおろそかにすると危険である。
(しかもいまや明らかになるのだが、 実は、彼らは皆、本当は一番ではなかったのだ。
だが書くことはここまでにする。)