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戦争屋は嫌いださんの『Re:追伸 財閥が受動的だったとは思えない』( http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/311.html )へのレスです。
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戦争屋は嫌いださん、こんばんわ。
内容が江戸期まで遡るので、別のスレッドにしました。
>士農工商と言われた江戸時代だって、最後はカネを動かす商人が裏で実権を持ってい
>た。いつの世もカネを握っている奴がことを起こす、というのが真相でしょう。
カネに今ほどの力があった時代はないし、これからも今ほどカネに力がある時代はやってこないと思っています。
この意味で、「いつの世もカネを握っている奴がことを起こす」という裁断は無理があります。
古代でも、「カネを握っている奴がことを起こす」地域もあればそうでない地域もあり、近代では、「カネを握っている奴がことを起こす」ことが普遍的になっていると考えたほうがいいと思っています。
(「カネを握っている奴がことを起こす」地域は、商業及び金融が経済基盤になっているところです)
江戸期の豪商に幕府や経済社会を牛耳る力はありませんでした。
江戸期の豪商(御用商人)は、幕府や藩の“商業代理人”といったほうがふさわしい存在です。しかも、売り手であると同時に買い手になる“商業代理人”です。
江戸期は、幕府の管理貿易だけという対外取引が長かったので、閉鎖経済に近いものと言えます。
江戸期は貨幣発行権は幕府や諸藩にあり、貨幣の発行目的は統治の用をまかなうことが基本です。(統治者階級所属者の生活費から公共事業及び祭祀関連までを含む)
江戸期の貨幣流通を簡単に考えてみます。
商人が貨幣を手に入れる始源は、幕府や藩が求める物資を供給することです。
幕府から支払われた貨幣が商人の手を経て、他の商人・職人・農民に渡るという流れです。(その後は、経済主体間で貨幣が交換(取引)の媒介として使われます)
国民の9割以上が農村共同体に属しほぼそのなかで自給自足していました。江戸中期以降商品作物の生産が増加しましたが、それは商人から農民への貨幣の流れです。それが農民から商人という逆の貨幣の流れを生み出し、農民の暮らしぶりを高めるとともに、商業活動や商品生産活動を活発化させてゆきます。
このことからだけで、豪商が経済社会を支配することは原理的に不可能です。
貨幣発行権を有する幕府や藩は、年貢米を徴収する権利も保有しています。
徴収した年貢米を統治者階級に分配するかたちでもいいのですが、余剰米を別の財と交換する必要もあり、武士も米以外の生活物資が必要なので、俸給をすべて貨幣で支払うほうが合理的です。俸給を貨幣で支払うことも、商業活動や商品生産活動を活発化させる要因になります。
(年貢米取引は、契約を伴わないものですが、いったん売ったものの一部を買い戻す特約取引と似たものです)
年貢米の買い手は豪商(御用商人)です。その支払いで使う貨幣は、年貢米の売り手である幕府や藩が発行したものです。
この取引により、貨幣が発行者の元に戻ることになります。
それだけのためとは言いませんが、貨幣発行者は、年貢米を買って貰うために貨幣を発行しているようなものです。
そして、年貢米が農村共同体に属さない人たち(貴族・僧侶・神官も含む)に行き渡るために、物資購入・公共事業・俸給・寄付などを通じて貨幣を流通させていると見ることもできます。
これを約めて言えば、国民の10%ほどの生活が円滑に維持できるように貨幣が発行されているということです。
貨幣は、“米本位制”の経済社会をスムーズに動かすための手段だったと言えます。
幕府は、金山・銀山を開発し過酷な労働を強いて貨幣を発行し続けたにも関わらず、貨幣不足に応じるために金含有量を減らす改鋳を行ってまで名目的な貨幣量を増加させたりもしています。
藩も、藩札を発行して貨幣不足に対処しています。
貨幣不足は、商品経済(貨幣経済)の進展に付随した事象だと考えています。
(貨幣が不足しているというより、デフレが商品生産の意欲を削ぐことに対応した措置です)
豪商と呼ばれる商人がどれほどの蓄財をしていたかわかりませんが、運上金や冥加金といった程度の吸い上げ策しかとっていないことを考えると、それほどの蓄財はしていなかったのではないかと思っています。
貨幣不足でありながら豪商が膨大な蓄財をしていたら、権力を行使して召し上げていたはずです。(幕府財政が逼迫していれば、なおさらそうしたはずです。本当の貨幣不足や財政危機は、開国から明治初期にかけて到来します)
豪商の蔵に積み上げられていた貨幣のほとんどが、年貢米の支払いに充当されるものだったという可能性もあると考えています。
(幕府が諸藩に対して造営補修事業で負担を求めたのも、軍備増強を抑えるとともに、貨幣を回収する狙いがあったからだと思っています)
貨幣が発行者のもとに戻ってくる仕組みになっていた江戸期に国内で金属貨幣が必要だったのかという疑問を持っています。
統一国家ではなかったことから、幕府直轄領を超えて流通するために価値実体を有する金属貨幣が必要だったことを認めるとしても、藩札も通用していたくらいですから、全国で通用するペーパーマネー発行も可能だったのではと思っています。
(中国では宋の時代からペーパーマネーが流通しています)
江戸期を資本主義の前駆的時代と見る考えもありますが、暴虐非道の封建制や貧困に喘いでいた暗い社会といった官軍正当史観と進歩史観が混濁してつむぎ出す前近代イメージを覆すものとして評価できる一方で、先進的なものを断片的に切り出して近代主義的に意味付けするという進歩史観の限界を感じています。
「江戸時代だって、最後はカネを動かす商人が裏で実権を持っていた」という内容に触発されてだらだらと書いてみました。
※ 別のレス内容に対して
>技術的な話として入力はキーボードですか、それとも音声入力でしょうか?ご教示乞う。
キーボードです。
あれこれ考えながら入力する装置としては、キーボードのほうが適していると思っています。
(まとまり切った内容を入力するのなら音声でもいいでしょうが、訂正作業をするために、カーソル移動や消去などといった制御指示を音声でするのはうっとしいですから)
文章でやりとりするより対話のほうがいいと思っていますが、このような場では無理ですから仕方ありません。
文章での一段落分に相当内容を話し、それに対する相手の受け答えを聞いて、次の段落に進むかたちになる対話が望ましいと思っています。