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スパルタクスさん、こんにちは、
どこの国でも、テロって、けっして、狂人が自分勝手わがままをやっているのではないみたいですよ。本当のテロには、「テロ」って名前をつけない法則でもあるんじゃないかと思ってます。
決して貧しくて、ふてくされた輩が、原理主義と名乗っているわけじゃないです。「原理主義狩り」のために、政府とか軍が自作自演をすることは、大いにあると思いますが。
ブルブルブル。未だに地元の人でも理解できてない状況とは何だろう
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/203.html
投稿者 スパルタクス 日時 2003 年 10 月 23 日
まず、社会主義と共産主義は、ちがうと思います。ついでに、アルジェリアの国名に社会主義とあるので、旧共産圏の社会主義とリンクさせてしまうのも、違うと思います。
アルジェリアは、政治的統合の歴史的体験が極めて乏しい。歴史上、存在したアルジェリア人による政権は、民族として歴史上の国家とするには、あくまで、不安定な地方政権としか言えず、オスマン帝国、フランスによる植民地支配が16世紀以降、続いた。1954年から62年の独立戦争で、アルジェリアという国家が生まれたといえる。そのため、現在の国家基盤が、この独立戦争の混乱の中で形成されてしまった。
独立以前、フランスの支配下において、人民もろともに宗教、文化が破壊尽くされた。
また、イスラムについて、アルジェリアは、動物や、樹木、石なども崇拝するような状態があった。これは、現在も、存在する聖者崇拝の一部で、存在は否定しないが、本来のイスラムからは、外れた道とみなされる。これが、フランスの支配下において生み出されたのか、元からあったのかは、不明である。
独立に際して、フランスに立ち向かったのは、上の誤ったイスラムを正そうとする改革指導者イブン・バーディースであった。それに対して、聖者、農村部の宗教指導者は、なんと、フランスと協力体制をとった。当然、バーディースらは、彼らを反イスラムとして、糾弾、独立運動を始めた。
当然、独立をリードしたイスラム改革派が、独立後の唯一の政党としてみとめられ、民族解放戦線(FLN)となった。かれらの思想は、土俗的イスラーム、聖者崇拝を排除、一方、西欧的ナショナリズム、アラブ民族主義などから構成された。
が、FLNの幹部、官僚、軍部、企業体にいたるまで、グルになり特権階層が生まれた。当然、国家建設の過程において、工業化、土地政策、人口増加、貧富格差の拡大、教育の遅れなどなど、行き詰ってしまうのである。もともと、イスラム改革派であった流れから、モスク建設、アラビア語化政策(フランスの支配下においてアラビア語教育は禁止されていた。そのため、現在でも、アラビア語ただし、アルジェリア方言を話すが、標準アラビア語を読めない高齢者が多い。)を進め、イスラムを国教化した。しかしこれは、あくまでも、体制的なイデオロギーとしてのイスラムであって、民衆的基盤が欠落していた。
一方、民衆を基盤にしたイスラム活動がタブリーグ系組織を中心に広まる。これは、1926年インドのムハマンド・イリヤースが始めた民衆のイスラム教化組織で、活動は、モスクの建設、社会福祉活動からはじまって、生活基盤における実態にあったイスラムが教えられていた。
80年代になり失業、経済不振の深刻化にともない、タブリーグ系組織が活発化、社会内部により浸透する。これらの活動家たちによる福祉社会活動は、政府よりも小回りが効き、一般大衆に広く支持されてくると、政府も認めるわけにはいかなくなる。そこで、1989年2月にそれまでの一党制を複数政党制にすることに認め、イスラム救国戦線FISが結成され、1990年の地方選挙で勝利、91年国政選挙でも圧勝した。ところが、政府は、FISの支配を恐れ、翌年、超法規で、選挙結果を無効とし、FISを非合法とした。
政府(といっても、実権は、軍司令部)は、FISの勝利の後、当時大統領であったベンジェディド大統領を退任させ、アルジェリア暫定指導部は、モハメッド・ブディアフが率いた。
以後引用=======
FISは、大衆抗議でクーデターに応え、その過程において、約40人が殺害された。1992年2月9日、政府は、非常事態を導入し、3月4日、FISの解散及び禁止について布告した。約7千人のイスラム教徒が逮捕された。当局は、イスラム教徒が優勢な地方権力機関を解散した。しかしながら、6月までに、2,500人以上の被拘束者が、再び釈放された。しかし、FIS指導者、アバッシ・マダニとアリ・ベリハジュは、国家反逆で起訴され、各々禁固12年を言い渡された。当局は、出版物の検閲を厳しくした。
1992年6月29日、国家元首ブディアフは、暗殺の犠牲となり、元外交官アリ・カフィが彼を交代した。イスラム住民の運動を処理する試みにおいて、カフィは、テロ対策特別法を施行し、警察の権限を拡大し、夜間外出禁止令を導入した。裁判所は、FISの構成員と支持者に死刑の判決を下した(1992年2月から1993年2月までで214人)。しかし、暗殺は続いた。1993年8月、原理主義者は、非妥協的な対峙の支持者、元首相カスビ・メルバフを暗殺した。
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っと国家反逆テロ?が、続くのですが、、、、、
要するに、政府は、腐ってるんです。石油も鉱山資源もある豊かな国なんで、アメリカにしっかり手なずけられてしまった犬です。当然、言論の自由もなんもない。で、政府に楯突くと、テロなんです。
どのくらい腐っているか? 日本人は、アルジェリアに行くのにビザが今もいるのですが、10年以上前ですが、たまたま、お金を持ち合わせてなかったはまちに、ビザ代を値引きしてくれました。その代わり、出入国では、しっかり、袖の下を要求、若かった私は、上官を呼びつけて、訴えたら、上官にまで、要求されてしまいました。当時、ベルリン崩壊、東西ドイツ統一という時期、東欧に住んでいたので、国境の警備隊の堕落振りを知っていたのですが、マルボロどころか、現ナマを要求したパスコントロールは、ここだけです。しかも、機関銃付きで。都市部は、どこも軍のやりたい放題に近く、住宅街でも軍人が発砲していました。
現大統領ブーテリカは、1999年1月からやってますが、FISとの和平路線で、飴とムチとでもいうのでしょうか、2000年6月には、テロ勝利宣言をだしてます。
このあたりが、本当にテロ?と戦っている国なんでしょうね。実際には、勝利したとは思えませんが。ただ、実際に、ブーテリカが治めてから、以前ほど民衆を巻き込んだ反政府攻撃(テロによる爆弾事件のこと)は、発生していませんし、隣国モロッコとも西サハラ問題で、硬直状態あったものも、柔軟になってきているようです。(モロッコがFISを助けているという話があったりして、国境が封鎖されていた。)それだけ、独裁体制に入っているとも理解できますが。最近ですと、今年の2月からドイツ人スウェーデン人旅行客が、アルジェリアの南部の砂漠を旅行中、誘拐事件にあって、結局、マリか、モーリタニアで、政治的に解決、8月だったかに開放されました。それでも、2人ほど亡くなられてたのでは?
隣国、チュネジア、モロッコと比べて、間違いなく、観光旅行向きの国ではありません。物価も高く、品も薄いです。
石油は、いったいどこに流れているのでしょう?
※引用したサイトのアドレス
http://arab.fc2web.com/algeria