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(回答先: 人形に「戦争責任?」 投稿者 〜悪鬼〜 日時 2003 年 10 月 30 日 17:21:12)
〜悪鬼〜さん、こんにちわ。
私は「戦争責任」を論議すべしとしているわけではないのでレスしにくいのです、それを「敗戦責任」と置きかえれば、国家(国民)は、統治大権の地位にあれば操り人形でも「敗戦責任」を問うべきとこたえます。
その結果、「明治以降、「天皇家は単なる政治的道具」それは「今も変わってない」利用したのが、「貴族か?」「島津か?」「マッカーサーか?」」であることがわかれば、そのような統治構造になった所以をあきらかにし、国家の在り方を考えればいいと思っています。
それを明らかにするためには、「貴族」や「島津」は法的には統治権限を持っていなかったのですから、“形式的”法的権限者の判断や決定をもとにたどっていくしかありません。
〜悪鬼〜さんには自明のことなのでしょうが、「明治以降、「天皇家は単なる政治的道具」それは「今も変わってない」利用したのが、「貴族か?」「島津か?」「マッカーサーか?」という違いだけ」で、「「もし戦争反対を唱えたら、即病死、皇太子がいる。」便利なのよ皇室って!」だった(である)という認識がそれなりの範囲で共有化されているわけではありません。
※ 故竹下元首相は皇民党事件で身の危険を感じびびったそうですが、統治大権を司る人は、「もし戦争反対を唱えたら、即病死、皇太子がいる」とわかっていても、戦争を愚策と考えるのならそれに代わる国策遂行手段を採るよう指示し、その結果“病死”してもよしとしなければらないのです。