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(回答先: Re: 神話になった最後の武士たち 投稿者 舎利ホツ 日時 2003 年 10 月 19 日 01:49:21)
私は、あまり話を複雑に難しくすることの背景には嘘や誤魔化しがある場合が多いと思うの
です。まず単純に図式的に考えると、人間は神と動物の中間です。「サル−ヒト−カミ」とい
うヤツです。
一般的に言って、動物とは自分の欲望とか安全を基準に行動します。生殖行動に大きなエネ
ルギーをそそぎ、家族を守り自分の遺伝子を残すことに努力します。これが基本です。
そして人間も動物的な生き方をするのは当然です。しかし、人間の精神には動物性だけでは
説明のつかない部分があることはご存知のとおりです。動物から離れている分だけ、その人間
は神に近いということになります。
観念論と唯物論とがありますが、観念論の本当の内容をはっきりと言ってしまえば、「ある
個人の精神的態度が、その個人の周囲の環境とその個人自身の精神と肉体の性質を作りだす」
ということです。観念論の思想家にはいろいろな理由からこうはっきり言わないひとがいます
が、観念論とは要するにこういうことなのです。
ですから、唯物論の考え方をとらないのならば観念論を真理とするのですから、その場合は
人間の「進化」は精神的な事由によって説明されることになります。
私は大東亜戦争の最終局面で日本の最後の武士たちが見せた行動は、人間性の動物部分から
最も離れたものだと思います。たとえば、「玉砕」・「バンザイ突撃」・「特攻」などです。
こうしたことは、日本における人間の神化・超人化の可能性を暗示しているようでもありま
す。ヒトラーの兵士たちは全体としては近代西欧合理主義者として振舞ったのであって、神々
の仲間になった古代ギリシアの伝説の戦士たちのようではなかったのです。ナチス・ドイツ軍
は本当の神話にはなれませんでした。例外はあるようですが、全体としてはそんな感じです。
このことはヒトラーをとても失望させました。
私は帝国陸軍を高く評価していますが、実際あの組織が持つ独特の迫力にはナチスにはない
「神性」があると思います。あそこには、新入りに対する理不尽ないじめや上層部の学歴主義
など下から上まで多くの問題点がありました。しかし、日本の武士道的な伝統とか日本的聖性
を多く引き継いでいるという点では、やはり歴史上特筆すべき存在だったと思います。
「美そのもの」を自分の命より優先させるのは、動物としての人間にとっては矛盾した行動
です。しかし動物から離れていくのが人間だとすれば、それは純粋に人間的な行動です。「美
そのもの」というのは、ギリシア哲学では神です。それを自分より大切にしてしまうのならば
、その人の精神は神に接近しすぎている(神を愛しすぎている)のです。
「美」の方がその人になろう(同化しよう)とするかもしれません。もともと、物質的な体
も個別具体的な特徴・人格も持たず、特定の時空間における居場所も持たない「美」は、いつ
かはそれを手に入れてやろうとしているはずです。観念論的に考えれば、その同化が起きたと
きその人は生物学的にも人間ではなく神になるのです。