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(回答先: あの岡本行夫首相補佐官の行状は書かれていないのですか? 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 14 日 22:01:37)
中途退職した二人の外務省OBの生きざま
外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。
その浅井を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる」と、面と向かって引導を渡したという。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し返してやる」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省の質の低下を感じる。
浅井が日米安保体制に抱いている不信感には並々ならぬものがある。浅井が唱える外交方針は、中国に対する信頼感を基礎にしたアジア主義である。私はその立場に全面的に賛同するつもりはないが、外務省と違った主張を持つ以上、潔く外務省を辞し、自らの信念に基づいた言論活動で生計をたてる決意をした生き方を評価する。浅井がテレビ番組に出演しはじめた頃、「浅井を使うな」とテレビ局に圧力がかかることもあったというから、権力を敵にまわして独力で生きていくことは並大抵の覚悟ではできないのである。
それに比べて、もう一人のOB・岡本行夫の生きざまはどうか。一年先輩の岡本とは同じ米国研修仲間で、一時的にせよ一緒に仕事をしたこともあった。彼の辞職は、北米一課長というエリートコースを突っ走っていた矢先のことだったので、周囲は非常に驚いた。上司と喧嘩をした、友人とコンサルタント会社を始めることが以前からの夢であった、スキャンダルの発覚をおそれ身を引いた、などと様々な風評はたったが、そんなことはどうでもよい。
問題は岡本の身の振り方である。橋本龍太郎首相や小泉首相の補佐官をやってみたりする。途中で飛び出した外務省からの委託を受けて海外を飛び回る。しかもその言動を仔細に見ていくと、政府・外務省と距離を置いているような発言をするかと思えば、別の機会には政府や外務省を弁護し、そのお先棒を担ぐような真似をする。話す内容も、新味のある情報や斬新な視点があるわけではない。
このような男は、権力者にとっては利用価値があるのかもしれない。一応は民間人であるから、ときには政府を非難することもできる男を使うことによって、政府の意図をカモフラージュすることもできる。権力者の側にはそんな意図もあるのかもしれない。
岡本が北米一課長の頃のことだ。私が南アフリカの人種隔離政策をめぐる日本の対応についての回顧録を出版しようとした際、「米国を刺激する個所があるから出版は控えるべきだ」と、その原稿に文句をつけ、出版を妨げた。その岡本は今、米国一辺倒の外交をときおり非難してみたりする。
岡本ではなく浅井の生き方を、自分は潔しとする。