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(回答先: 国民管理(支配)のための装置「靖国」の限界と、今後のベクトル 投稿者 縄文人 日時 2004 年 1 月 03 日 14:32:59)
縄文人さん、たけ(tk)さん、今晩は。
靖国神社に関する客観的かつ鋭い読みに感銘いたしました。戦前は、毎年秋に靖国神社で招魂式というイベントが行われ、それは国家として非常に重要な行事でした。たしかに、招魂式は戦死者に対する単なる慰霊ではなく、国家主義、さらには軍国主義の発揚強化を意図するものだったようです。参考までに、ドキュメント『志村正順のラジオデイズ』(尾嶋義之著)から、「学徒出陣」の章の中で、昭和13年の招魂式を和田信賢アナウンサーがラジオで実況中継するくだりを以下に抜粋してみます。
≪ ……そのころ、観兵式と招魂式と早慶戦の三つを経験しなければ一人前のアナウンサーとはみなされなかったという。ならば、招魂式はアナウンサーにとって檜舞台である。 招魂式のクライマックスに招魂の儀というのがある。神主の厳かな祝詞とともに、兵士の霊を地上に呼び戻し、その霊を御羽車という一種の神輿に乗せて、森閑とした暗闇の境内を回るのである。例年行事なので、ふだんは予定原稿が用意され、それにアナウンサーが少し手を加える。ところが、和田信賢の放送はそれまでとはまったく異なる奔放なものだった。和田は自分が戦士の霊に成り代わってしゃべった。御羽車の中の霊が、故郷で田んぼを耕している遺族に向かって語りかけるという斬新な形式だったのである。録音が残されていないので、内容は正確ではないが、
「お母さん、元気かい。今年の米の出来はどうだろう。人手不足でたいへんだろうねえ。おれがいないので、刈り取りも思うようにいかないだろう。しかしお母さん、嘆いてはいけないよ。おれは護国の英霊となって、永遠にお国のために生きているのだから。お母さん、元気を出して、強く生きて行っておくれ。弟よ、兄さんの代わりに倍も働いて、お母さんを助けておくれ。おれも陰ながら見守っているよ。それではさようなら、さようなら……」
こういった意味のことを切々としゃべった。これが笙と篳篥の渺々たる楽の音に乗って流れると、聞き手のやるせない感情をかきたて、大きな反響を巻き起こした。息子のことを思って号泣したという母親の手紙が放送局に寄せられた。放送関係者の間でも「空前絶後の名放送」と評判になったものである。
その翌年アナウンサーとしてNHKに入局、十七年に和田信賢と結婚した和田實枝子が昔を振り返る。
「私もあの放送を聞いていて感動したのを覚えています。自分で作ったストーリーによって話を進める異色の放送でしたが、真っ暗な中で御羽車がきしむ音が聞こえ、一人一人の兵士のすすり泣きまで聞こえるような、情緒豊かなナレーションでした。しかしああいうセンチメンタリズムは、当時の軍部としては好ましくなかったでしょう」
まさにこの放送は軍部を刺激した。悲壮感が強すぎて国民の士気を阻喪させるという理由で、こういう放送はしないようにと、お目つけ役である逓信省(後の郵政省)を飛び越えて、陸軍の情報部門から直接放送局へ抗議の申し入れがあったのである≫
慰霊が目的だとしても、国のために死んだ霊という点で、国家という枠が厳として存在する。ところが、根本的な疑問として、靖国神社は宗教法人です。宗教とは、そもそも汎地球的な、国家を超えているものです。民族をも超えている。それが国家という概念なくして存立しないのであれば、宗教ではない。要するにニセ宗教です。そこへ参拝するという行動は何なのか。こういった問題で過去どんな考え方や論議があったのか知りたいと思っています。