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団塊の世代のというのはTVで西部劇を観て育ったといっても過言ではない。
思えば巧妙に刷り込まれたものだ、と感心している。
悪玉インデアンが罪も無い善良な白人の幌馬車を襲撃し、善玉騎兵隊が助けに出る。
幼かったぼくたちガキは悪玉インデアンに単純にも憤慨したものだ。
そして騎兵隊に心から拍手を送った。
しかし、時を経るに従ってぼくたちは知る。
なんと単純なワンパターンであることかと。
米国とスペインの戦争も(アメリカの戦艦を爆破されたという難癖)
米国と日本の戦争も(奇襲攻撃を受けたという難癖)
最近のアフガン、イラクは言うまでも無い。
すべてはアメリカ原住民を皆殺しにして領土を奪ったことが原型にある。
米国のトラウマからくるワンパターンの繰り返しなのだ。
こういうことに気がついてからアメリカ映画が
つねに政治的プロバガンダであることはわたしにとって自明になった。
たとえばユダヤ人の「受難」については、かならず毎年、
なにかひとつ大作映画が製作される。
先年は『戦場のピアニスト』だった。
繰り返し繰り返しユダヤ人の「受難」やアメリカ人の「受難」とそれへの
正義の反撃映画が作られ、世界中の若者の頭に刷り込まれる。
こんなわけでアメリカ映画にはまったく期待しなくなったのだが、
アクション娯楽映画のつもりで観た
『ダンス:ウイズ・ウルヴス』には驚愕した。
これ、単なるインデアンへの同情とか共感などまるでなく
ほとんど「反アメリカ」映画ではないか!
いや、ほとんどどころではない。「反米」映画そのものであった。
よくも監督は今日まで無事でいたものだ、と思ったほど
物凄い、半端でない反米映画だった。
しかも主演・監督はケビン・コスナー!
メジャーもメジャー。日本で言えばちと古いが石原裕次郎が
天皇制批判映画を作ったようなものである。
この映画をみればわかるのだが、ケビンコスナーのアメリカ批判の目は
この国の歴史・体質の骨髄にまで達している。
よくもまあ、右翼から狙われたり
「善良な市民」から白い目で見られずに無事でおられたものだと感心せざるをえない。
こんな凄い映画を作れる国なんだから。
アメリカよ、立ち直ってくれよ!