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(回答先: キリスト教は結局、選民思想だな。愛だの何だの言っても、最後はその選民思想が人を殺す 投稿者 ブッシュ小泉 日時 2004 年 1 月 01 日 08:18:37)
ブッシュ小泉さん
去年はとんだ所でお世話になりました。本年もよろしく。
ヘブライ民族のみの救済を希求する(選民思想)ユダヤ教に対するアンチテーゼとして、全ての民族の普遍的(catholic:カトリックの意味)救済を題目として登場したのが、キリスト教だという話にはなっておるようですね、一応。英国国教会(Anglican Church)などでも、実は英国本土よりむしろナイジェリアなどアフリカ諸国の信者数の方が多いくらいなのですね。
ただしカトリックがスペイン・ポルトガルによる帝国主義の走狗としての役割を持っていたこと、さらに新教国による帝国主義においても、プロテスタンティズム(近代資本主義の宗教的イデオロギー)が収奪を正当化する基盤となったことはむろん事実で、その害悪を否定するものではありません。
現代ではキリスト教を受け入れるということはキリスト教に帰依する、というよりは「持てる者」の既得権を容認するための基盤装置である法体系(商習慣を含む)に代表される、キリスト教的価値観を是認すること、と解釈できます。その中では華僑も日本人も「準」キリスト教徒として一応その存在を認められているわけです。
欧米各国では完全に自由な経済活動(レッセフェール)こそが「キリスト教的」(だから「神の見えざる手」といった宗教的な概念・表現が使われる)、だと一般大衆も信じており、その結果多くの場合は(ユダヤ人など)キリスト教徒でさえない「持てる者」がますます肥え太っている、という現実を見ていないのです。
その結果まじめにモノを作って営々と築き上げた会社を、マネーゲームで一夜にして乗っ取られる、採れすぎた作物を焼却する、消費者から見たらどうみても品質の優れたベータマックス方式が、より劣悪なVHS方式に駆逐される、などといった「非キリスト教的(アンフェアである)」な現象の連続となるわけです。(ちょっと牽強付会気味だったか?)
言うまでもなくキリスト教(特に仏教などと比べて)の歴史は血塗られており、バチカンなどは今でもマフィア利権の巣です。キリスト教徒の多くは欺瞞の固まりのような自らの振る舞いを矛盾だとも認識していません。中でも最大の矛盾は、キリストが言ったとされる「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい。」でしょう。
私は「隣人が困っている時には手をさしのべる(聖書の良きサマリア人の逸話)」とか、「汝殺すなかれ(モーゼの十戒)」をはじめとするキリスト教の理念は、いつの世も全く妥当する理念だと考えています。こんな当たり前のことはキリスト教による強制なしでも、リーズナブルな市民社会において当然自律的に履行されるべきことなのですが、こんな基本的なことでさえ「地獄に落ちること」、に対する恐怖なしでは履行され得ないほど昔の社会は野蛮だった、ということか。いや現代においてもこうした人間としての最低限の基本的な道徳を履行できない人はいます。そういう人にはそれこそキリスト教が必要かもしれません。