現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 1205.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
この年末年始にかけて生まれて初めて自分で物を大量に作って
小売店へ卸すという、小さな小さな商いをやった。
物を作ってみて初めて気がついたのはお金の大切さだった。
「良い物を安く売る」のが販売の基本らしいが
良い物をつくるには、良い材料・部品を使わなければならない。
しかし良い部品は当然、高いからその分、利益は薄くなる。
従って大量にさばかなければ儲からない。
自然、大量卸しを条件に作ることになる。
そうすると、ひとつひとつの部品を買うときの、一個一個の値段の
五円、十円がとても大きく響く。
商売をしている方にはこんなことは当たり前のことだろうが
ずっと自由業をしてきたわたしには新鮮な体験だった。
ここで手を抜いて台湾製の粗略品でも構わないのだが、
そうするといずれ大量の注文がこなくなるだろう。
目先の利益を考えるか、自制して高くても良い部品を使うか。
という意志と決断の問題...なんて大げさにいうほどのこともないが
貴重な経験をさせてもらった。
運良く、卸した品物は飛ぶように売れたわけだが、
このおかげで、いままで高いバーやスナックで飲んでいたのが
アホらしくなった。
わずか千円の金を儲けるために製造業者はどれほどの苦労をしているか。
それが身にしみた今となっては、なんとなく高級?バーでバカ飲みするのが
ためらわれて
立ち飲み屋にふらりと寄って、原価に近い値段のお酒を飲んでいる。
これもなかなかいい。
初めて知ったのだが、こういう感覚って
官僚や政治家にはわからないのではなかろうか。
濡れ手で粟の銀行家や投資家にもなかなかわからないお金の感覚だと思う。
わたしのような貧乏人ですら、いままで物作りというものをするまで
気がつかなかった。
観念としてのお金と、具体的に物を作って売ったときに交わされるお金。
この差は大きい。投資という取引では具体的なお金の値打ちは
なかなかわからないはずだ。
物作りによって得られる確かな感覚は
この時代すべてに失われたある種のものだろう。
わたしたちは哲学や歴史、思想、文学を語るときにも、いまいちど
「物」に立ち返ってみるべきときかもしれないな、とほんとうに本気で思った。
.....大会みたいな口調になってしまった。
お酒が入っているのでご容赦。
異常。