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「簡単なレスと『お金(マネー)の歴史全書』(大英博物館編・東洋書林刊)の紹介」( http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/800.html )の続きです。
たぶん、ひょっとしたら、今年最後の投稿になると思うので、貨幣よりも貨幣論が好きなみなさん、なかでもマルハナバチさんへのお歳暮とさせていただきます(^o^)
書記長の中中≠ブッシュ小泉説も出て、今年の阿修羅は投稿者の同一性と非同一性をめぐる問題で暮れていくという感じですね(笑)
春節(旧正月)派ですが、みなさん良いお年を!
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朝の日課の友として細切れに読んできた『お金(マネー)の歴史全書』をようやく読み終わった。
第7章 近代初期・ 第8章 アフリカとオセアニア・ 第9章 近代は、なかなか興味深い内容だったが、最後のシメには微笑んでしまった。
最後は、「「ポスト産業」時代にはマネーの生産は予測可能な工業生産とはますます無縁のものとなったのである。ある種の個人は株式市場や貨幣市場において巨額のマネーを作り出すことができるかのように見え、その行動は人口の大多数にとってはミステリーとなった。国民経済や貨幣的な繁栄にとっての彼らの重要性については一般に知られている。しかし、ただごく少数の人だけが実際にどのように仕事をすればよいかを知っているわけだ。この光景は太平洋沿岸の侵攻地域の産業化の成功と結びついていたのだ。しかし西洋では(この本はその視点から書かれているのだが)、マネーはそれが身につけた体系ととその獲得のための手段との両面において第二千年期の終末が近づいたとき、ますます非物質的な様相を身につけた。そこから近代の貨幣の基本的パラドックスが出てくる。とらえどころのなくなったものが、どうしてかくも非常に強力となりうるのであろうか。」(完:P.345〜346)と締められている。
パラドックスは、その直前に書かれている「 もちろん社会それ自身もまた変わった。産業の時代には貨幣の生産と物財の生産は密接に、特に安価な大量生産を通じて結びついていた。よくいわれるように、「ガラクタがあるところにゼニがある」というわけである。それはその時代には新しいことであったが、それも二〇世紀後半には西洋の多くの地域での重工業の衰退と「ポスト産業」社会の到来とともに時代遅れのものとなってしまった。」(P.345)との対比で理解されるべきものであろう。
著者がどこまで自覚的に書いているのかはわからないから、“秘法”を知っている「ごく少数の人」が官僚・銀行家・経済学者という専門家を指すのか、それとも、“彼ら”(頂点に立つ国際金融家)を指すのかはわからないが、「人口の大多数にとってはミステリー」であることを密かに知っているごく少数者が世界経済を動かしているという認識の表明であることは間違いないだろう。
著者は、「しかしデフレ的措置や雇用の縮小、1967年のポンド切り下げにも関わらず、インフレの問題は解決されなかった」(P.336)と経済論理的な思い違いも散見されるが、“秘法”はそれなりに知っている人だと推察している。
(ポンド切り下げは、それが輸出の増加につながってもインフレ圧力、そうでなくとも輸入物価の上昇でインフレ圧力になる変動だから、インフレ問題が解決に向かう要因ではない)
著者は、歴史における「近代」の特殊性や異常性をきちんと認識している。
例えば、「部族社会が本来的に社会発展のすべてが整った形態であること、そしてマネーの西洋的概念が世界のほかの部分における明らかに類似した現象の基礎であると仮定すべきではないということ、この二つを認識することがもっとも重要である。それゆえに、「塩マネー」や「羽毛マネー」が西洋的伝統の、いわばコインや紙幣を使うのと同じ方法、同じ理由で使われていると仮定するのは誤りである。部族的なシステムと西洋的なシステムとの間の主要な相違の一つは、様々な種類の支払いをする理由を決定する際の商業的考慮の程度である。決してすべての社会が西洋のように交易や交換を中心的に考えているわけではない。事実、西洋文化とそのマネー制度が「正常」であるどころか、実際にはその商業への執着において歴史的に変則であるとの議論すらあるのである」(P.289)と説き起こし、コンゴのレレ族の「布貨」について「レレの「布貨」はヨーロッパ式のマネーと同じように使われたわけではなく、その商業目的としての使用は社会的観衆に拘束されていたのである。しかしレレ社会においてはきわめて幅広い非商業的「支払い」が求められ、そのための「布貨」の使用は義務的だった。その主要な機能はレレ族の間の社会関係を強化することであったのである」(P.292)と説明し、「布貨」が宗教的崇拝集団への入会金や治療儀式の料金、そして、報奨金・罰金・賠償金・血債決済・貢納・儀礼的贈物などの支払手段として使われる事例を上げている。そして、期待された支払いをするだけの布貨を持っていないときは同族内で寄付や借金もあると補足している。
さらに、「西洋型マネーの機能は、歴史的に特殊なヨーロッパ的な物質的生産性と利潤に対する関心と結びついているが、それは近代において特に顕著である。しかしこれは一般的な人類の性情からはるかにかけ離れたものなのである。近代西洋社会は歴史的に人間の努力が集中する点において歴史的に異常なのである」(P.297)と「近代」の特異性を確認し、「近代西洋のマネーはあらゆる種類の物財とサーヴィスの相互間に等質の価格と、価値の数量化をますます広げる傾向をもってきた。これは先進諸国における市場経済の重要性の高まりの付随的な特徴であって、そこでは売買が物財を獲得し、分配の第一の方法であり、労働は貨幣で支払われる。このタイプ以外の市場経済では、何らかの形態のマネー的媒介手段の使用は特殊な社会的文脈に範囲を限られる。また交換の領域についてでは、特殊なタイプの品物にかかわる取引に限られる傾向がある。贈物の贈与、儀礼的に条件づけられた交換と支払いを通じての社会関係の想像と維持が、しばしば地域的なマネー制度がどのように機能するかを決定する要因として市場志向の交換よりずっと重大だったのである」と西洋近代と他とを比較考察している。
※ 「第9章 近代」については稿を改めて年明け後に紹介したいと思っています。
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最後になりましたが、空虚な理論体系である経済学よりもずっと含蓄があり味わい深い“未開”の人の言葉を当該書より引用してお歳暮とさせていただきます。
上述の引用部分も、トンガの首長フィノーの言葉に照らして再読していただければ、より理解が深まるはずだと思っています。
[トンガの首長フィノーの言葉]
「もしマネーが鉄からつくられており、それからナイフ、斧、のみを造ることができるのだとすれば、マネーに価値を与えるいくつかの要素があるということはできよう。しかし、今のような状況では、私はマネーの中に価値を見出さない。もしある人が必要とする以上のヤム芋をもっているならば、それと豚や樹皮布と交換することができる。もちろんマネーは取り扱いが容易で、便利であるが、それが腐らないからといって、もしそれが保存され、人々がそれを(首長がしなければならないように)他の人にそれを分与する代わりに、しまっておくならば、彼らは利己主義者となる。他方でもし食物が(それがもっとも有用で必要であるものであるから例としてあげるが)人が持っているもっとも貴重な所有物であるとしても、彼はそれを貯蓄することはできないし、それを別の有用なものと交換するか、それを隣人や地位の低い首長、彼が面倒をみるすべての人々に分与するかどちからをせざるを得ないだろう。交換されるものがなければ、分与するのである。私はヨーロッパ人をたいそう利己主義者にしているものを今は大変よくわかる。それは、マネーである。」(P.301〜302)