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自問自答
Q まさか坊主(仏教徒)が人を殺すことに平気で加担するものだろうか?
平気で自衛隊の公務職員を戦争の行われている地に派遣することを容認する
ものだろうか?
A 然り、大昔から日本の坊主は人殺しに邁進してきた。
比叡山延暦寺と三井寺との骨肉の争い。放火殺人は日常茶飯。
あるいは興福寺と延暦寺との抗争。
あるいは一向一揆における蓮如の非情、卑劣。
門徒を兵士の前面に配置し、死ねば浄土へいけると
教えて数万の民衆を皆殺しにさせた。
いまさら「仏教徒」のくせに....とは日本では通らない。
Q すべての生き物の命を尊ぶのが佛の教えではないか?
それとも公明党=創価学会の《佛》(ほとけ)とは
《弗》(ドル)のことだらうか?
A 佛というのは人それぞれ解釈が違うが、尊いものすべてが佛だ。
しかしどうも公明党の立てる日蓮というのは妙法蓮華経をまるで
理解してなかったようだ。
法華経には僧侶が決して、してはいけないこととして政治的な活動を
挙げている。いったいかれらは法華経のどこを読んでいるのか?
ぱっぱりわからない。
常不軽菩薩品なんか、飛ばし読みしてるんではないだろうか?
Q この国ではいつも宗教がイデオロギーになり、イデオロギーが宗教になる。
かと思えば文学を政治的にやり、政治を文学的にやる。
いつまでたっても宗教としての宗教。イデオロギーとしてのイデオロギー。
文学としての文学。政治としての政治が根付かないのはなぜだろう?
A こういった変態現象の根底にあるものはいったい何なのかというと
....それがわかれば苦労はないというこっちゃ。(笑
要するに群れたいだけ、ちゅうこっちゃではなかろうか。(笑)
つまり、人間、とくに日本人は何故群れたがるか?
ということにいきつく。
宗教がイデオロギー的になり、イデオロギーが宗教になる。
そんな時代がこの国を覆って、腐らせた。
もっとも日蓮がもっとも重要な経典としていた
妙法蓮華経は、そんなにたいしたものじゃない。
誇大妄想狂の産物だろう。
あんな妄想本を経典にしているような団体だから
仕方ないか。もっとも妙法蓮華狂、もとい蓮華経の
「常不軽菩薩品」はちょっち評価できる。
しかし公明党の人たちがこれを実践しているとは言い難い。