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(回答先: 「開かれた地域共同体」における欲望の社会的コントロール方法 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 25 日 20:53:39)
あっしらさん、お帰りなさい。
これからもあっしらさんのお話が聞けることを嬉しく思います。
「開かれた地域共同体」社会では、多くの人にとって今よりも良い条件で、欲望の調整が図れると信じています。
ただ、それには、やはり価値観の変革と精緻な「システム設計」が必要でしょうね。
>そのためには、欲しいものが手に入るということはどういうことに支えられているのか
本来は生きていくために最低限必要と思われる知識なのに、貨幣経済にどっぷりつかってしまっている現在では
そんなことを考えたこともないという人が、ほとんどなのではないでしょうか?
(わたしも阿修羅で、あっしらさんの投稿を読むまでは、そうでした)
金で金を稼ぐ行為は無常のものであり、持続性のないもので、いつかは必ず崩壊するものだという
”当たり前の認識”が、まずは、多数派にならないといけません。
あとは、システム設計の問題ですが、
>逆に言えば、稼ぎのばらつきや恋愛に象徴されるような不充足はあい変わらず残る社会です。
このこと自体は、全然問題ないことなのですが、「稼ぎのばらつき」が出る要因については、こだわりたいです。
>例えば、みんながより楽になるものを開発した人だとか、みんなが欲しがるものをデザインした人が
>「より少ない活動量」で「多くのモノ」を手に入れることは、みんなとは言いませんが多くの人が認めるのではないかと推測しています。
>これは、いいものを生み出した人への多くの人からの贈与(お礼)と言えるものです。
これについては、大いに賛成できます。
あと、比較的人の嫌がる仕事をする人には、多くの稼ぎを与えるか少ない労働時間を認めることです。
活動質×活動量=実現できる欲望量 というイメージが、ストレートに反映することが重要だと思います。
本来は現代社会でも、そうであるべきなのですが、必需財の生産に携わる人が充分でなかったり
金融や地代の吸い上げがあるために、不本意・不公正な「稼ぎのばらつき」が横行しています。
>「便利な土地」や「いい環境の土地」はその他の土地より利用料が高くなるはずです。
このことについては、わたしは「開かれた地域共同体」社会に移行したら、即刻、徴収すべきと思っています。
現在は「地代を払わないと生きていけない人(借家人)」「地代を払わなくても生きていける人(持ち家)」
「地代を払うどころか受け取れる人(余剰土地所有者)」の3種類がいるが、基本的価値観であるべき
>欲しいものが手に入るということはどういうことに支えられているのか
ということを、完全に無視したものである。
全員が土地使用料を払う側に回ることによって、その土地使用料も、現在とは比べものにならないほど
低廉なものになると考えています。
あっしらさんは、そのあたりに関しては、どのようにお考えでしょうか?