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Swearing というのは英語の動詞swearの(誓う、神の名を汚す)の意のうち後者の意味から来ている。どういうわけかswearingの範疇にはfu□k, sh□t, など4文字の言葉が多いことからfour-letter-word(4文字禁句)という言葉もある。かつてはbloody(「血まみれの」を意味する形容詞:劇作家のGeorge Bernard Shawが最初に使ったと言われる。そういえばMy Fair Ladyの中でイライザの父親が乱発していましたね。)くらいでも非常に大きなインパクトを持っていたのであるが、近年swearingのインフレが顕著でbloodyは今では相当お上品な部類のswearingとなってしまった観がある。同様にインフレで希薄化した範疇に入るのがson of a gun、 son of a bitch(これは未だにややきついが)であろう。代りにmother fu□kerが多用されるようになってきている。
Fu□kならびにfu□kingはかつての英国ではショッキングな禁句であったものが、ここ20年ほどの間に下層労働者階級を中心に急速に普及したようである。すべてのセンテンスにfu□kingを付けないと気が済まない、とばかりに濫用するものさえ存在していることは残念ながら事実である。これはアメリカ映画、特にギャング、海兵隊、警察を部隊とした映画の影響が大きいようだ。ただし教養のある人々の前でswearingを用いた場合は二度とお呼びはかからないこと請け合いである。ある米国人が「日本人でさほど英語に習熟もしていない人がfu□kを濫用するのを聞くと、一体どこのスラム街で教育を受けたんだろう、と思う。非常に奇異で不快な印象を受ける。」といっているのを聞いたことがある。まあ常識的なアメリカ人やイギリス人が、先日阿修羅を襲ったアラシが好んで使っていたような禁句を日本語でわめきはじめたら日本人としてどう感じるか、を想像すればその辺の感覚はすぐに分かるはずである。外国人がいやしくも日本語を話すのなら、汚い日本語ではなく、美しい日本語を使ってほしいと思うのが当然の感情である。
教育のある階級がswearingを使うのはよほど親しい関係にある者同士、あるいはよほど興奮した場合に限られる。また権力のある者(職場の上司など)が部下の前で威嚇として使う場合がある(これは一番いやらしい使い方だ)。部下が上司に対して使えるのはクビを覚悟した時だけである。例外的に沖中士や漁師などが使う場合に親愛の情をこめているような場合もある。いずれにせよ日本人がswearingを自然に使える場面はほとんどないと考えた方が無難である。
小生はswearingは一応聞いて意味は分かるものの使ったことはほとんどない。それは初期の段階で教養のある米国人から教育を受け、学校に入ってからは文部省の教科書通りの教育(そう受験英語である)を受けたおかげである。おかげで世界中どこでも英語で不自由することは少ない(聞き取りが難しい場合は少なくないが、こちらの言うことが伝わらないことは皆無である)。日本では受験英語を馬鹿にする向きが多いがそれは認識違いである。英米でも教育程度の高い人間は日本の受験英語の文法通りの英語を使う。文法をキチンと学習することはどのような言語においても基本なのである。三単現のsや時制の一致といったルールを軽んずることなく、wouldやshouldのような助動詞の用法を正しく身につけた人は、英米でも間違いなく高い評価を受けることができる。それは敬語を的確に使える外国人が日本でどういう評価を受けるか想像すればすぐわかることである。
では日本の英語教育で何が問題なのかというと、第一に教師が英語を正確に発音できず、また自分で英語を使いこなせないこと。それから派生する問題であるが、教材の量(質ではない)が圧倒的に少ないことである。わずか百数十ぺージの教科書を一年かけて教える、などというペースでは文字通り全く話しにならないのである。英米の高級紙(quality paper)は情報量が多い。別冊の折り込みも入れれば、ウィークデイ版でも50ページ、日曜版だと200ページ以上にもなる場合さえある(もちろん全部読む人などいないのだが)。だから日本の学校では精読と同時に、多読のためのリーダーを導入して速読の習慣を付けさせないと、とうてい国際社会で通用する英語のペースは身に付かないであろう。まあその前にそれがこなせる教師の育成が先決なのであるが。
英会話学校などで妙にくだけた会話をならったからといって、英語が話せるようになるとは言えない。キチンとした文法・語法、そして何より話す中身が問題だからである。小生の知る日本人の中には、発音は全くダメ(といっても不自然なだけで間違ってはいない)だが、キチンと文法をわきまえており、英文学から政治まで多様な話題で英国人を魅了することのできる者が現実にいる。
現在の日本の英語教育の問題はとにかく絶対的な量の不足といえる。「受験英語が悪いから英語が話せない」はウソである。ただ勉強量が要求される水準に遠く及ばないだけである。