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「天皇の為」と「お国の為」は同義語ではありません。「一億玉砕」は国家・国民が滅んでも、「天皇」を護ることに意義があるとしたものです。近代の軍隊は人民から「朝廷(天皇)」を護る為に造られたものです(1870年兵制統一)。「華族制度」が「朝廷の藩屏」として制度化されたのと同じものです。もっとも軍隊の方が先ですが。
明治憲法下で如何に軍人が優遇されたいたか、それを知らなければ「滅私奉公」を精神論だけで捉えることになります。天皇の為に犠牲になることは、それなりの恩賞があったからです。兵階級は13年、将校階級は15年で恩給の資格が得られます(資格を得る年数はうろ覚えなので、もう少し短かったかも知れませんが)。
平時は軍籍に在った年数そのものですが、戦争になり戦闘地域に在った年月は3倍になります。たとえば3年間、戦闘地域に在れば、恩給資格年数は三倍され9年と計算されるわけです。ですから20代中ごろの中尉クラスでも恩給資格が得られます。恩給は退役時の俸給の三分の一を生涯支給される制度です。
その他にも「金鵄勲章」などは、功一級の1500円から功七級150円などがあります。これも年金ですから生涯支給されます(1941年6月より、一時金となる)。貨幣価値が時代によって違いますから、ピンとこないでしょうが。満州事変の後(1930年代の中ごろ)のことですが、県庁の課長クラスの月給が100円であったといいます(この頃の県庁の課長職はサラリーマンとしては、上位クラスだったでしょう。ちなみに一等兵の月給は11円位でした)。
役人も「天皇の官僚」として優遇されましたが、軍人はもっと優遇されていたと言うべきでしょう。もっと、徴兵されて恩給資格を得るほど在籍しない一般兵士にとっては、有り難い所だったとはとても言えない所でしょうが。それでも2年の兵役で、上等兵として除隊した者は(巷では)一目おかれるような存在になったようです。
このような種々の見返りによって、成り立っていた皇軍(天皇の軍隊の意)といわれる軍隊を精神論だけに限る「お国の為」の一言で持て囃すのは明らかに誤りです。ここ十数年、靖国神社を持て囃す風潮がありますが、それは会員の老齢化により、会員数を減らし続ける遺族会の危機感から生まれたものです。
あれはバブルの直前でしたが、不景気と言われ国が税収不足に陥った頃、歳出見直しが叫ばれました。その歳出削減の項目の中に入っていたのが、遺族年金や軍人恩給でした(これらの戦後保障費の総額は、多分50兆円を越えているでしょう、今現在)。
その巻き返しとして遺族会が放ったものが「現在の平和と繁栄は戦死者の尊い犠牲の上にある」と言う言葉(この言葉もうろ覚えで申し訳ない)です。それ以前にこのような言葉を聞いた覚えがありません。つまり、戦争に狂ったことを深く自省していた人達は、このような言葉を吐かなかったということです。
日本の皇軍といわれる軍隊は職業軍人(だけではなく兵であっても戦死者)を厚遇することにより、成り立っていたものであると認識すべきです。「滅私奉公」はその厚遇ぶりを隠して「精神論」を強調したものです。今、「お国の為に犠牲になった」という言い方ばかりになっていますが、「天皇の為に犠牲になった」というのが正確なもの言いです。「天皇の為」と何故言わないのか、其処に「遺族年金や軍人恩給」を受け取る側の思惑が隠されていることを知るべきです。
今の靖国神社は「遺族年金や軍人恩給」を受け取る側だけではなく、「天皇軍服主義」に憧れる者、「軍事産業の活性化」を企てる者、脅威論に脅されておろおろする「小心庶民」、「軍事オタク」などの種々雑多な人々の思惑が絡み合う所になってます。それらの人間全てを正当化する言葉が「お国の為」であり、「尊い犠牲」であり、「国を護る気概」であったりするのです。
天皇家の「私設」として造られた靖国社に天皇が行幸しなくなりました(A級戦犯合祀発覚後)。天皇が民草(国民)を祀る社に行幸するという絶対的な権威を失った社が、その権威の代替として「天皇」を「国」と言い換えているのです。「靖国神社」を論じるのに、「お国の為」と言い、「天皇の為」という言葉を出せないのは「まやかし」です。
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