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命の重さ [古川利明の同時代ウォッチング]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 01 日 04:06:09:dfhdU2/i2Qkk2
 

命の重さ

03・12・20

 総センキョが終わってから、ナンダカンダでバタバタしていて、本サイトの更新も1


カ月以上、ほったらかしになってしまいました。


 その間、極東亡国の政治状況も相変わらずというより、予想通り、さらに救いがたい


ほどに悪化していて、イラク情勢に政局と、言いたい(吠えたい)ことはヤマのように


あるのですが(笑)、今回はそういう有象無象のレベルからはちょっと離れ、敢えて「


生きとし生ける者の命は、なぜ、等しく重いのか」という根源的かつ哲学的な命題を、


じっくりと考えてみたいと思います。


 

 今年ももうあとわずかで年が暮れようとしていますが、ちょうど2年前の2001年


という年は、「医療過誤」で1冊の本を書き下ろすため、全国各地の現場を尋ね歩いて


いました。


 昨今、相変わらず噴出しまくっているこの医療過誤も、極東亡国の政治状況と酷似し


て、底無しの頽廃、腐敗ぶりはリミットがありませんが、そうした医療過誤の取材の中


で、私がいちばん忘れることができないのは、「さおちゃん」との出会いです。


 「さおちゃん」といっても、私が初めて出会ったのは、生きている生身の彼女ではな


く、既にこの世から旅立った後のことです。


 さおちゃんの名前は、「藤井沙織」といいますが、私が『あなたが病院で「殺される」


しくみ――システムとしての医療過誤』(第三書館)の中の第3章で書いていますが


京大付属病院で、エタノールを誤って人工呼吸器に注入したミスが原因で、わずか17


歳で亡くなってしまった、医療過誤の被害者です。


 

 私が京都市北部のさおちゃんの自宅を訪れたのは、おととしの連休前の、4月下旬の


ことでした。


 そのときで、既に亡くなってから1年以上が経過していましたが、玄関の表札の前に


は、まだ、「藤井沙織」の名前が掲げてありました。


 父親の省二さん、母親の香さんとも、事故が起こってしばらくは、何が何だかわから


なくて、何よりもまず、最愛のわが子を亡くした悲しみで、マスコミの取材を受けられ


るという状況ではなかったといいます。


 この取材を通して、私は沙織さんのご両親を、「お父さん」「お母さん」と呼ぶよう


になったのですが、お父さん、お母さんにとって、さおちゃんは「宝物」だったといい


ます。


 

 さおちゃんは、生後、10カ月経ったとき、原因不明の高熱をきっかけに、「リー脳


症」と呼ばれる難病を発病し、その後、闘病生活を送ってきました。


 もちろん、どの両親にとっても、自分の子供は何物にも代えられない、大切な「宝物」


であると思います。


 でも、さおちゃんのお父さん、お母さんにとっての「宝物」だったというのは、たと


え、障害を背負って生きていくことを余儀なくされた、「小さな命」であっても、その


生命の重さに変わりはないという、「普遍的な真実」を教えてくれた意味において、だ


といいます。


 

 お父さんは、取材の中で、しんみりとした口調で、さおちゃんという存在の大切さを


こう言っていました。


 「沙織は17年間、歩いたこともない、寝たきりでした。言葉は『藤井沙織ちゃん』


と声をかけると、『はい』。それから母親のことを『あーちゃん、あーちゃん』と三つ


ぐらいしか喋れなかったですけど、命の重さには変わりがないと思っていました。10


カ月で沙織が発病するまでは、私なんて、本当にどこにでもいるバカ親でした。それま


では、障害者の人や車椅子の人を見ても、何とかしなければならない気持ちはずうーっ


とありましたが、どうしてよいかわからなかった。でも、弱い立場の人間と暮らしてい


ると、行政もそうですけど、教育もそうですけど、いろんなんことがわが身の問題とし


て見えてくるんです。これも、沙織と一緒に生きてきたことで、沙織が教えてくれたん


ですよね」


 

 その後も、取材を続ける中で、ここでお父さんが言っていた「いろんなこと」って何


だろうと、ずうーっと考え続けていました。


 そして、弱者やマイノリティーの立場に身を置いたとき、「わが身の問題」として見


えてくるものって、いったい何なんだろうか、ということを考えました。


 そこで、私がたどり着いた結論とは、それは「人間社会の不条理」ということではな


いのか、ということでした。


 本来、「人権」という、命の重さを何よりも尊重するという価値観は、人間が生まれ


ながらにして、誰しもが平等に与えられていることになっています。


 しかし、残念ながら、こうした人権など、実際には権力の側によって蹂躪され、踏み


にじられてきたのが、人間の歴史なのです。そして、そのターゲットにされているのが、


いつの世でも、弱い立場の人たちであり、マイノリティーに属する人たちなのです。


 本当に残念ですが、それが「人間社会の不条理」なのです。


 

 かつて、共同通信の記者だった斎藤茂男氏が、ダウン症という障害児の子供たちのこ


とを取材し、『命かがやく日のために』という連載記事を書いていたことがありました


 そこで斎藤氏がびっくりしていたことが、そうして生まれてきたダウン症の子供を「


捨てる」親がいたという事実です。


 それは例えば、生まれた途端、親戚や知人、近所には「死産」としておいて、しばら


く病院に置いておき、その後、乳児院に連れていって、そのまま事実上の「遺棄」とい


う形で置いてきた、というのです。


 ちなみに、その父親は国家公務員に合格して、某官庁に勤めている人だと記されてい


ますが、その官僚である若い父親の方は、それから一度も顔を見せることなく、ダウン


症の赤ちゃんは、その約一年後に亡くなったといいます。弔い晩も、その両親は姿を見


せず、わずか数人の保母と看護婦たちが、その女の子に化粧をして、いわば、他人だけ


で寂しい弔いをしたそうです。


 

 そこで、斎藤氏が驚きをもって記していたことは、こうして「子供を捨てた親」たち


が、重い心の葛藤を経て、生かすか殺すかという選択をしたというよりも、むしろ、ち


ょうど欠陥商品を廃棄するがごとく、「この命は欠陥があるから、破棄しましょう」と


いった軽い感覚で、その子を“抹殺”していたのだそうです。


 結局、障害を持った子供を「欠陥商品のように捨てる」という考えの根底に、いった


い何があるのか、ということを考えていくと、斎藤氏は「それはおそらく社会的ダーウ


ィニズムではないのか」という、仮説を立てます。


 ダーウィンは、「進化論の教祖」ということになっていますが、その根底にあるもの


は、アングロサクソン的拝金系資本主義が求める、「金銭的価値を生み出すことが発展


であり、進化である」ということではないかと思います。


 ということは、逆に言えば、「金銭的価値を生み出さない存在は悪であり、抹殺して


もよろしい」ということになります。


 

 事実、ナチス・ドイツは政権の座に就いた一九三三年、俗に「断種法」と呼ばれてい


る、「遺伝病的子孫の増殖の防止に関する法律」を制定し、精神病とか盲目とかの先天


性疾患を持つ人を遺伝健康裁判所に送り込んで、その結果、「該当する遺伝子を持って


いる」ということを判断された場合は、断種手術として、男性の場合は、睾丸切除、女


性の場合は卵巣摘出の手術を強要されたわけです。


 そうやって、劣悪な遺伝子は抹殺するという政策を遂行する一方で、「ゲルマン民族


こそが優秀」という妄想のもと、ゲルマン民族の純粋な血統を受け継ぐ青年男女をピッ


クアップして、日本で言うところの文部省青年の家みたいなところに合宿させて、性交


させるという、世にもおぞましいことを平気でやってきたわけです。


 

 話をさおちゃんに戻しますと、さおちゃんのお母さんは、今年6月23日の京都地裁


で開かれた刑事裁判の公判で、こう述べています。


 「リー脳症と診断された当初、沙織の病気を受け入れるまでには、価値観との闘い、


苦悩はあったけれど、それが吹っ切れたときの爽快感は言いようのないものでした。人


生観が大きく変わるような感動に日々出会いました。勉強ができるのがいいとか、たく


さんお金を稼げるのがいいとか、そんなことではなくて、人と人が、気持ちが通じ合う


ことが、こんなにうれしいことなんだ、こんなに大事なことなんだ、そのことを沙織は


気づかせてくれました。


 寝たきりでも、見た目の表情が分かりにくくても、小さな変化を見逃さず、人間の可


能性を信じて向き合い、働きかけていくなかで、引き出されるものがたくさんあります。


そういう手応えを感じるとき、私たちは心から喜びを感じました。声かけすることで


目を大きく見開いたり、身体にグッと力を入れたり、手をかすかに動かしたり……。沙


織が必死に応えようとする心の動きが見えたときは、本当に何物にも代えがたい感動が


ありました。


 命を見つめてきたからこそ感じる深い幸せや喜びを、沙織はいっぱいくれました。歩


けなくても、話せなくても、とにかく私のそばに居てほしい。生きててほしかった。生


きてるだけで十分だった」


 

 このさおちゃんの医療過誤の詳しい実態については、拙著『あなたが病院で「殺され


る」しくみ――システムとしての医療過誤』と、さおちゃんのお父さん、お母さんの刑


事、民事での裁判を支援している「さおちゃんの死と真実を知ろう会」が開設している


サイト(http://www.ne.jp/asahi/willbe/hide/dantai/sao-link/sao-link.html)を参


照して頂きたいですが、確かにこのミスの原因は、担当した看護婦が蒸留水とエタノー


ルを誤って人工呼吸器に入れたということによるものですが、その根本にあるものは、


京大病院(もちろん、これは京大病院に限ったことではなく、日本の医療全体の問題で


すが)に巣くう、救いがたいほどのモラル・ハザードです。


 これも取材して本当にびっくりしたのですが、京大病院の連中は、上は担当教授から


下は病棟の看護婦まで、「人命尊重」という発想が、どこにもないのです。自分たち


の保身、メンツを守るためなら、平気でウソをつくのです(特に小児科の担当医であっ


た服部春生)。


 つまり、「言ってることとやってること」との間に、何の整合性もないのですが、こ


のへんを見ると、“復興支援”という大ウソをついて、アメリカの言いなりになって、


イラクの民衆を撃ち殺すために自衛隊をいけしゃあしゃあと出す小泉純一郎と、何ら変


わらないです。


 

 こうしたさおちゃんとの出会いは、「なぜ、自分はいま、文を売ってゼニを稼ぐなど


という、こんなことを生業としているのだろう」ということを自分に問いかけずにはい


られませんでした。


 そして、その間、自分自身がこうした不条理な差別や偏見、さらには権力悪をどうし


て許すことができない人間になってしまったのか、ということをぼんやりと考えていま


した。


 じつは、私は生まれながらにして、「漏斗胸」という“身体的欠陥”を持っている人


間なのです。


 漏斗胸とは、「漏斗」のように、胸の部分が陥没して、凹んでいることですが、原因


はまったく不明です。


 身体的な機能は、通常の人と何ら変わりませんが、上半身裸になると、あんまり格好


のいいものではありません。


 それゆえ、私は小学生のころ、これが原因でからかわれたり、いじめられたりしまし


たし、両親や祖母は「大人になっても、この子はちゃんと健康な暮らしを送れるだろう


か」と心配していたといいます。で、私自身も、このことにずうーっコンプレックを持


ってきました。


 

 しかし、今にして思えば、自分がこのような“欠陥品”として生まれてきたことに、


すっごく感謝しています。


 もし、こういう“欠陥”を抱え込んでいなかったら、私はひとりの人間として、傷つ


けられることの痛みとか、悲しみということに対して、まったく無頓着な人間として、


平気で他人を抑圧したり、食い物にするする立場に回っていたかもしれないからです。

 そして、自分がそういう欠陥を抱えた人間であるからこそ、さおちゃんという小さな


生命が賢明に生き抜いてきた姿に、このうえない共感を感じたのです。


 さおちゃんが、健常児であれば、もし、同じような状況であったとしても、声を出し


て、「苦しいよ」と訴えることができたはずです。


 ところが、生まれつき、リー脳症という障害を抱えるさおちゃんは、声をほとんど発


することができませんでした。


 

 さおちゃんの人工呼吸器にエタノールが混入され、発見されるまで、じつに53時間


が経過しています。


 一般に、中毒症状を起こした場合、致死量の相当する血中アルコール濃度は5mg/ml


ととされ、健康な人でもこの濃度のエタノールを一日半も吸引させられれば、死亡する


といいます。


 ところが、さおちゃんは、まるまる2日以上、エタノールを吸引させられ、その後の


警察の捜査で、途中、致死量の2倍を越える10・1mg/mlのアルコール濃度が検出さ


れていたことが判明しますが、それでも、生き長らえました。この彼女の驚異の生命力


が、京大病院の医療過誤の実態を白日のもとに晒しだしたのです。


 

 さおちゃんの取材をして、私が思ったことは、今回の医療過誤にかかわった京大病院


の連中に全員、53時間、エタノールを吸引させることでした。「テロリスト」だ何だ


というレッテルを貼られようと、そうやらないことには、私の怒りは到底、そこでは収


まりませんでした。


 日本は法治国家とされていますから、そういう「犯罪」を犯した場合は、法執行機関


がそうした人間を刑事訴追し、裁きに問います。そこで、「目にを目を、歯には歯を」


という私的な復讐を防止することで、「社会の秩序」を維持しようとするわけです。


 そこで驚くべきことは、こうした医療過誤の事実を知りながら、「エタノール混入に


よる中毒死」という真の死因を隠蔽し、死亡診断書に「病死および自然死」のところに


マルをつけた服部春生について、京都府警は虚偽診断書作成、同行使の容疑で書類送検


しているのに、京都地検は「不起訴処分」にしているのです。


 まあ、法務・検察は、「現代のドレフュス事件」に他ならない、「三井環不当逮捕」


の黒幕である「史上最低最悪の検事総長・原田明夫」がトップであるがゆえに、「上も


上なら、下も下」ということです。「犯罪人にドロボーを捕まえてくれ」と頼んでも、


それは無理な要求というものでしょう(笑)。


 

 いつの世でも、「統治権力」などというものは、「弱きを挫き、強きになびく」存在


でしかありませんので、そういう不条理に楯突くのが、私のようなアホに課せられた(


科せられた)役割でしょう。


 その意味では、人間社会の究極の不条理とは、「戦争」でしょう。


 そのイラク戦争に邁進する小泉純一郎のバカぶりをあげつらうのも、「何をいまさら」


という感じですが、そんなに“イラク復興援助・人道支援”がスバラシイものであり


断じて戦争に行くのではない、というのであれば、「まず、小泉、オマエがサマワで


もバクダッドでも行って、井戸を掘って来い」ということです。


 まあ、小泉にとっては、戦地に自衛隊員を送る込むことなど、さながら、「欠陥商品


をイラクで処分する」という感覚なのでしょう。


 

 医療過誤であれ、戦争であれ、その先にあるものは、「非業の死」ということだと思


います。


 もちろん、私も含め、人間とはいつ死ぬかわからない存在です。誰ひとりとして、明


日という日を保証された人間などいません。それが、サルトル言うところの「人間とは


自由という刑に処せられた死刑囚」の意味なのだと思います。


 しかし、よりよい社会、よりマトモな社会というのは、とどのつまり、人間に「非業


の死」を強要しない社会ではないでしょうか。そして、その根底にあるのは、「生命に


対する尊厳」ということだと思います。


 

 かつて、ベトナム戦争に従軍したデービッド・ハルバースタムが、そのベトナム戦争


の内幕を描いた大著『ベスト・アンド・ブライテスト』の冒頭にある、「娘への手紙」


で、こんなことを書いています。


 あるとき、ハルバースタムが従軍取材に行った際に、軍曹が「ハルバースタムはベト


コン兵士の死骸を見て、涙を流した。そういう臆病者だ」という話を他の従軍記者にリ


ークし、それを紙面化しました。


 それに怒ったハルバースタムは「敵の兵士の死体を見て落涙するとはなにごとか。ウ


ソをつくな」と、その軍曹のところに怒鳴りこんで、一札取ったような気分になってい


ました。


 その顛末を知ったフランス人記者のジャック・ラングが、後でこう書きました。


 「確かに、ハルバースタムが言うように、それは事実ではないのだろう。でも、本当


は、事実であるべきだったのではないか。敵であれ、味方であれ、死体を目の前に涙す


るのが、人間ではないのか」


 それを目にしたハルバースタムは胸を打たれて、「ハッ」と我に返り、その「娘への


手紙」の中で、「お父さんは、死体を目の前に涙する人間でありたい。この本で私が書


きたかったのは、そのことなのだ」ということを説いて聞かせています。

 生まれてきたどの人間も、等しく「命の重さ」に変わりがないのだとすれば、私はそ


ういった命が、「非業の死」へと追いやられることを、到底、許すことはできません。


 その意味では、自衛隊のイラク派兵という史上空前の「愚挙」をやらかそうとする小


泉自・公政権を全力で潰すしかない、ということでしょう。


 レジズタンスの標的となっているアメリカ兵はもとより、何の罪もないイラクの民衆


も、「フセイン残党の掃討作戦」の名のもと、これまでに数えきれないほど殺害されて


います。


 で、この人たちは、本当に死ななければならない人たちだったのでしょうか。


 本当はいくらでも生き抜く選択肢があったのにもかかわらず、あえてその可能性を否


定され、まったく不条理な死へと追いやられていった人たちではないのでしょうか。


 そして、戦地に送り込まれることになるかもしれない自衛隊員はもとより、その家族


のことを思えば、今回、自衛隊員が命を落とすということは、それは、間違いなく、さ


おちゃんと同じ、「非業の死」ということです。


 同じ人間として、それだけは絶対に阻止しなければならない。そのためには、私もあ


りとあらゆる手段を取りたいと思います。


 

 #そういえば、加藤紘一のオッサンとワシで年明けにトークバトルをやることになっ


たで。んで、いま、その参加者を自民、民主の若手、中堅議員あたりに募ってるところ


やが、コンジョのある奴は参加せえや(笑)。


 ま、本人はどうかわからんが、来年の夏に向け、ワシは本気で「加藤政局の第二幕」


を考えてとる。「永田町のジョーシキは、世間の非常識」やから、加藤のオッサンには


もっとアホになってもらわんと、困るで。首班指名はもう済んだんで、予算だけ賛成し


とけば、あとは好き放題やったらええんや。どうせ、小泉に除名するだけの能力もカク


ゴもありはせん。

 #小沢一郎が、最新発売の週現の佐高信との対談で、何か思わせぶりなことを言っと


るな(笑)。だったら、通常国怪の予算委で、ちゃんとカミングアウトして、「政教一


致」の自己体験をザンゲせんかい。オマエがまだ、信濃町をカードに持っとることぐら


い先刻承知やからな<ホンマ、煮ても焼いても食えんオッサンやで。

http://furukawatoshiaki.at.infoseek.co.jp/article/1220.html

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