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'04/1/1
米国が「ブラボー」と呼んだ水爆実験で、中部太平洋マーシャル諸島の住民や、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちが被曝(ひばく)した。この「ビキニ被災」から3月1日で、ちょうど半世紀を迎える。
広島原爆の1000倍という巨大な威力。その衝撃は、原水爆禁止運動がうねりのように全国に広がり、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をあらためて世界に広める契機ともなった。しかし、21世紀を迎えた今、核保有国は拡散を続ける。小型核兵器の開発の動きもある。人類と地球に再び、「死の灰」を降らせるのか―。(森田裕美)
実験名は「ブラボー」。15メガトンの水爆が爆発し、放射性物質が降り注ぐ。漁船「第五福竜丸」の23人が操業中だった。
一九五四年三月一日、米国は当時、国連信託統治領だった中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験「ブラボー」を実施した。威力は、当時としては史上最大の十五メガトン、広島型原爆の千倍に上った。爆発で巻き上げられた砂やサンゴは、放射性降下物(死の灰)となって降り注いだ。風下にいた島民、米軍の観測兵、そして近海で操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちが被曝した。
第五福竜丸は、ビキニ環礁の東百六十キロ付近で操業中だった。乗組員二十三人が全員被曝した。二週間後の三月十四日、母港の静岡・焼津に帰港。その年の九月、最年長だった無線長久保山愛吉さんが四十歳で死亡。現在までに十二人が亡くなっている。
日本政府は、日本の漁船の被災船数は八百五十六隻と発表している。これらの船の乗組員の汚染については不明のまま。水揚げされたマグロは放射能で汚染され、大量に廃棄された。
事件は、目に見えない放射線の恐怖を国民に突きつけた。広島、長崎の被害をあらためて感じさせた。こうして、東京・杉並の女性たちが署名運動に立ち上がるなど、原水爆禁止運動が盛り上がる。しかし、大衆運動として出発した運動はその後、政党色を強め、旧ソ連の核実験の評価をめぐり、分裂へと至る。
事件は翌年一月、米国が日本政府に二百万ドルの慰謝料を支払うことで政治決着し、第五福竜丸の乗組員には一人平均二百万円が支払われた。福竜丸はその後、数奇な運命をたどったが、現在は東京・夢の島で保存・展示されている。「人類の平和のため」と住民は島を追われた。繰り返される移住。放射能の除去作業は一部で今も続く。
マーシャル諸島は日本の東南約四千キロに位置し、二十九の環礁と五つの島からなる。
五四年三月一日、水爆実験「ブラボー」は、風下のロンゲラップ環礁で八十六人、さらに東のウトリック環礁で百六十六人(いずれも胎児を含む)の頭上に「死の灰」を降らせた。
被曝者は、この人数ではとどまらないとされる。米国は四六―五八年にかけ、マーシャル諸島北部のビキニ環礁とエニウェトク環礁で計六十七回の核実験を繰り返した。周辺の島民が、その放射性降下物を浴びたり、残留放射能で内部被曝したりした可能性は否定できない。
ビキニ環礁の住民は実験場となった当時、「人類の平和のため」との理由で島を強制退去させられた。ロンゲリック環礁、クワジェリン環礁、キリ島などを転々と移住。米国は六八年にいったん安全宣言を出し、島民は帰ったが、ヤシの実から放射性物質が検出されるなどして、七八年に環礁を閉鎖。島民は再び、キリ島に移住した。
現在は、短期間の滞在には問題のない汚染レベルとされ、ダイビングツアーもある。
ロンゲラップ環礁の住民たちは、「ブラボー」から丸二日以上が経過した後、米軍が避難させた。五七年、米国の安全宣言によりいったん帰島したものの、放射線被曝の急性症状と似た症状が表れ、住民たちは八五年、再び島から脱出した。
米国は九八年から再定住計画を進め、今も放射性物質の除去作業が続く。住民たちは現在、無人島メジャトのほか、首都マジュロ、イバイなど人口密集地に暮らしている。
もう一つの実験場だったエニウェトク環礁は八〇年、米国の資金で環境整備され、移住させられていた住民たちは環礁の南部に帰島した。
米国はビキニなど四つの環礁での核被害を認め、一億五千万ドルを拠出。基金により住民への無料医療などが実施されてきたが、米側は追加補償には応じず、財源不足に。昨年末でとうとう事業打ち切りが決まった。
「ブラボー」実験では島によって避難措置などが異なることから、「人体実験」だったとの見方もある。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn04010102.html