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平和への願い [オバハンからの気まぐれ通信]
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 27 日 17:12:48:dfhdU2/i2Qkk2
 

オバハンからの気まぐれ通信

■□■2003年12月23日(火)■□■
下記、凄い文章です。涙しました。
少し長いのですが、転載許可をいただきましたので紹介します。


平和への願い
元盲学校教員 藤野高明(大阪市)

2001年の正月、世紀が改まり時代が21世紀に大きく踏み出した時、私は62歳だったが、年にも似合わず胸の高鳴るような感慨をもった。20世紀の人類史はあまりにも苛烈で、光と影の織り成す歴史の実相はそこに生きたさまざまな個人に否応なく過酷な運命を強いるものであったからだ。20世紀を振り返ってみると、科学技術と医療の進歩はめざましく、また平和と人権を守り、より確かなものにしょうとする人々の努力もたゆみなく続けられ、時代のバトンをリレーしてきた。しかし、この世紀は日露戦争から湾岸戦争に至る相次ぐ戦争にあけくれた100年でもあった。とくに、第二次世界大戦は世界中で5000万人を超える死者と、それに数倍する障害者を作り出した。愛する肉親や親しい友人を失った。財産を無くした人々も数しれない。

私自身、この戦争が残した不発弾の暴発によって2歳下の弟を亡くし、自らも両眼の視力と両手を失った。それは敗戦の翌年1946年7月、小学2年生夏休みのことである。以来、地元福岡の盲学校からも二重障害を理由に入学を断られ、13年間の不就学を余儀なくされた。18歳のころ、視力と手指を無くしたハンセン病患者のうちに唇や舌先を使って点字を触読する人のいることを聞き、懸命に点字に挑戦し、これを習得した。文字の獲得によって道が開けた。20歳で大阪の盲学校中学部に入学を認められ、高等部普通科を経て通信教育で大学に学んだ。教員資格を得て、夢にまでみた教職に就くことがかなったのは33歳の時である。

私は、同時代に生きた仲間たちや後輩たちのことを思う。戦争のなかで、あるいはそれが終わって後も、多くの子供たちが、無責任に放置されたこのような不発弾や地雷に触れ、殺されたり障害を負わされたりする例は、数え切れないほどあった。そして、かれらの多くは国や社会による何らの救済や保障もなく生きてきた。

障害を受け入れて生きるのは、それほどたやすくはない。私はうつうつと、よく思った。たとえ片方の目でも、手でもいいから、残っていたらどんなにいいだろうと。また、このような不幸をもたらしたものに対するふつふつたる怒りを抱きながら生きてきた。その意味でずっと日本の戦後史をひきずりつつ歩いてきたと思う。だから20世紀を感慨を込めて見送った時、来るべき21世紀こそ戦争も差別も無い世紀であってほしかったし、不確かであっても大きな希望をもったのである。ところが、9・11多発テロと、それに続く洪水のような報復戦争がアフガニスタンで展開された。そして今年3月、アメリカ、イギリスにょるイラクヘの先制攻撃と残虐な戦争が起こってしまった。

私は、自分の生い立ちと体験にもかかわって、どのような理由をつけたとしても戦争そのものに反対である。戦争は新たに数知れぬ障書者を作り出すばかりか、今懸命に生きている障害者の人権を否定し、戦争の惨禍の中で逃げ場さえ奪ってしまうのである。戦争を計画し、準備し、命令する者たちは戦場で命を落としたり、傷ついたりしない。

日本国憲法はその前文で「日本国民は…政府の行為によって再ぴ戦争の惨過が起こることのないようにすることを決意し」と、明確に戦争が国民の意思とは逆行してでも人為的に引き起こされるものであることを指摘している。

「平和への願い」、それは私の生き方の原点である。テロは最悪の犯罪であり、絶対に許せないが、報復戦争でテロの温床を断ち切ることなどできるわけがない。理性と国際法に裏打ちされた世論こそが真の解決の鍵を握っているはずである。2001年の正月に抱いた平和への希望は今、ひどく傷ついたけれども、だからこそ平和への思いを声と行動にしていかなければならないと思う。

私は平和には四つの条件があると考えている。

第1に、戦争が起きていない状態だ。私が物心ついたころ、戦争は日常であり、アメリカや中国は敵であった。大人たちは敵意と侮蔑を子供たちに教えた。
第2に、差別や偏見がなくなることだ。かつて障害者は社会の「恥」か「お荷物」のようにみられ、肩身のせまい思いをしながら生活せざるを得なかった。
第3は、貧困と飢餓が世界的規模で基本的に克服されることだ。ひもじさが胃袋をかんだ子供のころの記憶が、飢餓状態を伝えるニュースによみがえってくることがある。
第4は、人間が作り出した優れた文化遺産を共有し、新たな文化創造に参加できることだ。

私はときどき、妻や友達とコンサートに出掛ける。べートーベンやマーラーの大曲の中に深く身を沈め聴き入る時、芸術の偉大さと平和のありがたさをしみじみと感じる。そして、その曲が終演を迎え、一瞬の静寂を突き崩すように万雷の拍手がホールに満ちる。私はその瞬間、嵐のような拍手に加わることの出来ない左右の手を意識してしまう。ほとんど口にすることのなかった悲しみが心にわき上がってくる。それでも私は、心を潤すあの音楽の充足感を求めて演奏会に出かけてゆく。
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プロフィール:1938年福岡市生まれ。02年度まで30年間、大阪市もう高等部社会科の教員を務める。その間、全視協の中央役員として26年間活動し、最後の4年間は題4代会長を務めた。
(第1回オンキヨー点字作文コンクール最優秀受賞作品:オンキヨー株式会社、点字毎日主催、厚生労働省、テクノエイト株式会社など後援。点字毎日活字版2003年10月9日より)


審査評(藤本義一)「自己凝縮の妙」抜粋
最優秀賞の藤野高明さんの作品は、限られた字数の中で実に凝縮した自己の意見を過去、現在、そして願いという未来に対して書いている点に評価が集まった。どの一行にも作者の深い心情が喜びと悔しさを語っている。
私の友人の一人にも同じような戦後体験を過ごしている者を思い出した。藤野産の生き方で、同じ境遇の人が大きな希望を持てるのを考えると、これからの人生でさらに深い人間の心情を書き続けてほしい。冷酷な現代に常に冷静な視線を注いで欲しいものである。以下略

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■□■2003年12月22日(月)■□■
静かで穏やかな冬の陽射し、冬至。カボチャ。
実は今回、日本での「アフガニスターン活動報告」では、札幌(JRU北海道)にまで呼んで頂き、報告会の合間には小樽へ案内して頂いた。
60年以上もの昔に「活動家」だった父が、官憲から逃れて潜んでいたという小樽の街に60年前を想い重ね、初めて見る北海の町、そぼ降る雨に傘の中でオバハンは感傷に浸った。良い時に良い雨、素晴らしい演出だった。束の間の感傷、その後は食いしん坊なオバハンらしく、魚市場まっしぐら。もちろん北海の幸はいっぱい買ったが、ついでにカボチャ。重くてパーキスターンまでどうして持って帰ろうかと悩んで悩んだ揚句、やっぱり買ったカボチャ2個。帰パしてからも既に3度食卓に上がっているが、本日は冬至。そのカボチャさまが大威張りでテーブルを賑わす。小樽で買ったカボチャ、とにかく美味しくって、機内持ち込みまでして担いだ甲斐があったというものだ。
長生きスルぞぅ!!

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■□■2003年12月20日(土)■□■
久々に素晴らしく大きい落日が街の真ん中を沈みゆき、思わず見とれながら、葉を落とした木立のせいで、見事な落日に出遭えたのだと納得。足元は心地良い気候、そして何万年もの遥か彼方で、ぐらぐら煮えたぎるように落ちて行く太陽には溜息が出るほど。年々スモッグなどのせいで、そのうちに、この落日も過去のものとなるのかと少し淋しい。
その夕闇せまる街は車を止める場所もないくらいの人出、それも高級な乗用車や新車が増えている。商店街に並ぶ品物も高級品が増え、パーキスターン製=粗悪品のイメージもだんだんと払拭されつつある。始末屋のオバハンなどには手の出ない食品や服飾品も多くて、眼を見張るばかりだ。また、年末年始を控えた最近では、超高級ホテルなどにもパーキスターン人が家族連れで宿泊することが多く、今年は早々とどこの高級ホテルも満杯で、今からではコネを使っての強引な予約も不可能という。海外からのツアーはなくなったが、金持のパーキスターン人の間では超高級ホテルで豪華に過ごすのが流行りらしくて、、一般人には考えられないような生活振りだ。経済がそれだけ廻っているのか、単に貧富の差が激しくなっているだけなのか…、欧米ナイズされた人が増えたのか。

最近の日本のTVを見ていて思うのは、有事に向けての「刷り込み教育番組」が目に付くことだ。それだけ有事が本格化して来たということだろう。いや、まだ今のところ日本本土が攻撃されていないだけで、「有事」にはなったのだと思う。昨夜も「日米同盟について」という番組を片目で見ながら、頭の片隅で考えてしまった。「日米同盟を強固にして、イザことが起こったらアメリカ守ってもらう」と「自国の安全は自国で守る」というスタンスは、まったく別のものなのに…と。アメリカに追随したことで、日本がどれだけの危険に冒されたかは誰も発言していなかったように感じた。世界190数ヶ国のうち中立を保った国、参戦していない国を見れば、そうした選択肢も可能だったことは解かる。
自衛隊を派遣する必要が本当にあったのか?
外務省の2外交官の報道が、報道取り決めで完全にストップしたような現状からも、今日の政府による報道規制が、戦前のものと変らないことが解かるというものだ。

印パ紛争を初めとする、数々の有事を常に控えているパーキスターンに住むオバハンにとっては、「有事」とは常に生活の中にあるものだ。オバハンだけではなくパーキスターンの人にとっても「有事」は生まれた時から存在し、心構えはある。どこの誰にも守ってもらえない、イザとなれば自分(自国)は自分たちで守るのは常識以上のものであるし、その心構えがあってこそ人間として認められる。当地の人々には目上の尊敬、親孝行、何かあれば身をもって肉親(強いては自国)を守ることが人間としての第一義になっているといっても良い。

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■□■2003年12月17日(水)■□■
先週半ばから厚い雲に被われ、降るでもなし降らずでもなし…という中途半端な状態が続いていたが、とうとう降り出したと思うと、今までになかったような冬の長雨になった。氷雨が、樹から落ちた枯葉をしとどに濡らし、何処もかしこもがビシャビシャ濡れそぼり、雨宿り場所を求める哀れなカラスやムクドリが庇の下で足踏みをしている。カラコルム・ハイウエーも土砂崩れで13日から今日に至るも閉鎖のまま。長年勤める従業員たちも空を見上げては「不思議な長雨だ…」と首を傾げている。しかし、この雨が僅か400km離れたカーブルでは、ただの一滴も降っていないというから、憎たらしい。

アフガニスターンの首都カーブルでは、予定より3日遅れでローヤ・ジルガが始まった。不思議と元気を取り戻した元国王がジルガの開会を宣言し、来年の国政選挙に向けての準備も着々…と言いたいらしいが…。国連が12万$もの大金を費やして、特別製の紙に印刷したという選挙(啓蒙)用のビラは、僅かが配布されただけで、後は家々のかまどで煮炊きに使われ、人々の役に立っているそうだし、選挙に立候補をするためには、選挙ポスターの準備や供託金(があるのかどうか知らないが)に2万$もかかるとあっては、何処かからスポンサーでも付かない限り立候補も出来ないという。何事も自分たちの思うようにしたいアメリのこと、自分たちの意のままになる候補者を見つけたら、立候補させて国政を操るのだろうか。
そんな状況を良く思わない輩の一発、ロケット砲弾がジルガ会場に近いところへ落ちた。

イラクではフセインが拘束された。
だからと言ってイラクの復興に拍車がかかり、治安が安定するとは思えない。イラク、イラン、アフガニスターン、そしてパーキスターンなど、どこの国の人々もプライドは強く高く、他国による占領や干渉を嫌うさまはプライドを忘れた多くの日本人には想像もつくまい。貧しく何もないからこそプライドだけは高いと言うべきなのかも。
しかし、イラク暫定政権の外務大臣だったかの声明には、オバハンもちょっとビックリ。曰く「国連は35年間もイラクの復興に関わりながら失敗して来た。許さない」という趣旨だった…。イラクもアメリカも都合の良い時のみ、「国連」を引き合いに出すのが凄いと思ったが、日本政府も同じか…。
日本政府は国連決議を無視して、日米同盟のみに力を置いたアメリカ支援から一転、今回は国連サマの決議?に従い?、イラクの復興に参加すると。確かに国際社会の一員としての義務はある。しかし、節操の無いこと甚だしく、まるでコウモリのような。

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■□■2003年12月12日(金)■□■
降りそうで降らない空…、イスラマバードの街の半分には薄日が射し、半分は夕闇のような空模様。アチコチの広場では激しく落ちる広葉樹の葉を集めて燃やしているので、マルガラの丘陵も濃いスモッグに被われている。

イラクに連携してアフガンの治安も悪化の一路を辿っている。もっともアフガンの場合は、ローヤ・ジルガ(国民大会議)の開催も因の一つになっているし、他にも4つくらいの原因が治安の悪化に絡み合っているので、ここはしばらく静観しようと、SORAの事務所を一時閉鎖することにした。頑張って支援活動を続け、テロや誘拐に遭ったとしたら、「それ見たことか!」と言われ、外務省にも迷惑をかけるだけだ。人間、生きていてこそナンボ!の世界、ローヤ・ジルガが終わり治安の様子がつかめるまで、しばらくは活動も休止。
幸い現地スタッフがしっかり育っているので、彼らが事務所や識字教室、そしてカーペット製作所や縫製教室などを運営してくれるので心強い。アフガンやイラクへの支援は、本来なら彼ら自身が自分たちの手で行うべきものなのに…。

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/tushin13.htm

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