現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ32 > 508.html ★阿修羅♪ |
|
将棋の米長邦雄永世棋聖(60)が現役を引退した。相手を引きずり込む終盤の逆転術は「泥沼流」、人当たりの良さは「さわやか流」と呼ばれた。若手棋士にも慕われ、「自分には消化試合でも、相手にとって大切な対局なら全力を尽くす」という勝負哲学は、脈々と受け継がれている。
米長は4月、すべての参加棋戦に負けた時点で引退することを宣言。「普及に全力を傾けたい」というのが理由だった。一方でタイトルを取れば来年度以降も防衛戦を戦うことを明言した。しかし、棋聖戦は2次予選決勝で敗退、王将戦の挑戦者決定リーグも3連敗して挑戦の可能性がほぼなくなり、11月27日、正式に引退を発表した。
引退発表の翌日あった王将戦4戦目で、米長の相手である佐藤康光棋聖は、特別な対局に着る和服姿で対局に臨んだ。背広の米長は急きょ自宅から和服を取り寄せ、昼休みに着替えて佐藤の気持ちに応えた。
5戦目の森内俊之竜王、6戦目の郷田真隆九段も米長とともに和服で臨み、全力で戦った。結局、米長は6戦全敗。今月17日、引退会見した米長はリーグを振り返り「いいはなむけをいただいた」と語った。
一時期、羽生善治、佐藤、森内らを自宅に招き、彼らを「先生」と仰いで一緒に勉強した。
40年の棋士生活で一番印象に残った対局には、名人として羽生三冠の挑戦を受けた9年前の名人戦第4局を挙げる。3連敗で迎え、そこから1勝。「負けたら引退、と思っていたが勝つことができ、まだまだやれると思った」と振り返った。「よき後継者を得たというのが実感です」
将棋界を背負う後輩が着実に育っていることを見届け、「第二の人生」に向けての会見は終始楽しそうだった。
(2003/12/20)
===========================================
40年位前の話しですが、米長永世棋聖の実家はタバコ屋をやっていて、子供の頃に親父にパチンコにつれていかれて、パチンコやでとったタバコをお金に換えていた記憶があります。親父がいない今ではなつかし思いでになってしまいました。また棋聖の実家の近くの床屋の主人が、棋聖の将棋の師匠だったそうです私もその床屋に行った記憶がありこれも懐かしく思い出します。
米長永世棋聖は私が中学生の頃には棋戦で活躍されていて、そのせいか私も将棋の世界にあこがれていて将棋へのその熱は社会人になるまで続きました。
将棋界の巨人の永世大山名人が実現したように、尊敬する米長永世棋聖にも、63歳で名人戦への兆戦を実現していただかったのですが、将棋の棋戦からの引退には、ご本人も納得されておられるようですので、これからの「第二の人生」におかれましては本職の将棋にはもちろんですが、できましたなら、日本の現在と将来の舵取りをする政治の世界においても、尚いっそうのご健康と活躍を願っています。