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【森田実の政治評論日誌】――地方に芽生えた新しい波 2003.12.16
『老子』に学ぼう――老子思想が世界と日本を救う〈16〉
「これを視れども見えず、名づけて夷(い)と曰(い)う」(『老子』14章)
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よく視ようと努めても見ることができない。これを「夷」(形なきもの)という。聴こうと努めても聞き取ることができない。これを「希」(音のないもの)という。手で掴もうとしても掴むことができない。これを「微」(かすかなもの)という。この三つは、突き詰めることはできない。これはもともと混じり合って一体をなしている。「道」(タオ)とはそのようなものだ。古くからの「道」の立場を守り、現在の目の前にある問題に対処していけば、「道」の源を知ることができる。
現代社会はサービス社会である。サービスが事業になる資本主義の社会である。サービスのための社員教育も盛んだ。サービス教育のための企業もあり、なかにはかなりの成長企業もある。サービス教育が企業化されている。最近の傾向として、サービスを数量化して目に見える形にして教える方法がとられているという。いわゆる米国型サービス教育である。このやり方はかなり普及した。
しかし最近、このようなやり方は限界にぶつかっている。最近は「数量化できない形なき(心の)サービス」がサービス教育の課題になってきている。
本来、サービスとは、形のないもの、音にならないもの、微妙なもの、である。これを数量化し形あるものにして教えるという教育方法がおかしいのではないかと私は思う。
だが、サービスが企業教育の対象になるということは重大な意味を孕んでいると思う。われわれ日本社会から、本来の意味のサービス(奉仕)の精神が希薄になっている結果である。「本来の日本の心」が崩壊し始めていることにわれわれは気づかなければならない。
本来の意味のサービス(奉仕)精神、礼儀正しさ、思いやりの心は、実は地方にはある。地方には健全なる奉仕の精神が生きている。この美風を失いかけているのは大都会地である。
私が政治評論活動を始めたのは31年前だった。この約30年間、私の活動の中心にあるのは講演と執筆だった。これは今も変わりない。講演活動の6割は地方、4割は東京だ。このため、1年間のうち半分は地方講演で過ごす。
振り返ると、1970年代、80年代、90年代を通じて、中央と地方の意識、生き方には大きな差異は感じられなかった。日本全体が同じ方向をめざしていたからである。その当時、地方の指導層は中央の指導層と同じ意識と方向性をもっていたのだ。
ところが、21世紀に入ってから、地方と中央(東京)の意識に大きな違いが出てきた。地方と中央とが分裂し始めたからだ。これは、小泉政権の政策の重点が東京中心の繁栄に置かれ、地方が切り捨てられてきた結果である。小泉構造改革が始まったとき、地方は、東京重視・地方切り捨てという小泉改革の本質を見抜くことができなかった。だが最近、地方の人々は地方が切り捨てられたことに気づいた。
2003年の日本社会は三つの地域に分裂している。一つは繁栄の東京(中央)、二つは地方ブロックの中心都市、いわゆる政令指定都市(中繁栄・中不況地域)、三つめは地方の小都市と町と村(不況地域)である。
繁栄の東京にはビジネスチャンスを求める人と企業が集まってきている。政令指定都市は東京一極集中の流れを食い止め、みずからの方向に引き寄せようとしているが、現状維持が精一杯だ。その他の小地方都市と町と村は経済不況に苦しんでいる。意欲的な企業は東京へ出て行く。工場は中国をはじめてとしてアジアに移っていく。若者も消えていく。そんななかで、政府が進める市町村合併により地域社会は弱体化している。小泉改革によって切り捨てられた地方の生活水準は急速に下落している。
しかし、地方は、中央(大都市)から切り離されるに伴って、東京や大都市が失いつつある古来からの日本の優れた伝統、礼儀正しさ、人間的やさしさ、他人へに親切心を回復しつつある。デフレ不況の苦しみのなかで地方は独自の道を模索し始めている。無農薬農業への努力が行われ、それは成果を上げ始めている。真に将来を見据えて本来の自然を回復する地道な努力が行われている。
21世紀初頭の世界は、唯一の超大国になった米国のブッシュ政権の暴走のために混乱状態に陥っている。対立と不信と憎悪と暴力が拡大している。強者はさらに強くなり、弱者は踏みにじられている。弱者を思いやる思想は「社会主義的なもの」として排撃される。
いま、ブッシュ政権が推し進めているのは、政治的には新保守主義(ネオコン)にもとづく一国行動主義、経済的には弱肉強食の競争至上主義である。これによって弱者は幸福な生活を奪われている。
小泉政権はブッシュ政権のエピゴーネンと化している。外交面では、ブッシュ政権の国連を無視した一国行動主義の協力者になり、自衛隊をイラクに送ることを決定した。これは明らかな憲法違反である。小泉政権は憲法9条を踏みにじった。経済政策面では、小泉政権は米国大企業の日本進出を援助し推進している。同時に、弱肉強食の米国流競争主義を日本に持ち込もうとしている。日本国民の利益よりも米国の利益を重視する政策を行っている。小泉政権が行っているのは、「ブッシュ政権の、ブッシュ政権による、ブッシュ政権のための政治」である。
その結果起こったことが、東京重視=地方切り捨て、中央集権強化である。「地方にできることは地方に」「官から民へ」の小泉首相の主張は掛け声倒れに終わった。三百代言に等しい詭弁である。
こういう状況にもかかわらず地方は変わり始めている。東京(中央)とは違う道を進み始めた。地方は、非米国的なるもの・非大都市的なるもの――環境保全、風土・伝統の尊重、思いやりの精神、礼儀正しさ、農業の大切さへの思い――を取り戻す方向へ動き始めたのである。われわれはこの流れを重視し尊重しなければならない。
地方は覚醒しつつある。地方は小泉構造改革が間違った方向に走っていることに気づき始めた。
21世紀の日本はどう生きるべきか。米国に追従して「リトル・アメリカ」として生きるのか、それとも、いま地方で起こりつつある新しい波を生かす方向に動くのか――われわれはその岐路に立っている。
【これからしばらくの間、〈森田実の時代を斬る〉は「小泉政治批判」に集中します。〈老子に学ぼう〉はしばらく中断します。お許しください】
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0656.HTML