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フセイン拘束後のイラク
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下転載〜〜〜〜〜〜〜〜〜
皆様、こんばんは!
細井です。
(重複をお許しください)。
サダムフセイン拘束後のイラクの混乱に関する情報が記載されているHPがありま
す。
これはイラクの24歳の女性が書いていると言われているHPですが、ブロッグという
形式で8月17日から始まっています。
今女性たちのグループでこれを翻訳してWeb上で公開するプロジェクトが進んでい
ます。
ご期待ください。
(転載可です)
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2003年12月16日火曜日
最新の___
やっと2時間まえに電気が通じたところだ。72時間も電気なしだったー他の地域
はもっと悪い。電気が戦争前の水準に戻るのは、やっと来年の中ごろだと、今日、聞
いた。
サダム捕縛のニュースを聞いたのは、一昨日の昼すぎだった。電気はなかったか
ら、テレビを見ていたのではない。何か変だと最初に感じたのは、遠くにカラシニコ
フの銃声を聞いたときだった。ちょうど、E(弟)と、どっちが石油ヒーターに給油
するかやりあっていたところだった。それを中断して、銃声に耳をすませた。わたし
は、電池式のラジオをひっつかみ、あちこちとラジオ局を探した。そしてやっとアラ
ビア語の局を見つけ、サダムが捕まったかもしれないというニュースを聞いた。
最初、なにも思わなかった。−またもやガセネタ。毎週1回はこんなことがあるの
だ。銃声がさらに激しくなったとき、Eは好奇心を抑えきれなくて、近所の家に飛び
込んだ。その家は、小さな発電機をもっているのだ。15分後、戻ってきたときは、
あえぎながらやっとこう言った「サダムが捕まった・・・」。わたしたち全員が
ショックにうたれた。全員がラジオにわっと群がり、何が起こったか知ろうとした。
全員が疑問を口にし、きりがなかった。誰が?何を?いつ?どうやって?
テレビの映像を見て、記者会見云々を見たのは、やっとその日の午後遅くになって
からだ。その時には、バグダードは、弾丸が飛び交い、男たちが旗を振りまわし、混
乱のさ中にあった。わたしたちの住む一帯やそのほかのところは比較的静かだった
が、バグダード中心部は、激しい銃撃戦の嵐のまっただ中だった。
共産党はおそろしかったー彼らは事前に知っていたかのようだ。彼らは、ただちに
赤旗とバナーを高く掲げ、街路やFirdaws広場(注:サダムフセイン像のあった広
場)をパレードした。わたしのいとこは、交通渋滞にはまって、その光景を見た。恐
怖だったと言った。
そのときの発砲は、喜びの表現とされているーそうかもしれない。無防備な人や車
でいっぱいの町中から遠くはなれた砂漠の発砲であれば・・・。しかし、バグダード
では、発砲はすなわち混乱だ。人々は文字とおりアヒルの群れのようにあわてふため
いて、あめあられと降る銃弾から逃れようとする。なぜなら、爆発したものは最後に
は落ちてくるに決まっているからだ。
昨日は、混乱の一語だった。親たちはこどもを家から出さなかった。どこかでは、
アメリカ支持のデモもあった。反米デモもあった。昨日の夜6時すぎ、バグダードの
住宅地域、アメリヤ地区で混乱が始まった。突然、道いっぱいに反米デモがあふれ
た。サダムの写真を掲げた参加者もいた。それは夜11時頃まで続き、そこへ戦車が
横付けし、なんとか騒ぎはおさまった。バグダードのA'ashamiya、その他1ー2の地
域で同じような事件があった。
きょうは、SCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)が組織したアメリカ支持の
デモがバグダードであった。そして、ティクリート、ファルージャ、サマラ(ここで
はイラク人11人が殺されたーCPA(暫定占領当局)は彼らは”暴徒”だといってい
る)、バグダード、Imsayabでは、反米デモがあった。最大のものは、モスルのデモ
だった。反占領デモにモスル大学の学生たちが何千人も加わって街路をうめ
、住民も参加したー大学の学長は、大学を閉鎖しなければならなかった。
このデモはすごい規模だった。どうしてCNNがとりあげなかったのか驚きだ。軍は
人々の頭上に
発砲し、ヘリを導入して、デモの群れを散らした。
サマラのデモも同じようにして終わらされた。ただ違うのは、人々に”向けて”発
砲が行われ、数人が重傷を負ったことだ。
あなたが聞きたいことはわかる。このこと、サダムの捕縛で、今後、抵抗、暴徒、
攻撃はどうなるかーでしょう? ほとんどの人は、サダムが捕まったってたいした変
化はないと考えている。サダムの重みは、4月以降、無くなっている。ゲリラ・グ
ループ、抵抗政党は、サダムを返せと戦いを続けているのではない。わたしが思う
に、実際にそんなことが起こると思っている人はいない。
イラクの政治学者や教授たちは、サダムの捕縛は、抵抗勢力を団結させると考えて
いる。彼らの一人はこう述べた。「もうこれで、人々は自分たちの国の主権のために
闘えるのだ、サダムのためでなくて」
昨日から、噂がしきりだ。そのすべてがティクリートから入ってくるように思え
る。噂には、サダムはほんとは1週間前に捕まっていたが秘密にされていたのだと言
われているというもの、また、彼が隠れていた地域で秘密裡に神経ガスようのものが
使用されたというもの、どのように彼に”クスリが盛られた”かーどうやら食べ物ら
しいーというもの、などなど。彼はカタールで尋問されているという人もいる。きり
がない。
統治評議会も同じように動揺して混乱しているらしい。タラバーニは、Bayshmarga
(クルド人の民兵)と軍当局の協力作戦の成果だと主張している。いっぽうチャラビ
は、すべてまったくアメリカの作戦だと言い張っている。誰が正しい情報を流し、誰
が歪曲しつつあるのか、わからない。
人々の意見は割れている。どこで彼が(サダムが)裁判にかけられるべきか、誰に
よってーイラク人によってか、国際法廷によってか。占領下での法廷の適法性に疑問
をもつ人もいる。ただ1点、人々が合意しているらしく思える点は、公開法廷でなけ
ればならないこと、そして、”すべて”が法廷に出されることだ。問題は、アメリカ
がそれを認めるか? そのことで、80年代のアメリカとの政治的取引(ほら、あ
の)がおおやけになるのではないか? 時間がたてばわかることだが・・・。
バグダードは、このところ恐ろしい状況にある。ある地域から別の地域に行くの
は、まるである都市から別の都市へ行くみたいー気持ちや感じかたがものすごく違っ
ているので、衝突がおこるのは、ただ時間の問題のように思われる。
riverbendによって掲示 9時58分
(翻訳 池田真理さん)
http://www1.jca.apc.org/aml/200312/37070.html