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(回答先: 「イスラームの世界観とムスリム少数派」 [中田考](4) 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 13 日 18:39:36)
「イスラームの世界観とムスリム少数派」(5)
ダール・ル・イスラームというのが、もちろん現実と理念とが乖離しているのはいつの時代にもあることですので、必ずしも理念どおりにいっていなかったということはあるわけですが、それにしても理念そのものはずっと生きていました。今でも生きているという言い方もできるのですが、それにしても制度的には曲がりなりにもカリフ制度というかダール・ル・イスラームというものが単一であります。そこでは単一のイスラーム法が支配しています。単一のイスラーム法の支配というのは理念ですので、単一のイスラーム法が実際にどうであるかというのは人それぞれ違いますから、実際にはいろいろなイスラームの解釈があるわけです。
実際には違うけれど、みんなが一つのイスラーム法があるというふうに信じているという状況は、1924年まではいちおう存在していたわけです。というのは、これは何の年かといいますと、トルコ共和国というものができた年です。オスマン・カリフ朝をつぶしてケマル・アタチュルクがトルコ共和国をつくってしまう。国民国家としてのトルコをつくってしまって、カリフ制度を最終的に破壊してしまう。これでイスラーム世界の単一性は完全に崩れるわけです。
それ以前に、イスラーム世界は実際には西欧の植民地化で独立を失っていくわけです。これはイスラーム世界だけではなくて世界全体がそうです。アジア、アフリカで独立を維持した国はほとんどなかった。第二次世界大戦以前に独立を維持できた国は、アジアでも日本とタイ、中国は半分主権を奪われた形で何とか主権国家の形を維持していた。アジアでもそれぐらいしかない。イスラーム世界でも主権を維持していた国はサウジアラビアとイランとトルコだけだったのです。あとの国はすべて西欧の直接的な植民地支配に組み込まれてしまう。
そういうことでバラバラになってしまって、それで植民地によって物理的にそれまでの単一のイスラーム世界が切られてしまう。国境というものができるわけです。それまではそもそも国境というのがなくて、人間は自由に移動していたわけですが、それがなくなってしまうのです。国境によって切られてしまう。そういう事態になってしまう。それで最終的に、政治的には独立を維持していたトルコも、文化的あるいは経済的には完全に西欧の支配下に入ってしまって、なかからカリフ制が崩れていくわけです。
そうやって植民地が終わって徐々に独立していくなかで、イスラーム世界は西欧的な国民国家システムに巻き込まれてバラバラになっていくわけです。そのなかで少数民族の問題が出てくる。そのときに、もともとダール・ル・イスラームのなかにあったかどうかによって、ムスリムが少数派になった場合でも行動パターンが変ってくるのです。そのことがわかっていると、イスラーム少数派の問題が考えやすくなるということがあります。
というのは、もともとイスラーム世界のなかで全体としてみた場合に多数派を占めていたのがムスリムだったのですが、それが地域的に分断されると、その地域のなかでは少数派になってしまうということが起きるわけです。そのいちばんわかりやすい例がインドです。今はインドとパキスタンとバングラデシュに分かれていますが、バングラデシュとパキスタンにおいては多数派ですが、インドにおいては人口の10%にも満たない。もともとはカリフ国の一部だったのですが、それがそうなってしまう。
今のイスラエルもそうです。もともとはイスラームの中心地の一部で、多数派だったのですが、それがイスラエルという国ができて、そこにいたアラブ人たちが追放されてしまう、追い出されてしまう、殺されてしまう。そのなかで、今のイスラエルのなかでアラブ人は2割にも満たないという少数派に転落するわけです。もともとはイスラーム世界の中心部の一部ですから、そこで多数派だったムスリムがイスラエルのなかでは少数派になってしまう。
あるいはチェチェンですね。中央アジアのあたりはイスラーム圏の一部だったのですが、それがソ連に組み込まれて、そのなかで独立を失う。チェチェンというのは、1944年、スターリンの時代にチェチェン人は50万人ぐらいいたのですが、全員がチェチェンから今のカザフスタンのほうに強制移住させられます。これは何千キロも離れているのです。日本からみると同じような中央アジア、コーカサスなのですが、実際には何千キロも離れているカザフスタンに50万人全員が民族移動させられます。そのなかで半分から3分の2が死んで、50万人の人口が半減以下になってしまう。のちに戻ることが許されるのですが、そういう過酷な運命をたどります。
しかし、そうではなくて、もともとダール・ル・イスラームの一部ではなかった少数派もいるのです。例えば中国の回族といわれる人たちです。中国の場合はもともとムスリムが多かったのです。実は今の共産中国が成立する以前には4,000万人ぐらいイスラーム教徒がいたのです。当時の人口を考えると非常に大きな数のムスリムがいたのですが、今は公式な統計では1,000万人ぐらいに減っています。3,000万人ぐらいが消えてしまった。殺されたり、逃げていったり、あるいはイスラームを共産主義のなかで捨てていったりしたわけです。今の1,000万人は二つに分かれまして、一つはダール・ル・イスラームの一部だった、もともと中国の漢文化圏でないところ、今の新疆ウイグル地区です。今は中国の植民政策で文字どおり漢民族を入れるという政策で、ムスリムのウイグル族は少数派に転落していますが、もともとはウイグル族の土地でそこはイスラーム文化圏、ダール・ル・イスラームの一部だったのですが、それが清朝の植民地政策のなかで組み込まれていった。
そういう部分と、そうではなくてもともと中国語をしゃべる、まったく漢民族と同じ文化を共有しているムスリムたち、漢民族の回族と呼ばれていた人たちもいる。これは中国全体に散らばっておりまして、ダール・ル・イスラームに入ったことはないわけです。この場合は全然問題の現れ方が違ってくるわけです。
もともとダール・ル・イスラームのなかでイスラーム法に従って生きていた人たちの場合は、もとのダール・ル・イスラームに回帰しようという思考が強くなります。ここでは少なくとも独立でなければ自治、すなわち自分たちに対してだけはイスラーム法を守る権利を与えようという運動が出てくる。これはイスラームの教えからいって当然の反応で、当然の行動であります。ですからイスラエルのパレスチナ人とかチェチェンのムスリムとか、あるいはカシミールとかフィリピンのミンダナオのイスラーム教徒とか、タイの南部のパタニといわれる地区のマレー系のイスラーム教徒のなかで独立運動が起きるのは、イスラームの法の論理からいって当然出てくるような流れです。
そうでないところでは基本的にはそういう運動は起きないはずです。例えば中国のカイ族にはそういう運動がまったくないわけです。これは基本的にはヨーロッパとかアメリカとか日本でも同じことです。今ではヨーロッパとかアメリカでもイスラームは第二の宗教になっています。第二といっても、キリスト教が圧倒的に多くて比較にならないのですが、そのあとにユダヤ教がきて、そのあとに仏教とか他の宗教がくる。ユダヤ教を抜いて、イスラーム教は人口的には第二の宗教になっているわけです。しかし、そこではダール・ル・イスラームを求める運動は起きません。
ですから武力闘争のようなものが起きる余地がないのですが、最近ではそうでなくなってきている。これはなぜかというと、国際化のなかで、イスラエルに対して援助をしている、それを支えているということでイスラームの敵であると。イスラエルを叩くためにはイスラエルの後ろにいるものを叩かないといけない。そういう論理ではじめて出てくる話であって、もともとは非イスラーム世界、ダール・ル・イスラームの外にあった国ではそういう問題が本来は飛び火するはずはないのです。それなりに文化摩擦の問題は出てきますが、それはまた別の問題であって、テロのような問題は本来出てくるはずがない問題です。
しかし、イスラーム世界はもともと一つであって、ダール・ル・イスラームは一つであって、イスラームは一つであって、イスラーム教徒は一つであるという認識が非常に強いもので、イスラーム世界のあるところで起きている運動が別のところに飛び火をするのは当たり前のことです。イスラームのネットワークは世界中に広まっていますので、そのなかのどこかで、われわれからみると地域の紛争にすぎないようなものが世界中に飛び火するということはイスラームの世界観からいって当然あり得る。ですから直接かかわりのない地域についても正義を実現しないと世界全体に影響を及ぼすようなことにもなりかえないということは、今いったイスラームの世界観のなかから理解していただけたのではないかと思います。
(了)
http://homepage3.nifty.com/hasankonakata/sakusaku/4_2.htm