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「ブッシュ暗殺」を言う人がいたので小話といこう。
1981年3月30日午後2時半頃にワシントンDCヒルトン前の歩道で第40代米国大統領ロナルド・レーガンに向けて22口径のピストルでジョン・ヒンクリージュニアは衝撃破裂性の【デバステーター弾】をロナルド・レーガン大統領に向けて発射した。
暗殺作戦の中で6発目の弾丸がロナルド・レーガンに当たった。(詳しくはシークレット・サービスのエージェントがレーガン大統領を防弾リムジン車に押し込むより早く、一発の銃弾が装甲セダンのフェンダーに当った跳弾がレーガンの膝の下に突っ込んでジッパーことレーガンの肺に穴を開けたらしい)
もし、その日、ヒンクリーの銃弾がまともに当たりロナルド・レーガンが死亡していたら副大統領だったジョージ・HW・ブッシュは確実に大統領に昇格(LBJのように)、予定よりも8年早く第41代米国大統領に就任していたことだろう。
▲ここで面白い話をしようまさにその同じ日にジョン・ヒンクリー(レーガン暗殺計画実行者)の兄スコットは昔から家族同士で親しくしていた友人と夕食をともにしていた友人と夕食をともにする約束をしていた。
その友人というのが副大統領の息子二ール・ブッシュ(三男中国を拠点にしている実業家WTCビルの瓦礫はニールの会社が処理したのか?)なのだ。
これを単なる偶然と片付けることもできる。
だが、ブッシュ家とヒンクリー家の繋がりは1960年代のテキサスまで遡らなければいけない。
ジョージ・H・ブッシュジョン・ヒンクリー・シニアは石油業界のにわか景気に乗じてそれぞれ財を成した。どちらも名門の出身で同じ特権階級社会で活動していた。
イギリスから移住組の上流階級貴族たちは自分たちのそうした特権階級社会のことを好んで【テキサス王国】と呼んでおり、ブッシュ家とヒンクリー家も例外ではなかった。
ここで事件時の状況を細かく検討していくと不審点がいくつか浮かび上がるので指摘しておきたい。
▲【その一】
狙撃事件の直後に放送されたNBCの報道特別番組で記者のジュディー・ウッドラフは少なくとも一発の銃弾がロナルド・レーガンのリムジン車の「上方」にあるホテルから発射されたと語っている。
ウッドラフ記者のその後の詳しい報告によれば「シークレット・サービスのエージェントがホテルのバルコニーから発砲した」ということである。
レーガンはたまたま運悪く「味方の弾丸に当たって負傷したのだろうか?」
それともJFKのように【第二の狙撃者】だったのだろうか?いずれにしろウッドラフ記者の証言はリムジンの防弾ガラス大統領とヒンクリーの間を隔てていたのにどうして銃弾がレーガンに当たったのか?の説明を【第二の狙撃者】が存在すれば補強することができる。
▲【そのニ】
レーガン大統領を暗殺使用したヒンクリー自身の問題である。
ヒンクリーは精神科に通院しており精神活性剤を処方してもらっていた。また狙撃事件の際には鎮痛剤ヴァリウムを服用していたという報道がある。(この手の犯罪が発生すると「決まり事」のように薬物が必ず出てくるのは重要なポイントである。権力者のいつものやり方薬物を処方していればキチガイだからそんな大それた事もすると大衆を信じ込ませるのである。私の場合、逆に信憑性が増すと判断する。あはは)
また、ヒンクリーはロナルド・レーガンを標的にする前にテッド・ケネディー上院議員とジミー・カーター元大統領を尾行していたFBIが発表している。(本当か?)
▲【その三】
ヒンクリーの人脈の謎
例えば1980年10月にはネブラスカ州でアメリカのナチ党員に接触しようとしたらしい。また、コラムニストのジャック・アンダーソンは「ヒンクリーはアメリカのホメネイ支持派(イランの最高指導者)「イスラムゲリラ軍」と繋がりがあった」と述べている。
この「イスラムゲリラ軍」のメンバーの一人がアンダーソンにヒンクリーが【レーガン暗殺を狙っている!】という情報をレーガン暗殺未遂事件に入手しおり、その情報をシークレット・サービスに情報提供したが「シークレット・サービスは何の対応も施していなかった」と証言している。
▲【その四】
ヒンクリーはジミー・カーターを付け狙おうとナッシュビルに飛んだ。
ところが「スーツケースに隠していた3丁のピストルが見つかり空港で逮捕」される。だが不思議なことにこの情緒不安定で薬物依存症(FBIの見方)の人物は、6時間の拘束後、罰金を科されただけで無事釈放されている。
さらに非常に不思議なのは、空港で銃の不法所持で逮捕された薬物依存症の人物が所持していた日記を米捜査当局は一切調べなかったらしい。
この【日記にはジミー・カーター暗殺計画が詳細に記されていた】とレーガン暗殺未遂事件後に判明している。(空港に拳銃3丁を保持し、薬物依存症の人物が所持品検査も受けず約6時間で釈放なんてまず常識的な判断としてあ・り・え・な・い)
▲【その五】
最後の疑惑はジョージ・H・ブッシュ当時副大統領との関係である。(詳しく)
名門の家系で育ち、ブッシュの父プレスコット・ブッシュ・シニアは第一次世界大戦中、陸軍情報部でスパイ諜報部員としての任務に就いていた。
ジョージ・H・ブッシュは父に習ってイェール大学の【エリート社交クラブ(スカル&ボーンズ)】の会員となる。
このスカル&ボーンズは大物政治家、ウォール街の実力者、CIAの関係者などを数多く輩出したエリート団体である。
その後、大学を卒業したブッシュはCIA長官に就任できたのもスカル&ボーンズの影響が強いと言われている。
CIA長官になったブッシュは、ウォーターゲート事件以降、世間に漏れ始めた米中央情報局CIAのさまざまな犯罪行為に対して米連邦議会が調査しようとしてきた議会に対して調査対象をかわし議会追求から逃れる役割に大きく貢献している(CIAの王様と言えばブッシュ)
1988年に掲載された【ネーション紙】では元CIA工作員の話として「ジョージ・H・ブッシュは油田主だったころ「ザパータ・オフシェア石油会社を設立し、1960年代頃、CIAはその会社を秘密工作の隠れ蓑に利用していた!」と暴露記事を掲載している。
面白いことに、1961年のピッグス湾侵攻作戦時にペンタゴンとCIAの連絡係りをしていた退役大佐フレッチャー・プラウティーによればその作戦名は「ザパータ」艦隊攻撃を命じられた二隻の海軍艦船は「ヒューストン」「バーバラー」と命名されている。(「ヒューストン」とはブッシュの第二の故郷であり「バーバラー」は奥さんの名前だ。これは偶然ではなく必然である)
さらにジョージ・H・ブッシュが1960年代にCIA工作員として働いていていた【決定的な証拠】が1988年の大統領選挙キャンペーン中に浮上した。
【ネーション紙】のジョゼフ・マクブライド記者が書いたFBIの公式文書として保管されているメモに関する興味深い記事が物議をかもした。
FBI長官J・エドガー・フーバーの署名入りのそのメモは「1963年11月29日付けで米国務省宛に送られたもので【ジョン・F・ケネディー(JFK)大統領暗殺事件、1963年11月22日】という表題が付けられていた」のである(やはりブッシュはJFK暗殺に関わってるようだ)
FBIメモでフーバー長官が報告しているのは、FBIがケネディー暗殺事件に対するマイアミの反カストロ・キューバ人の反応について【米中央情報局(CIA)のジョージ・ブッシュ氏に説明したという内容】である。
フーバー長官のメモが送られてから40年、ジョージ・H・ブッシュは「メモに触れてるのは自分ではない」と繰り返し否定している。
CIAは局員の身元確認については異例の発表をし、このジョージ・ブッシュは1964年イにCIAを辞めた「ジョージ・ウィリアム・ブッシュ」のことだと「思われる」と発表した。この男はたしかに自分は1963年〜1964年にかけて半年間CIAに勤めていたことを認めたが自分は「絶対にメモに書かれているジョージ・ブッシュではない」と反論している。
この「ジョージ・ブッシュ」は「短期間の下級調査員兼アナリスト」に過ぎず「FBIやその他の情報機関や政府機関から一度もその件の状況説明を受けたことは一度もない」と述べている。http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj5057/sub18.htm
ジョージ・H・ブッシュ(父)はJFK暗殺事件に取り巻く奇怪な面々とも諜報機関とも繋がりがある「唯一の人物」である。(根拠を示す↓)
リー・ハーベーイ・オズワルドがテキサスに乗り込んだ際に人付き合いが下手な人物とは思えないほどの大物の人物と交流を持っていたのである。
その人物とは、石油業界に強い影響力を誇り、CIAとの関係も疑われている【白人系ロシア人亡命者ジョージ・デ・モーレンシルト男爵】である。
1978年、下院暗殺特別委員会調査官ゲートン・フォンジは、常識では考えられないようなモーレンシルト男爵とオズワルドとの関係を調査するためにモーレンシルト邸を訪問した。
男爵の娘がモーレンシルト男爵は留守だと言ったのでフォンジ調査官は自分の名刺を娘に渡し、また来ると伝えた。
その日の午後、フォンジ調査官はモーレンシルト男爵が自宅の二階で二十口径のショットガンで頭を撃ちぬいて死亡していることを知った。
警察が遺体を調べた結果、男爵のポケットにはフォンジ調査官の名刺が入っていることを確認している。
また、フォンジ調査官はモーレンシルト男爵のアドレス帳の中に極めて重要な証拠を確認することができた。その証拠とは【ジョージ・H・W(ポピー)、1412、オハイオおよびザパータ石油、ミッドランド】と男爵のアドレス帳に記されたのである。
また、ジョージ・H・ブッシュなどの東部エリート集団や西部石油業界の大物たち、それに共和党首脳陣と親しく付き合ってきた「スカル&ボーンズの出身者」でマニュエル・ノリエガやイラン・コントラ事件の関係者、ピッグス湾、ウォーターゲート事件のリチャードニクソン、サダム・フセインなどやビンラディン・グループ、または統一協会の文鮮明
などと密接に関係がある人物で「ジョージ・ブッシュ」と呼ばれる人物は世界に一人しかいないだろう。
最後にレーガン暗殺未遂事件前に貯蓄貸付組合(S&L)のスキャンダルで疑惑を轟かせた二ール・ブッシュがジョン・ヒンクリー・ジュニアと何の話をしていたか非常に興味がある。
おつかれさん