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この国は「パッパカパーの国」ではないかと時々考え込む。北朝鮮の拉致に関して、今国内で問題にしていることは、拉致には気づかずに北朝鮮と仲良しごっこをして来た人達である。その彼らを盛んに糾弾している。
しかし、拉致そのものが何故起きたのかといえば、領海領土の警備が杜撰だったということに尽きる。きちんとガードを固めていれば、この国に不法侵入出来なかったはずである。海上保安庁があり、海空の自衛隊があるのだから。とするなら、一番重い責任はそれらの警備当局に在るはずである。もし、そうではないと言うなら、これからも国民が拉致されても、警備当局には責任がないことになる。しかし、警備当局の責任を追及する声はない。
それと同様なことが、イラク問題にもある。日本国はイラクに対して最大の債権国だ。なぜかと言えば、サダム・フセインが独裁するイラク国と友好関係を保つために、借款を与え続けて来たからだ。誰が与えたかと言えば歴代の自民党政府である。
その自民党の有力議員であった小泉氏もイラクに借款を与えることに反対した様子はない。それどころか、自らが首相に就任してからも、歴代政府の路線を踏襲している。ところが今どうだろうか、サダム・フセインを極悪非道な人間として口を極めて罵っている。
それならば、その極悪非道な人間であるサダム・フセインと友好関係を保って来た人間の責任どうなる。北朝鮮の方がここ十年間ばかりの関係で糾弾している。しかし、イラクの方は三年前の責任すら問う声がない。北朝鮮より、イラクの方がよりいい加減になっているとも言える。
今だけが全てであるとするなら、たとえ今誤りを冒しても、先行き責任をとる必要がなくなる。こんな無責任を野放しにして、その時だけの都合で泳ぐ政治・社会であっていいのだろうか、この国は。イラク問題もサダム・フセインを糾弾するなら、彼と仲良しごっこをして来た者の責任も問わなければならない筈だが。
だが、日本人はそうしない。大量の情報とやらを垂れ流すマスコミがあるからであろう。その情報に過去の責任を追及する声がなければ、国民もまた過去の責任を追及することを忘れてしまう。もっと、率直に言えば、この国の国民は自ら物事を見る目を育てないで、絶えず他人(マスコミ)任せにしているから、こういう事になる。
だから、この国は「パッパカパーの国」ではないかと。